二、砂漠のアステリス 2
倒れた馬車をどうにか立てなおし、中に令嬢と傷ついた二人の騎士、アステリスとフェクタとを乗せ、鳥駱駝と大駱駝を馬車の後ろにしっかりつないで、御者はジラルダがつとめた。オアシスまでそんなに距離はない。令嬢はまだ気を失っていたし、騎士たちもフェクタの止血によって一命はとりとめたが、まだきちんとした手当てを要したし、アステリスはといえば、血まみれ脳味噌まみれで凄まじい格好をしていた。
オアシスの街リレンには夕方前に到着した。彼らは急いで宿をとり、アステリスは共同浴場に行く前に汚れを落とすといって泉へでかけ、ジラルダは医者を呼んで騎士たちの手当てをしてもらった。幸い、止血が早かったのでなんとかなるだろうとのことだった。西の空が真っ赤になる頃になって上気した顔で全身から湯気をたててアステリスが戻ってきた。返り血と脳漿とを全身に浴び、太陽の下にいたためそれらが乾いていたため、泉に行った時は誰もが注目していたが、今は湯を浴び髪も洗いこざっぱりとしている。返り血が耳の中で固まってこびりついて取るのが大変だったと愉快そうに言った。
「医者がきたのかい。なんだって?」
ジラルダは顔を上げた。
アステリスは鎧を脱ぎ、砂漠の女性が着る白い服を着ている。左耳のピアスや首飾りなどは相変わらずだったが、細鎖には短剣を差している。
「ほう」
「あー?」
「そうしていると、普通の女性らしく見える」
「……んだって?」
アステリスは聞き返した。何を意図して言われたのかいまいち掴めなかったのだ。
「そうしていると、とても傭兵には見えない」
「よけいなお世話様」
アステリスはぷんぷんとなって言った。悪かったよっ! と怒鳴りたいところであった。
(ん?)
そういえば、とアステリスは思った。今気付いたのだ。ジラルダが帽子をとっているところをである。彼は銀の髪を一つにしばっていた。まぶしいくらいの銀髪。瞳は銀髪に珍しく黒い。全体に精悍な感じがして、口髭がそれをいっそう強調している。こういう渋い男は、若い女には騒がれ、そうでない女にはため息をつかせるものだ。瞳は厳しいほうだというのに、輝くような優しい光にそれが和らげられている。
「なーんだ」
「?」
「おっさん、わりかしいいオトコじゃない。あたしゃあマズい顔を帽子で隠してるのかと思ったよ」
からからと笑うアステリスに、ジラルダは鬱々として言った。
「さっきも思ったのだがわたしはおっさんと呼ばれるように見えるのかね……」
「えー? だって」
アステリスはけらけらと笑っていたが、急に真顔になって、
「いくつよ」
「三十二歳だが」
「あっはっはっはっはっ。十八歳からすりゃそりゃおっさんだ」
アステリスはまたけらけらと笑った。よほどに機嫌がいいのだろう。
「うーむ…………そうかもしれん」
ジラルダは大して気にもとめていないかのように呟いた。
「ところであの女性は大丈夫だったかね」
「あ? あ、そうそう。さっき気が付いたみたい。これから詳しい話をしにいくけど」
アステリスは目で来る? と聞いた。
「行こう」
ジラルダが答え、二人は、令嬢とフェクタの待つ隣室へと向かった。
令嬢は起き上がっていて、フェクタとなにやら話しては明るく笑っていた。もっともフェクタはこたえられないので、仕草や笑顔や、時にはその深い青色の瞳でこたえたりしているだけであったが。
「目が覚めたかい」
「あ……」
令嬢はアステリスを見て笑顔になり、ジラルダを見てちょっとだけ緊張したが、すぐに騎士たちと共に戦ったあの男だとわかると、目に見えて肩の力を抜いた。
「改めて名乗っておくよ。あたしはアステリス。アステリス・シフレン」
「アステリス……・・」
令嬢は眩しげにアステリスを見上げて呟くと、
「『砂漠のアステリス』と呼ばれている方ですわね?」
まあね、というアステリスの返答に無邪気に笑った。こうして笑っているところを見るとただの貴族の子女だが、そも、貴族の令嬢が名前からアステリスの異名やその評判を見出す辺り、この令嬢の普段の生活ぶりが窺われる。それからジラルダの方に目を向けて問いたげな視線を向けた。
「これは失礼」
ジラルダは言ってそれは優雅な、流れるような仕草でそこにひづまづくと、手をスッと差し出した。令嬢は気が付いて手を伸ばす。それに口づけをしながら彼は静かに言った。
「ジラルダ・リシュリューと申します」
令嬢はうなづき、それからジラルダとアステリスに向かって、
「わたくしは、イアネイラ・ファルテギエと申します」
と名乗った後、ジラルダの高名もよく知っていると付け加えた。イアネイラは起き上がるためにベッドから出て上着を羽織ろうとした。その合間に、
「ふーん……」
「?」
「フェミニストだね」
「女性にはしかるべき礼をとるのが当然の行為だ」
ジラルダは表情を変えずに言った。彼は貴族で―――――しかも国王候補となるほどの高貴な身分で―――――あったから、女性に対しての礼儀は充分すぎるほどわきまえていて、そしてそれが当然だと思っているのだ。
「あたしにはしなかったね」
「出会いが唐突なものだったからね。騎乗であったし」
ふーん、とアステリスは呟いた。彼の言葉からは、相手がどのような身分であれ同じように扱うことが読み取れたが、多分さっきのように手を差し伸べられても、自分は何かとと思って握手してしまうのが関の山だろう。
「お話に入りましょう」
イアネイラは椅子に座って言った。
「わたくしとアステリスさんは契約を交わした……そうですわね」
アステリスはうなづいた。
「聞くかい?」
左耳のピアスのことを言っているのだ。先程の契約内容がしっかりと録音されている。
が、イアネイラは静かに首を振った。
「それには及びません。そこでアステリスさんにお願いがあるのですが……」
「なんだい」
「わたくしを、国まで送っていただけないでしょうか」
「……国って、…………もしかしてアヴァスティン?」
「はい」
「………………」
アステリスは沈黙した。アヴァスティンはここからかなりの距離を砂漠を渡っていかなければならない国で、アステリスがどうしてそれがわかったかというと、彼らの行こうとしていた方向からだいたいの見当をつけたのだろう。
「実は、わたくしはある使命を帯びて帰国するのですが、それを狙って刺客が絶えないのです。先程の者たちもそうなのです」
「確かにただの盗賊にしては騎士殿の傷口が深かった」
ジラルダは表情を変えずに言った。この男くらいの腕だと、相手の剣技のレベルは問題にならないのだ。うなづいて、イアネイラは続けた。
「アステリスさんは、わたくしの生命を助けるとおっしゃった。確かに助けていただきましたが、これから先助けていただいたこの生命が無事国までもつかどうかはわからないのです」
「…………つまりまだ契約は完全に終わってないって言いたいんだね」
イアネイラはこくりとうなづいた。アステリスは腕組みをした。
「うーん」
「わたくしと、それから連れの騎士たちも含めて、無事に国に帰してはくれないでしょうか」
ある使命を帯びていると言った。身なりからしてどこかの貴族の令嬢であることは間違いない。つまりはそれだけの価値が自分にあることを、彼女はよくわきまえているのだ。
「…………連れのあの騎士たちも?」
アステリスは黒い瞳でイアネイラを見据えながら言った。
「契約にはないね」
「それではあの二人の分は追加で五枚払いましょう。もちろんセルティバッツァ金貨で」
「うーん……」
「それからもうひとつお願いが」
「なに、まだあんの?」
アステリスはうんざりしたように言った。
「実は、通行手形を先程の者たちに奪われてしまったのです。なにぶん突然のことゆえ」
「…………手形なしでアヴァスティンまで行こうっての?」
さすがに呆れてアステリスは言った。
「いいえ。ですから、なんとかしていただきたいと思って」
「…………」
アステリスは頭を抱え込んでしまった。このイアネイラという女、見かけは無害きわまりない良家の令嬢だが、なかなかどうしてしたたかだ。若く美しく一見無害だが交渉上手の彼女を、大国アヴァスティンは重宝し大切にしているに違いない。
「そんなに大変なことなのかね」
ジラルダがそっと囁くと、
「水なしで砂漠を渡ってそのあと大陸間を全部泳ぎ回るのとおんなじくらい大変だね」
アステリスはこたえた。
「それは大変だ」
「なんとかならないものでしょうか……」
「…………手形はなんとかなるけど……金かかるよ」
「どれくらい?……」
「そうさね。ディヴェリン金貨三十枚、くらいかな。あたしは顔馴染みだからもうちょっと安くなるかも」
ディヴェリン金貨というと、一枚でだいたい庶民四人家族二日分の食費くらいだ。イアネイラは即座にうなづいて、
「払いましょう」
と言った。
「それからそうするには一旦家に帰らないといけない。まあここから急いで帰って五日くらいかな。往復で。その手間賃が……まあ、まけといてやるよ。ディヴェリン金貨十枚でどうだい」
「わかりました」
「それじゃあアヴァスティンまであんたと騎士二人でセルティバッツァ金貨十五枚。ディヴェリン金貨十枚と、プラス必要経費だ」
「わかりました。絶対払うことを誓いましょう」
〈録音完了〉
にやっ、と笑ってアステリスは手を差し出した。
「契約終了ね」
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