五、虹の大地 3

   2、水の間



 たどりついた部屋は、一言で現わすと奇妙な部屋だった。

 全体に形としては長方形、部屋の中央には壁まわりより二まわりほど小さい枠がなされており、なぜそんな枠があるかというと、枠は水槽のように底深く水をたたえていて、清冽に明るい光すら放って光っていた。それは人知れぬ山奥の湖のような神秘さだった。

 そして水槽の水面にはまったく不規則に正方形の柱のようなものが立っており、それが水面から十センチほど顔を顔を出して、あたかも踏み石のようですらあった。昔はきちんと列をなし数も形もそろっていたのだろうが、今は崩れていたり、または水の侵食に絶えられなかったのか、無残な跡を残していた。どうやらすべて形が揃っているものの規則性から見てみると、縦五列、横四列に石は並んでいたらしかった。そしてそれを取り囲むような室内の通路と壁は、壁には何もなく、しかし床は、大小様々な大きさの円が水紋のようになって重なり合い交じり合いじっと見ていると間違いなく目が回るような模様を作り上げていた。部屋の中で最も意味不明なのは、あちこちに吊り下げられまた転がっている木桶であった。全部で五つほどだろうか。この部屋の解読のための言葉は、入って右の壁に刻まれていた。



    緑の蛇 終焉へ向かう   蔓からまり 林檎は枯れる


  天に咲く花  真を記す


     巡りし年月  果ては滅びとならん


 正しきものへの誘いは迷いから  転じて悪しきものへと 闇うつろう



「ふむ……」

 ジラルダは読み上げて顔を上げた。

「これは少々厄介だぞ」

「あんでよ」

「ここでの解釈は改ヴァアル古レリィト語だ」

「……なんだってえ?」

 アステリスは眉間に皺を寄せて聞き返した。ヴァアル語は魔法語である。標準第二か国語に「古」がついたって混乱したというのに、まるでこれでは未知との遭遇ではないか。

「つまり改正ヴァアル語が改ヴァアルだけでなくさらに発展し変化して、転じてレリィト語になったもの……たまたまそれが時代的に古レリィト語だったというわけだ」

「……わかんない」

「天に咲く花 という言い回しは改正ヴァアル語にしか存在しない。そして 蔓 と からまる という二つの言葉を同時に使うのは古レリィト語だけ。そして改ヴァアル古レリィトではこの両方の言い回しを採用されている。そういうことだ」

「もーいいよ」

 アステリスはげっそりして言った。まったくこの男は、何者なのだろう。

「ふむ。まず 緑の蛇 ……緑は森、そして森を蛇のごと這うもの……鳥か。

 鳥はBilejuasem・・・・・・改ヴァアル語ではbi は東、lejuaは5、そしてsemは3だ。これは……場所を示しているのか」

「この石の柱みたいのの上に乗るっての?」

「その通りだ。5の3ということは、縦五番目、横三番目ということになる。そうすると……」

 ジラルダは水槽の上の石に目を馳せた。確かに縦に五つまで石がならんでおり、横には四つ並んでいるが、5の3の場所には横四つ目の石はなかった。

「……でもさー。東は? なんにもないよ」

「それはいい質問だ。東というのは正位置を意味する。右を東左を西とするのは正位置なのだ。それとは逆に西が正面だったり南が右側だったりするのは逆位置という。もしかしたら南を正面に、西を右側にしなければならないかもしれない。そのための正位置指示なのだよ」

「……続けて」

 ジラルダはトン、トン、と踏み石を身軽に移動し、5の3の場所に立った。

「終焉へ向かう ……終焉とは西を意味する言葉だ。西は陽の沈む場所。つまりすべてを終わりに返す終わりを告げる場所。つまりこの場所で西を向けということだ」

 またなんでこう疑問もなくこれが絶対正しいのだ口調で確信をもってできるんだろう、アステリスはぼうっとそんなことを考えていた。多分この自信の裏には絶対的な学識がものをいっているのだろう。こんな男を、よくこの大陸が手放したものだ。

 ジラルダは石の上で西……正面向かって左側―――――に体を向けた。そしてアステリスに、

「先を読んでくれ給え」

 と静かに言った。

「 蔓 からまり 林檎は枯れる


 天に咲く花  真を記す 」

 ジラルダは口のなかでつる、からまる、と復唱した。そして改めて辺りを見渡して、側に転がっていた小さな木桶に目をとめると、

「フェクタ、すまんがそれを渡してくれるかな?」

 と言った。そしてそれを手にすると、かがみこんで松明を桶の中に突っ込み、しばらくしてきなくさい臭いがたちこめ始めると、じゅう、という音をさせて水中へ迷う事無く入れた。アステリスの目に、水中にうす白い煙が散るのが見えた。

 …………

 スウッ

 突然水底に、水槽いっぱいほどの蛇の幻影が姿を現わした。一瞬堅い板を石で打つようなコォーン、という音がした。蛇はとぐろを巻いて北東の方向に牙を向けていた。そしてそれもまた一瞬のことで、次の瞬間蛇は消え去っていた。

「……」

「 天に咲く花 というのは煙を示唆する言葉だ。煙がある一定の量一定の速さで一定方向に流されるとそれは天に広がる薔薇のように見えるという・・・・・・」

「ふーん……で、つるとからまると枯れたりんごは?」

「蔓は牙、からまる は蔓と一緒に使われた場合 示す、という意味になる。北東に向いていた牙……そこになにかあるはず」

 ジラルダはいましがたまでそこにいた石の上からトン、と水槽のふちに飛び移り、北東の場所へ移動した。壁にはなにもなく、ただ下を見れば目が回るほど幾重にも幾重にも円が螺旋を描いている。歩きながらジラルダは言った。

「続きを」

「あ、うん。


   巡りし年月  果ては滅びとならん


 正しきものへの誘いは迷いから


    転じて悪しきものへと 闇うつろう 」

「……」

 しばらくの間、だいぶ長い間を、ジラルダは沈黙していた。言葉の仕組みが複雑だからか、それとも単に暗号じたいが複雑なのか、アステリスには見当つきかねたが、フェクタとただ、息をのんでじっと見守るくらいしかすることはなかった。

「迷い……迷うもの。―――――アステリス、迷う、と聞いて君が思いつくものはなんだね」

「迷宮セフォンデリ」

「そうだ。迷うものは迷宮と決まっている。……迷宮……迷宮はglaveeiだ」

 ジラルダは壁に向かってぶつぶつと独り言を始めた。知らない者が見たら、自閉症か鬱病の人間としか見えない光景であった。

「闇は黒きもの……ここは水の間だ。…………水は豊饒……豊饒たる『黒きもの』……土。土はsiael…… 正しきものへの誘いは迷いから 転じて悪しきものへと 闇うつろう ……この二行は対言葉だ。正しきものと悪しきもの。迷いと闇……そしてうつろう……」

 glaveeiとciaelの共通文字はiqelである。意味は『天上』。

 ジラルダは何かを得たようにハッとして顔を上げた。

「『天上で飛ぶ鳥は枯れた林檎はついばまない』」

「なにそれ?」

「有名な」

「詩?」

「そうだ」

 ジラルダは笑いながら答えた。

「この鳥ってさっきのみどりのへびのこと?」

「そうだ。『聖なる鳥』という詩でな。非常に韻律が美しい詩だ。そしてその鳥の守護方向は北」

「北向きになるの?」

「いや、その前に……」

 ジラルダは足元へ目をやった。

「巡りし年月 果ては滅びとならん ……巡るということはまわるということだ。年月とは永遠に終わらないもの……つまり円のこと。滅びというのはたいていどの言葉でも九を意味する。最後の数字だからね」

「で?」

「一番北の円を九回まわり北の壁に改ヴァアル古レリィト語でvaleiinと彫るのが妥当だろうね」

「ばれいん?」

「林檎のことだ」

 ジラルダはいたずらっぽく片目を瞑って見せると、絶句したアステリスの目の前で幾重にも重なる水紋のなかから一番北側に位置する円の線をたどって九回まわり、コチリという音を確認して北を向いて言葉どおりvaleiinと彫った。

 ゴッ。

 ジラルダのすぐ脇の壁が突然口を開けた。一瞬で分厚い壁が突然消えてなくなるかのように、まるで初めからなかったかのように開いた。

「よし行こう」

 三人は連れ立って壁の奥へと消えた。


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