四、はばたく瞳 2

                    8


「ねえ・・・」

 果てしもなく自分が小さなものに感じられるほど神殿は大きかった。天井が凄まじく高いので、それだけでひどく圧迫感を受ける。そんななかアステリスは不安に思ってジラルダに聞いた。

「さっきの……アラサナ……ってなんなの?」

「何か……だ。古代に通ずる、何か絶大な力を秘めた何か」

 言いながら、ジラルダは知っているはずの本、読んだはずの本を頭の中であれこれ探していた。アラサナ、アラサナ。自分が今言った以上のことを、自分は知っているはずだ。 ただ思い出せないだけで。

 二人の間にいててくてく歩いていたフェクタがびくりとした。が、幼いせいもあって彼女の背が低いのと、アステリスもジラルダも背が高いということもあり、二人はこれに気が付かなかった。

「アラサナ自体の正体がなんなのか……それはまだはっきりとわかっていない。ひどく古い文献にわずか数行にわたってのみ記されていないということもあるが、誰も行き着くところまで辿り着かないからというのもある」

「いきつくところ……」

「真理だよ」

 ジラルダは言って目の前に突然現われた大きな壁にびっしりと刻まれた文字を見て近寄った。

「……古い文字だな。それも保存が悪いので風化が激しい。……これはちょっと、解読はできまい」

「いったいここはなんなの?」

 アステリスは気味がわるくなって珍しく細い声で聞いた。アステリスは、理屈や目に見えることで解決できないことが嫌いだ。彼女くらいに腕がたてば、たいていのことはその度胸と剣の腕で方がつく。しかし目に見えないものや、理屈の通じないことでは、いくら彼女が凄腕の傭兵でも歯がたたない。我と我が身のみを信じ頼ってきた彼女にとって、それくらい恐ろしいものはない。

 しゃがみこんで色々見ていたジラルダだったが、アステリスのその言葉に振り向き、立ち上がって銀の髪を薄闇にひらめかせながら言った。

「さあ、わからない。ただ先程の男のあの傷……あれは尋常ではなかった。君は気が付かなかったようだがあの傷以外にはひどい打撲もあった。相当高いところから落ちないとあんな打撲にはならない」

「高いところ……?」

「おそらく彼の死因はあの傷というよりは全身の打撲がものをいっているのだろう。内臓もやられていたようだったし」

「……」

 アステリスは爪を噛んだ。なにがなんだかさっぱりわからない。わかっているのは、壁のひどく高い、出口のない迷宮に入りこんでしまったことくらいだ。

 黙り込む二人の元へ、どこへいっていたのか、フェクタがおず、と近寄ってきた。

「フェクタ」

 ジラルダが気が付いて歩み寄る。フェクタは埃だらけで真っ黒だった。

「どうしたね? どこへ行っていた?」

 フェクタはかがみこんで優しく尋ねるジラルダにおずおずと握っていたものを差し出した。それは少女の掌から少しはみでるほどの銅版のようなもので、長方形に近いかたちをしていた。

「これは……」

 ジラルダはそれを手にとって絶句した。

 それは、なにかの間取り図ではなかったかと思う。なにしろ薄暗くてよく見えない上にそれはひどく細かく刻まれていたものだったので。

「これをどこで……?」

 ジラルダに言われ、フェクタが手振りで後方を示そうとしたときだ。

 ジラルダと向きあっていたフェクタにだけ、少し向こうでわからないままにも放心状態で崩れた柱や文字の刻まれた壁を見つめているアステリスの、ちょうど真上の天井がいましも崩れ落ちようとしているのが、見えた。

 少女は瞳を驚きで大きく見開いた。あいにく彼女は口がきけない。通常ならば危ない、一言叫べば簡単に避けられることであったが、フェクタにはそれができなかった。

 ガラ……

「―――――え?」

 アステリスが上を見るのと同時にフェクタが彼女に走り寄っていた。それは猛烈な勢いだった。死に物狂いの速さだった。大人であるジラルダやアステリスからしてみれば数歩の距離だったが、わずか五つの、しかも小柄なフェクタにとってはそれは、かなりの距離であったことは間違いない。

 ―――――ォォォンン!

 天井の一部が凄まじい音でたった今アステリスが立っていた場所に落下してきた。間一髪、フェクタはアステリスに飛び付いて勢いでそのまま向こう側に二人して倒れていたのだ。凄まじい粉塵が巻き起こり、大音響は神殿内に耳鳴りがするほどに響きわたった。

「……」

 アステリスはもしフェクタが助けてくれなかったら……そんなことを山積みになって粉塵をまきあげる瓦礫を見ながら、ぞっとしない面持ちで考えていた。そしてやっと自分の置かれている状況に気が付くと、腰に抱きついているフェクタに気付き、彼女が顔を上げて安堵の表情らしきものを浮かべると、

「あ、ありがと」

 と言った。

「二人とも大丈夫かね」

 ジラルダが大して慌てもせず走り寄ってきた。こういうところが、この男は凄いといわねばならないのかもしれない。

「フェクタのおかげでね」

 アステリスは呆れたようにため息をついて立ち上がった。ジラルダもフェクタを抱え上げて埃まみれ煤だらけになった全身をよく払ってやった。

「フェクタ……まったく驚いた子だ。怪我はないかね」

 フェクタはこくこくと素直にうなづき、アステリスにも同じ視線を投げ掛けると、アステリスもそれに気付き大丈夫だよ、と短く言った。

「しかしさっきの……この銅版は一体……」

 そして言いながらジラルダは気が付いた。フェクタの胸元から、何か小さなペンダントがこぼれているのを。そしてそれだけではないそれは―――――それは、瞳に羽根のはえた、はばたく瞳の紋章だったのだ。

 ジラルダは黒い瞳を見開いた。

「フェクタ―――――……これは……」

 フェクタはその瞳と声に尋常ではないものを感じ取ったようだ。

 ハッとして胸元に手をやり、ペンダントがこぼれているのに気が付くと、途端に顔色を失った。

「これは―――――どうしたのだね? いったいなぜ君がこれを……?」

「どうし……」

 アステリスも怪訝そうにかがみこんで紋章を目にし硬直した。

「な―――――」

「フェクタ……」

 ジラルダは半ば絶句してフェクタを見据えた。



「君はいったい―――――何者だね?」

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