五、虹の大地 2

                    10


  1、鏡の間


          

『 一度の誤りが死へのいざない 』


 扉にはえらく古びた字でそう書かれていた。ジラルダはそれに気付き、

「ほう……」

 と口のなかで呟いた。

「おもしろい」

 扉を開けると、そこは正方形の部屋であった。

 そして異様さといえば、これ以上異様な部屋もなかったのではないか。室内の壁は等間隔で嵌めこまれた鏡で構成されていた。そして余白の壁部分は、赤、紫、青、黄、緑、その他様々な色の宝石が埋め込まれていて、丸いもの、四角いもの、とがっているもの、形も同じものはひとつとしてなく、あらゆる方向に向かって顔を出していた。色々な紋様や言葉がでたらめに刻まれ、神話上の動物やよく象徴として使われる獣などのシルエットが壁に描かれていたりまた刻まれていたり、床には色々な幾何学模様が足の踏み場もないほどに描かれている。夢のように美しいといえば、こんなに美しい光景もなかっただろう。

 三人はしばし室内の光景に見とれた。ジラルダは顔を上げて正面の壁に目を向けた。両脇の壁にはぎっしりと鏡が林立しているのに、そこにだけ鏡がないことに注目したのだ。

 彼はその壁まで歩み寄り松明を掲げて小さく歓声を上げた。

「ほう……」

「さっきからそればっか……なんかあったの?」

「見てごらん」

 ジラルダはアステリスを引き寄せて壁を示した。壁にはかすれかけた共通―――――

アンクルティア語で何事か彫られていた。



   罪深き河の北東   獅子の虚像は叫びを映す


  水打ち 日返る 時の間に  右の手を振り上げよ



「な、……なにこれ……」

 明らかに困惑したアステリスの声が室内に響きわたる。

「ふむ……どうやらこれを解かないと先には進めないようだ。先程の壁はもう塞がれてしまったし」

「解くっ……て……なにを? どうやって」

 ジラルダには彫り刻まれた文字の意味がわかっているようだ。

「これは古レリィト語だ」

「古レリィト語ぉ?」

 アステリスは眉間に皺を寄せた。レリィト語は北方語として用いられている。が、無論どの土地でも共通語が使用されている以上は、これらの言葉は今は少ない少数民族か、あるいは一部の知識人の間でしか学ばれていない。もっとも、文献や学校で第二外国語として使用されている場合もあるので、まったく寂れた言葉というわけでもない。

「レリィト語に古いのなんてあんの?」

「もちろんだよ。レリィト語が常用語として用いられていた時代と場所が古代であったならそれは古レリィト語となる。無論単語の多少の増減でレリィト語とはだいぶ内容がかわってはいるが」

「……よくわかんない」

「わからずとも大丈夫。生活に困るわけではないよ」

 ジラルダはやんわりと言った。そしてかがんで壁に顔を近付け、松明をアステリスに預けると、解読を始めた。

「なぜ共通語で書かれているのに古レリィト語だと言ったか―――――……この場合の古レリィト語というのは、古レリィト語の解釈でという意味だ」

 アステリスは黙って聞いている。

「ではなぜ古レリィト語で解釈するかとわかったか……決定打はこれだよ」

 ジラルダは 罪深き河 という場所を指し示した。

「世界のどの文献を見ても 罪深き河 という言葉が出てくるのは古レリィト語だけだ。

 有名な散文の詩の言葉だよ」

「ふーん」

「罪深き河を古レリィト語にするとSalestisだ。そしてその罪深き河の北東……『北東』はふつうSで示される。3という意味もあったかな」

 アステリスもフェクタも黙って講釈を聞いている。

「つまりSを抜くということだ。罪深き河の『北東』だからね。Saletisからsを抜くと aletiになる。これをよく覚えておこう」

 ジラルダは次の言葉に指をなぞらせた。

「獅子の虚像は叫びを映す……。アステリス、獅子の描かれている鏡はあるかな?」

 その言葉に顔を上げ、アステリスはちょっと待って、と言ってまず松明をもう一本出して火を移しジラルダに一本持たせると、自分はもう片方を掲げながら部屋の中を歩き回った。合わさった鏡のなかに、何百何千というアステリスが同じように動いては松明を掲げている。アステリスとフェクタは丹念に探し回った。やがてフェクタがそれらしきものを見つけてアステリスを呼び、二人は足元ほどくらいの低い場所に、他の幾何学模様や文字と一緒に彫られた獅子の姿を確認した。

「あったよ」

「よし。すまんがその鏡の前に立ってくれたまえ。鏡を通して、後ろには何が見える?」

「……壁と……鏡と…………天井とあたしとフェクタ」

「床は? 何か水のような模様のある場所はそこから見えるかね」

「……あ、あった。床だよ。あれって水紋かなあ」

「ではその水紋の側へ」

 ジラルダは文字を見ながら言った。虚像とは古レリィト解釈で鏡のこと、そしてまた鏡に映った人影でもある。叫びは省みる、振り返るの意。つまり鏡を通して後ろを振り返ることだと、ジラルダは問いただしたげなアステリスにそう説明しながら続けた。

「水打ち 日返る……。水を打ってできるものは水紋だよ」

「そ、それで?」

 アステリスは柄にもなく興奮してきたようだ。先を急かし始めた。

「水紋の上に立って……左手で松明をかざしてくれるかね?」

 アステリスが黙ってそれに従うと、鏡に背を向けていたアステリスから向かって左斜めの場所に、日の光が返るかのように何かがチカリと光った。

「フェクタ、今光った宝石の場所を確認してくれるかね。それが終わってからアステリスはその宝石の場所に」

「ねえ……なんで左手なの?」

 ジラルダはわずかに微笑んだ。

「最後のこの文字…… 時の間に 右の手を振り上げよ とある」

「え……だって」

「そう。しかしここは鏡の部屋だ。鏡に映した右手は鏡のなかでは左手となる」

「……」

 アステリスは言葉も出せずフェクタが指し示した宝石の側へと歩み寄った。これも鏡の前だ。

「まだ解釈していない言葉は 時の間 …………古レリィト語でこういう言葉はないな……ではレリィト語では何というかと言うと……Kalevaice。『森』。森を古レリィト語で解釈すると『緑』だ。フェクタ、さっき反射した宝石の数はいくつかね?」

 フェクタが小さな掌を掲げそれにもう片方の手の指を二本添えた。

「七つか……アステリス、その内緑色のものは?」

「あるよ。こりゃ水晶かな?」

 アステリスは自分の左肩より低めの場所を見ながら答えた。

「まわりに文字は?」

「ない」

「……」

 ジラルダはしばらく考えていた。やがて顔を上げると彼はそこから一歩も動かないまま言った。

「その緑の水晶はどちらを向いている?」

「え……んーと……あっち」

 アステリスは壁に顔を近付け壁を背にすると水晶の視点から角度を見据えた。

「何がある?」

「……緑色の縁の鏡があるよ」

「ではその前へ」

 アステリスとフェクタはその緑の鏡の前へ立った。先程入り口を入って正面の壁の前にいるジラルダの、ほんのすぐ側だ。ジラルダはすべての言葉の解釈を終えたのでアステリスとフェクタの側へと歩み寄り、鏡を一回り見ると、

「ではこれが最後だ」

 と言ってでたらめに並んでいる文字の中からaletiを順に触れた。先程解釈された『罪深き河』の『北東』である。触れるとそれは側にいたアステリスが押したのではと思ったくらい簡単にへこみ、壁にうずまった。

 ゴッ。

 鏡が開いた。向こう側へといざなうように、静かに厳かにゆっくりと。

「よろしい。では北東の方向……」

 アステリスが差し出した方向磁石を確かめてジラルダは言った。

「こっちか」

 そう、鏡の向こうは幾筋にも道が分かれていた。まったく不規則に扉らしきものもいくつかある。アステリスはこの部屋に入る時のあの言葉を思い出していた。一度の誤りが死への誘い、と。アステリスは誤ったら本当にそうなのかとちらりと思って、落ちていた石を拾い上げてすぐ脇の道へ放り投げてみた。

 ………………

 ジャキッ

 アステリスは狼狽した。石を放り投げた場所に、天井壁床から、竜牙剣もかくやというほどの大きさの刃がいっせいに襲いかかっていたからである。

「!」

 言葉にならない言葉を発しながらアステリスは慌ててジラルダとフェクタのあとを追った。

「どうしたんだね」

「あひあひ……・」

 腰が抜ける寸前のアステリスである。

 そしてジラルダは北東の方向に歩いて三番目に現われた扉の前に立ち、扉の表面にかすったような線が疾っているのをみとめ、剣を引き抜いてそこへ刺した。

 ざく……

 ジラルダが剣を引き抜くと静まりかえった通路にかちりと硬い音がしてアステリスは扉が開いたことを理解した。

「……でもなんでこの扉なの?」

「言っただろう。北東はまた3も現わすと」

「……」

 そして剣で刺したことの意味は、獅子の牙の強さを現わすと言ってジラルダは扉に手をかけた。アステリスはちゅう、と唇を噛んだ。インテリですまされる知識じゃないぞ、と思ったのだ。

 ため息をひとつつくと、アステリスは慌ててジラルダとフェクタのあとを追った。鏡の間の扉の前で透視の鏡術を使って中の様子をうかがっていた人影が彼らのあとをつけるのに、なんの障害もなかった。



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