四、はばたく瞳

               



「ほら」

「?」

 アステリスは騎乗でジラルダに大きな革の袋を渡した。なかを開けると、案の定というか意外にもというか、……なにしろ相手はジラルダなので……金貨だった。

「これは……」

「あたしがもらった報酬の三分の一だ。半分―――――といいたいところだけど、あたしはこれで生活してるからね」

「しかし」

「あんたがどういう理由でついてこようと、」

 アステリスは珍しくジラルダを強く遮って言った。

「一緒にいて手伝ってもらったことは否定できない。いらないって言ったってもらっても

らう」

「……」

 ジラルダは呆気にとられていたようだったが、思案のうちに何を言ってもアステリスが聞かないというところまで至ったようだ。やがてにこりと微笑して、

「……それでは頂いておこう」

 と静かに言った。アステリスはそれを確認してから、彼の鞍の前にちょこなんと座っているフェクタにも視線を向けた。

「?」

 フェクタはアステリスにこんな風に見つめられたことがないので大層不思議そうな顔をしていたが―――――彼女に金貨を一枚スッと差し出されて、その青い瞳をおおきく見開いた。

「これはあんたに対する報酬だ。ディヴェリン金貨一枚。これだけありゃあんたの歳ならなにかあってもしか一人になってもなんとかやっていけるだろ。何があるかわかんないしな」

 フェクタは無垢な光を瞳に映してアステリスをじっと見つめた。

「んな顔すんな。あんたはあの騎士の生命を二回も救ったんだ。金貨一枚以上のはたらきをしたよ。受け取んな」

 フェクタは言われて、戸惑ったようにジラルダを顧みた。彼がやさしく受け取っておきなさい、言うと、おずおずと、しかし受け取ってまるで宝物のようにうきうきとした顔で胸に押し抱いた。

「さて報酬の分与も済んだことだし……」

 ジラルダが駱駝の上から砂漠に目を馳せて言った。

「これからどうするかね?」

 これからどうするっつったって……と、アステリスは内心苦笑いしながら呟いた。

「あんた勝手についてきてるだけじゃんか」

「おおそうだった。では君についていくことにしよう。君といると普段体験できないようなことばかりで非常に貴重だ」

「……いーけどねー」

 アステリスはもう一度苦笑した。

「あたしは……」

 アステリスは前を見て呟いた。風がサラ、と吹いて、彼女の前髪をかきあげる。

「どうすっかなあ……結構疲れたから……いっかい家に帰って少し休みたいね」

「そうか。ではそうするとしよう」

「……居座るつもりなんね」

 アステリスはげっそりして言った。どうもこのジラルダは嫌な奴ではないし一緒にいて疲れもせず不愉快でもないのだが、なんだかテンポが崩れてしまう。

 まあいいけど……。アステリスはそう呟いて前を見た。

「無論家賃は払おう。女性の家にあがりこむのでは」

 ジラルダがとんでもなく的外れなことを言った瞬間だ。

 アステリスの警戒が前方へ向けられた。

「……帰る暇があるかな」

 ジラルダはつられて前を見た。

 彼方の砂丘から、誰かがやってくる。

 ―――――それは午後の強烈な光に照らされて、水を求める聖者のように渇れて見えた。 ふらふらと、あちらを歩いてはまたこちらへと寄ってくるその影は、一見すればまた酔っているようにも見てとれないことはなかった。

「気をつけろ」

 アステリスは低く強く言った。ああしてこちらを油断させておいて近寄った途端思いもかけない攻撃を仕掛けてくる盗賊が砂漠ではあとを絶たない。現にアヴァスティンに向かう途中で四度、彼らはそういう目に遭遇している。

 しかし近付くにつれその人影がそういった類の人間ではないことがよくわかった。

 彼は異常なほど痩せ細り、骨と皮だけという形容がまさしくぴったりの形相で、しかも異様なことには全身が細く裂けたような細かい傷に全身を覆われ、おびただしい血を流して歩いているのであった。アステリスとジラルダは慌てて彼に駆け寄り、それを見てとうとう力尽きた男が倒れ伏しジラルダに支えられると、アステリスは彼に水を飲ませてやった。男は震える手で水袋を掴み、そのほとんどを流して砂にしみ込ませてしまったものの、一口二口水を喉に通すことはできたようだ。しかし全身の傷はひどく、このまま永らえる可能性はないといってよかった。

「しっかりしろ! どうしたなにがあったんだよ!」

 アステリスは彼にもよく聞こえるよう怒鳴るようにして問うた。水を飲み、それでも渇れているのか、男は震える手をアステリスに伸ばそうとした。あるいはそれは、すぐそこまできている死を目前にして、見目美しいアステリスに救いを求めるための動作だったかもしれぬ。

「あ……あああ……」

「なに? 何が言いたい?」

 アステリスは彼の瞳をのぞきこんで大声で言った。震える差し伸べられたその手が、最早渇きや苦しみによってではなく、形のない第三者の闖入によるものだということを、アステリスはわかっていた。

「あ……」

「なに? なんだって?」

「ア・ラ・サ・ナ」

 がくりと手が砂の上におちた。息絶えたのだ。そして今気が付いたが男はもう片方の手になにかを握り締めていたようだ。気付いてジラルダがなにかと見入り、息を飲むようにして絶句した。

「……! これは……」

「な……なに?」

 ジラルダの掌にはすっぽりおさまるくらいのメダルが握られていた。それはにぶい色に輝き、いくぶん古びてはいるものの、風化することもなく原型をとどめていた。

 メダルには紋章が刻まれていた。奇妙なかたちだった。少なくとも四大陸すべてを放浪しあちこちの土地をまわっているアステリスにも、同じ立場にありそして博学で知られるジラルダにも……まったく見覚えのない紋章だった。いや、まったくと言っては語弊があるだろう。ジラルダはどこかでこの紋章を目にしていた。

 紋章は、中央に大きな目があり、その両脇からさながら天使のそれのように羽根がはえている。瞳がはばたいているようだ、アステリスは素直にそう思った。

「……これは……どこかで……?」

 ジラルダはそう呟きながら必死に記憶の糸をたどりよせているようだった。大変なものだとわかってはいても、あまりに馴染みがないほど文献に登場する回数が少なければ、当然印象としてはその存在自体が大変なものだけというものが強くなってしまう。

「……! アステリス……」

「な、なによ」

「この近くに古い遺跡があるかね?」

「……遺跡……」

 アステリスは口の中で低く呟いてそして次の瞬間にはこうこたえていた。

「……あるよ。南……この砂丘を行ってちょっとのところ」

 ではこの男が歩いてきた方向と同じ方向ということになる。言ってからアステリスは気付いたのか、顔色を変えている。

「とにかく行ってみよう」

「おし……」

 二人は即座に立ち上がってそれぞれの乗り物に騎乗した。

 そしてとうとう、目の前で起きた異変の異常さゆえ、その異変にフェクタが顔を青ざめさせていたのすら、気付かなかった。

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