五、虹の大地 1

 何事もなく一か月がすぎた。船は無事ジェヴェイズ大陸へ到着し、皆様のご健康と発展を祈っておりますという船長の言葉と共に、三人は次の場所であるイーフェンへと向かっていった。

「……さて目的地は……」

 ジラルダはため息まじりで呟いた。

「ファラッシェか」

「どういうところなの」

 アステリスはしゃがんで目の前に広がる草原を眺めながらジラルダに問いかけた。

「そうだな一言で言えば……」

 ジラルダは一旦考えるような口振りになって黙った。

「廃墟だ」

「廃墟……」

 スウッと強い風が吹いてきてアステリスの前髪を揺らめかした。立ち上がりながら、アステリスはジラルダを見た。

「遺跡じゃないの?」

「だった、と言った方が正しいだろう。いまから五十年前、三一五五年に発見され調査が開始されたが、あまり学術的には意味を成さないということが十年足らずの調査でわかり中止された。私も行ったことがあるが、何のことはない、ただの昔の神殿跡だ。なんの痕跡もない」

「ふーん……そんなとこにいったいなにがあるんだろうねえ」

 アステリスは他人事のように呟き、それからレンゼルドから連れてきた自分の鳥駱駝に乗ると、

「まあいいや、とにかく行ってみようよ」

 と明るく言った。

 ジラルダはそんな彼女の態度がおかしくて、口のなかでふふと笑うと、フェクタを抱き上げ駱駝に乗って連れ立って遺跡へと出発した。

 ―――――そんな二人の後ろ姿を、ひどく陰惨な瞳で見送る者がいた。



 遺跡ファラッシェは、ジラルダの言葉どおり廃墟のたたずまいを見せていた。半ば崩れかけた入り口、不気味に風が吹き抜けては笛のように鳴る洞の奥深く、入った者は二度と出られないような幻覚にすら襲われる。アステリスは鳥駱駝から降りながらそれでも遺跡の入り口から目が離せないままでいた。

 中に入ると、空気は寒々として冷たかった。夏だというのに、まるでここだけ季節に忘れられたような重い、ねっとりとした空気がうねっている。

 ボッ、という激しい音が背後でしたので、アステリスは反射的に振り向いた。しかし彼女が見たものは己れの顔をあかあかと照らす松明の光とそれを持つジラルダの姿であった。

「そんなに警戒しなくてもいいだろう」

 ジラルダは意外そうな顔をして苦笑いした。

「さて一体どこから見たものか……」

 ジラルダは辺りを照らしながら低く呟いた。アステリスは彼女なりに思うことがあったのか、彼から離れて遺跡のなかを歩き回っている。もっともジラルダの考えに反して、彼女はもっぱら遺跡にはつきものの古代の宝物がお目当てであちこちをうろうろしていたのだが、それもしばらくして真の廃墟と悟ったのか、ため息まじりでジラルダのいた場所へ戻ってこようと、歩き始めていた。途端、フェクタがまるで何十年も馴染み暮らした家の中を歩くかのように結構な速さで走り始めた。

「フェクタ……」

 アステリスは気が付いて、顔を向け彼女の去っていった方に呟く。ジラルダがそのかたわらへと近寄る。二人は顔を見合わせてフェクタの後を追った。

 遺跡というだけあって中は広く、入ったホール状のさらに奥には回廊状のトンネルのようなものがあり、フェクタは真っ暗闇のなかにも関わらず、転ぶことなくつまづくことなく先へ先へと向かった。闇に目が慣れていないせいもあって、アステリスとジラルダが走っても追い付けないほどの速さであった。

「この先には?」

 アステリスは息をきらしながら横で同じように駆けるジラルダに問うた。

「行き止まりだ。風水師を呼んで地質調査をしてもらったらしいがここより先にはもうなにもないと」

「じゃあ……」

 アステリスの目に、松明の明かりの届くはるか遠くで行き止まりの壁にたどりつくフェクタの白い服が見えていた。二人はようやくフェクタに追い付くと、いったいここに来たわけはなんなのか、改めて少女に尋ねようとした。が、アステリスが口を開いたとき、フェクタは非常に神妙な顔で胸の中から例の瞳の紋章のメダルを取り出すと、アステリスとジラルダには暗くて見えなかったのだが―――どこかしかの窪みのようなところに、パチリと嵌めこんだ。一瞬、地響きのようなものがどこかで聞こえたかと思ったが、フェクタが鎖ごとメダルを壁から引きはがすようにして取ると音の正体は明らかになった。

「おお……」

 ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……

 そう、今しがたフェクタの目の前にあった見上げるほどの大きな壁が――――……まるで一枚岩のように凄まじい揺れと轟音によって、今、静かに開かれようとしていた。

 引き戸のようにそれはゆっくりと、そして確実に、壁の向こうの秘密の全貌を明らかにしようとしている。

「―――――」

 アステリスは息を飲んだ。

 開かれた壁の向こうは狭く、両端が壁となって一本道を作り上げている。天井は高く、はるかかなたに扉が見えている。

 あの扉の向こうに何があるのか。

 アステリスはごくりと息を飲んだ。ふと下を見ると、フェクタが神妙で真剣な表情で彼女を見つめていた。しかしそれは、とても信頼に満ちた、安らかな瞳でもあった。アステリスはジラルダを見た。ジラルタもフェクタのそんな顔を見ていたようだ。

 二人はうなづき、フェクタと共にゆっくりと道を歩いていった。

 ゴゴゴゴゴゴ……

 三人が道を行くとしばらくして、また扉がゆっくりと閉まっていき、ファラッシェは元の通り何の変哲も特徴もない廃墟へと戻っていった。

 しかしアステリスもジラルダも、目の前で起きた事のあまりの異様さに、とうとうついてくる誰かの気配を感じ取ることができなかった。

                   


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