五、虹の大地 4

    3、沈黙の間



「ぎゃああああああああああ」

 辿りついた部屋を一目見てアステリスが発した最初の一声がこれであった。フェクタも思わずジラルダのマントの端に掴まった。

 部屋のなかは、おびただしい数の墓石でうめ尽くされていた。半ば傾き半ば苔むし、ただの長方形のものもあれば楕円もあり、様々な人間の名前やあるいは生前の功績などが彫られているものもあったが、たちこめるその黴のにおい、古びて太陽の存在すら忘れてしまったかのような土の湿りかえったにおい、それは間違いなくこれらの墓石がただの置物でなく本物だということを現わしていた。たちこめる確かな死臭、これらの下には間違いなく今は土と同化せんほどに古い時代の死人たちが埋まっているのだ。漂う霧、湿った空気、何かが確かにいるような微かな気配、アステリスが仰天したのも無理はないだろう。 彼女は生きている人間に対してはなんともないのだが、幽霊死霊おばけの類はまるでだめなのである。

 部屋の形としては正方形で、煉瓦のような模様の壁の側には、色褪せたリュートが無造作に置かれており、この死者のうちの誰かが生きていた頃使っていたものかと思われる。

「ななななななんなのここ」

 アステリスはジラルダにしがみつきながら怯えをあらわにしてやっとのことで言った。

 ジラルダは松明の光に照らされた何かをみつけて土に半ば埋まりかけた墓石を乗り越えて壁ぎわへ歩み寄った。

「ちょちょちょちょっと待って」

 アステリスは慌てて追い掛けた。ジラルダは左の角に向かって松明を掲げかがみこんでいる。



 虚像の前に立ちて生と死のいずれかを選べ  旋律は一つ旋律は無数


  笑いて愚者の墓碑銘を見よ  暗闇は汝の手に落ちる



「気持ちわるうい」

 アステリスはおかしな声を出した。

「もーやだあたし帰る」

「まあ待ちなさい」

 ジラルダは無表情に、怯える彼女を諌めた。まずはこの共通語で書かれた碑文を何語で解釈するかを探し出さなければならない。

「これは古ウェニィ語だ」

 ウェニィ語は南方語として知られている。

「なんで一瞬でわかんのさー。ばけものー」

「ばけ……君は私そういう目でみていたのかね」

「怖いよー怖いよー」

 アステリス、しゃがみこんで今や完全に錯乱状態である。ジラルダはフェクタと顔を見合わせて肩をすくめ、解釈に乗り出した。

「虚像の前に立ちて ……虚像は鏡。最初の鏡の間では虚像は鏡に映る自分だったが古ウェニィ語では鏡そのものだ。鏡の前に立つ……フェクタ、鏡を探してくれ」

 フェクタはうなづいて墓石を順繰りに探し始めた。かなりの量であるし、傾いたもの半ば土中に埋まってしまったものなども数多いので、少女はだいぶ苦労していたようだ。

 その間ジラルダは壁を睨みつづけ、アステリスは役立たずと成り果てた。フェクタが地面を踏み鳴らしてジラルダに注意を呼び掛けた。墓石の隅のほうに嵌めこまれた小さな小さな円い鏡を見つけたのだ。それは部屋の隅にあった。

「生と死のいずれかを選べ ……生はlectino死はvalestin。共通文字はletinだ」

「い、意味は?」

 ジラルダは怯え続けるアステリスに顔を向けた。

「『静寂』」

「静寂……ずっと静かにしてろってこと?」

「いや……もっと他に深い意味があるような…… 旋律は一つ旋律は無数 

一つであり無数でもあるもの……それもすなわち静寂だ。そしてそれは旋律へとつながっている。……・―――――」

 ジラルダは意味ありげにアステリスを見た。

「な、なによ」

「君は竪琴を弾けるかね?」

「あーん?」

「リュートだよ」

 ジラルダは部屋の隅の古ぼけたリュートを指差した。今にも弦が切れてしまいそうに古い。

「……いちおう弾けるけど」

「ではあちらへ行って」

「えっえー! や、やだ! ひとりやだ!」

「フェクタ、側にいてあげなさい」

 ジラルダはあきれたように言った。そうだろう。あれだけ残酷な殺人ができるのに、どうして墓場が怖いのか。

「い、行ったよ。どうすんの」

「来たよ、だろう。しばらく待っていてくれたまえ」

「えー!」

 アステリスは渋面を作った。ジラルダが聞き入れそうにもないので仕方なくしゃがんでフェクタにしがみついている。

「笑いて愚者の墓碑銘を見よ ……この中で動詞は 笑う と 見る ……だからこそ古ウェニィ語だ。……笑い見る……笑い見るは上に乗る……」

 ジラルダ辺りを見回して墓の墓碑を探し始めた。

「な……なにやってんの?」

 アステリスは問うたが、考え込んでいるジラルダにはその声は小さすぎて聞こえなかったようだ。

「これは勇者シナスティの墓だ。……こんなところにあったとは。……こっちは英雄ファシェナエナこれは……ティエンヤル。……どれも愚者ではない……愚者の墓が一つだけあるはずだ……」

 ジラルダはそんなことをつぶやきながら一生懸命辺りを探し回り、やがて入り口から見て右奥の角にそれらしき墓石を見つけた。

「―――――ヴェラスコ。あったこれだぞ」

「誰よそれ」

「愚者というならこんなに愚者という言葉にふさわしい名前はない。一八〇七年リィフェで捕まり投獄されたのちは独房に凄まじい絵を描きながら全裸でとうとう狂い死にしたという……捕まった理由は道で拾った虫の死骸と盗んだ死体とを盗んだ薔薇のなかに投じて眺めていたとか」

「それってただの狂人じゃないの? 二千年近く前の人間じゃん」

「ところが彼は正気だったのだ。魔法精神鑑定を何度やっても同じ結果でとうとう大魔導師シエッタを招聘、依頼しても同じ結果だったという」

「ふーん……」

 そしてジラルダはその墓石の上に、―――――あろうことか飛び乗った。

「な ―――――」

 アステリスは絶句した。

「なにやってんの!?」

「碑文の言葉に従っただけだ」

「バチあたりー! や、やめなよ! よしなって!」

「沈黙はletin……アステリス、リュートをとって」

 ジラルダはアステリスの必死の抗議なぞ耳にも入っていない。アステリスはしばらくぎゃーぎゃー騒いでいたが、疲れたのか観念したのか諦めたのか、とにかくため息を一つついてたてかけてあったリュートを手にとった。積もった埃を払いそれを片手にとり静かに構える。かつてはこうして違う誰かの心をなぐさめていたのだろうか。

「lは4、eは7、tは5、iは9、nは11……弾いてくれ給え」

 アステリスは言われた通り、少々おぼつかない手つきで言われた通りの音を弾いた。

 ポロォォン……

 ォォォンンン……

 高い音、中音、続いてクリスタルの音、アステリスの演奏は続く。

 ロォォォンンン……

 ポロロロロ

 ボロォォン……

 余韻が室内を漂った。音が漂い、漂いきっても室内は静かだった。そしてすべて音が消え失せそれらの余韻が空気のなかに完全にとけこみ消えいってしばらく。墓石の上に乗ったジラルダがぼそりと呟いた。

「―――――それでどうなる?」

 ズズズズ……

「おお……!」

「ぎえええええーっ」

 アステリスの悲鳴が轟き渡った。ジラルダの乗っていた墓石が地面から延び結構な速さで天井まで、まるで成長する竹の子のごとく延びていっているのだ。ジラルダは上を見上げた。このままどうなるかを見届けようとしたまで。天井は彼が墓石に乗った近づくにつれ待っていたかのように人一人がやっと入れるほどの四角い穴を開け始めていた。

 ゴゴゴ……

 ―――――ゴトン

 ジラルダは完全に天井に裏に消えてしまった。四角い柱として天井まで登っていった墓石はそこで役目を終えると、まるで最初からそこになかったかのようにスッと消えた。

「ぎゃーっぎゃーっジジジジジジ」

「落ち着き給え」

 慌てふためき完全に錯乱状態に入ったアステリスをなだめるかのように、天井裏からジラルダが顔を出した。

「どうやらここが次の部屋への通路のようだ。早くこっちへ」

「どあほう! どうやってのぼるってのさ!」

「さあほら」

 彼が上から両手を伸ばしてきた。近くの墓石に足をかけろという。

「そんなのやだあ……」

「人間死んでしまえば土に返る。そんなものはただの記念碑だよ」

 そしてフェクタがいそいそと墓石にのぼって手を伸ばすのに気が付きジラルダは少女を抱き上げてしばし穴の向こうに消えた。

「あたしを置いていくなあーっ!」

 アステリスは半泣きでジラルダの腕が伸びてくるのを待った。そして彼が現われると、恐る恐る墓石に足をかけその手に掴まり天井裏へと辿りついた。


 すべてが部屋から消えたあと、扉の外でアステリスの剣幕にくっくっくっとひそかに笑っていた人物は、それに気付いて中へと入っていった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る