三、謙虚なる者の土地 3

 三日後、約束通りフェットは手形を宿まで届けてきた。ジラルダの見たところ、どこが本物と違うのかわからなかったが、アステリスにそれを言うと、彼女はにやっと笑って、それを言っちゃあ企業秘密がバレるってやつよ、と言った。

 翌日彼らは出発した。傷ついた騎士は馬車の中に特別にあつらえた寝台に横たわらせ、側に作った椅子にイアネイラ嬢が座ることとなった。二人の意識が戻っていたのなら、姫君と馬車のなかなどとんでもない、と頑として受け入れなかったであろうが、三人が砂漠の家に戻っている間に傷が悪化し、騎士は意識が戻らないままであった。 

 馬車を二頭の馬に引かせ、その手綱を前を行くアステリスとジラルダがひいて、旅は再び始まった。

 アステリスにしてみれば奇妙な縁だろう。

 本来単独行動を旨としているはずの自分が、気が付けば好奇心の塊のような凄腕の剣士と、不思議な力を持つ少女と共に旅をしている。まことに不思議なことであった。

 三日目、アステリスにとって災難であったのは、ヴェッテルダムティー寺院の側をどうしてもどうしても通らねばならず、苦虫をつぶしたような顔で側を通りかかると、案の定逢いたくない一団と出合ってしまったことだろう。

「おおアステリス」

「アステリスに心の平和を」

「平和な者は祈りを知る」

「信じる者は謙虚になる」

「だああああああっう・る・せ・え・坊主どもおおおっ!」


 一行は寺院を通り抜けたあとまっすぐ西へと向かう。



 アヴァスティンをめざして一週間をすぎようとした頃であった。いつものようにただただ同じ風景が横に流れていくのを横目に見ながら、アステリスとジラルダ、フェクタの三人は黙ってそれぞれの乗り物を進めていた。正午を過ぎようという頃、突然馬車の中から令嬢の切羽つまった声が聞こえたかと思うと、窓から顔を出してイアネイラ嬢が助けを求めてきた。一瞬緊迫した表情を向けたアステリスであったが、すぐに敵襲でないことを知って目に見えて安堵の表情になった。この一週間、彼らはじつに四度に渡って刺客の襲撃を受けていた。それのどれもが凄まじい数あるいは腕を持つ者ばかりで、怪我人を抱えているこちらとしてはまことに神経の疲れるものであった。

「アステリス様……!」

 しかし敵襲でないにしてもイアネイラ嬢の様子がただならぬものであったのは声だけでもわかった。二人はすぐに騎士の容体が急変したことを悟って馬車を止めそれぞれ乗り物から降りて駆けよった。

 騎士のひとりが土気色の顔色をしてひどく苦しんでいた。

「そんな……医者の話じゃこのままなんとか平気だろうって」

 アステリスは珍しく狼狽した。それがなぜかは本人にもよくわからない。

「どうしましょう……これといって薬は」

「どれ……」

 ジラルダが傷口を看たり脈をはかったりしていたが、彼が何も言わないことからも、望み薄であることはよくわかった。

「……ここまできたのに」

 アステリスは歯噛みした。彼女は今報酬のことを気にしているわけではない。純粋に、国に向かう途中で命を落としてしまう彼らを惜しんでいるのだ。人の命を奪うことを普段生業にしている女である。人の命の重みは、人一倍よくわかっている。

「……」

 アステリスが悔しさで爪を噛んだときだ。彼女は左の腕になにか抵抗を感じた。

 フェクタだった。青い目を懸命に輝かせ、くいくいとしきりにアステリスの腕を引っ張っている。

「あ……」

 アステリスはそこでやっと思い出した。そもそもこの騎士たちの傷を最初に塞いだのは他ならぬフェクタであったはずだ。

 フェクタは懸命に身振りで自分にやらせてくれと言っているようだ。まるで、やっと自分がなにかをしてあげられる出番がまわってきたとでも言いだけだ。

「……でも……」

「アステリス。危ない」

 ジラルダが緊迫した声で彼女を呼んだ。アステリスが振り向くと、いよいよ死人の顔をした騎士が一層高い唸り声を上げている。

「……」

 アステリスは困ってフェクタを見た。

 アステリスの黒い瞳―――――フェクタの青い瞳―――――一瞬で交錯し、そして一瞬で理解し合った。

「……じゃあ頼むよ」

 アステリスが言うとフェクタは顔をパッと輝かせた。自分が何かの役にたてるのがよほど嬉しいのだろう。

「ま、待って」

 アステリスは騎士に近寄ろうとするフェクタの腕を引っ張って止めた。そしてイアネイラ嬢に向き直ると、

「……悪いんだけどさ、ちょっとの間出ててくんない?」

 と頼んだ。そしてジラルダに彼女に付き添うよう言って二人を馬車から出した。なぜかジラルダと自分以外、フェクタの能力を知ってはいけない気がした。フェクタは騎士のはだけた胸元、傷口に手をあててまた祈るように上を向き、そっと瞳を閉じると、そのままの姿勢で硬直した。しばらくしてなにか、空気が震えるような唸るような音が微かに耳元をかすめたかと思うと、フェクタの小さな手のひらから青い光が漏れ始め、長い間傷口を照らしていたかと思うと突如として消えた。フェクタがそっと手をどけたあとの傷口は、完璧に塞がって元の通りになっていた。前よりエネルギーを消耗したのか、フェクタは少し額に汗をにじませていた。

「……」

 完璧に傷が塞がっているのを見て、アステリスはやはり絶句してフェクタを見つめていた。しかし前のように気味が悪いとも恐ろしいとも思わなかった。その掌から放たれる崇高な光……まるで毒気にあてられたかのようにアステリスはフェクタを怪しむ思いも、罵る気持ちもなくなっていた。

「……あんたはいったい何者なの?」

 アステリスは薄い声でそう呟いた。

 アステリスの言葉に、フェクタは満面の笑みで返したのみであった。

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