一、奇跡と呼ばれた男 1

 『砂漠のアステリス』。

 その名は有名だ。残酷さ、美しさ、そして何よりその腕の凄まじさ。兵として傭えば千人分の働きを発揮し、用心棒として頼めば絶対安心、依頼人の生命をとことん守る頼もしい味方となる。傭兵らしく金でしか動かずしかもかなりの大金なので交渉は難しいが、その分だけ信頼できるので誰もが傭いたがる。また金で動くとはいってもそれで寝返るようなことはなく、彼女がかつてセルティバッツァ金貨二十枚で雇われていた要人の敵に倍額で買収されなかったのは有名な話だ。また彼女の左の耳に下げられている大きなピアスは古代遺跡から彼女が見つけた宝物で、古代機械文明の名残りのそれらしく、持ち主の意志に従って残しておきたい音を録っておくという。つまりアステリスはピアスに依頼人の声を録音しておき、反古されたときの報復の正当目的として利用しているらしい。これさえあれば訴えることもできれば、もっと手痛い仕返しをすることができる。これについては、先程彼女が所長に言っていたように、助けた人間をその手で殺し、また約束を反古にした人間本人にも凄まじい仕返しをするという、有名なものでは依頼人の妻の首を斬って本人に持たせ、家のなかの美術品すべてを粉々にしたあと、どうやったのか焼かずに屋敷自体を崩壊させたというのがある。その直後依頼人は発狂して死んでしまったというのだから踏んだり蹴ったりである。

 そして彼女のピアスには、しっかりと妻の護衛を無事果たしたあかつきには、金貨五百枚払うという、依頼人の伯爵の声が残っているのだ。

「約束を守らなかったってことは、つまりは護衛をしなかったということと同義だよ。だから護衛をしなかった結果を出してやっただけのことさ」

 この事件では彼女は伯爵の友人に訴えられたが、なにしろ肉声が残っているのだから彼女に不利はなく、傭兵協会が規定に基づいて、彼女のしたことに対し、少々やりすぎた感は否めないものの、約束を破ったらこれくらいのことをされるとわかっている相手に依頼したのだし、彼女の性格を考えると、妥当な仕打ちであったとの判断を下し、裁判所へそれを通達したので、結局お咎めはなかった。傭兵協会というのは傭兵一人一人の権利を擁護するためのもので、会員だとか非会員だとかの枠はない。傭兵をやっていれば誰でもその擁護の対象となるのだが、今回ばかりは相手も相手だし、協会はかなり渋い思いをしたようだ。

 アステリスはこういう超破壊的な性格の持ち主なのだ。約束の金が支払われるまで決して声を消去しないという用心深さだが、その悪い性格をカバーしているのが腕と信頼度である。元を正せば約束を守らないほうが悪いのであって、少々やり方が凄まじいけれど、正当性は彼女のほうにある。

 アステリスは予想外の臨時収入に鼻歌を歌いながら街並を歩いた。露店をからかい、果物を買ってかじりながら、新しい剣の鞘やリケルと呼ばれる移動民族の女達が造る見事な装飾品をじっと見つめる。そんなことをしながら彼女は街を出、つないであった自分の鳥駱駝を連れて歩き始めた。

「さて……」

 しばらくして人気のないところに来てから、彼女は呟いた。

「さっきからつけてるあんた、用は何?」

 振り向くとそこには、あの静かに座って待っていた男がいた。

「……受け渡し所にいた男だね。何?」

「いや……別に用というほどのものではないが」

「に、しちゃあ、もう夜だよ。ずいぶんと長い間道が一緒だったみたいだね」

 アステリスの皮肉も通じない。

「そうではない。ただ普段身近に傭兵というものがいないのでな。これをいい機会に一度しっかりと見ておこうと思ってな」

「―――――」

 アステリスはひと呼吸おいた。

「……つまり、観察対象ってわけ」

「……まあ、そうだ」

「どあほう! ふざけんな。観察だあ? 虫じゃないんだよ。ふざけんのもたいがいにしろってんだ」

 ぷりぷりに怒ったアステリスは鳥駱駝に乗って行こうとした。しかし走りだした鳥駱駝の横につけたのは、男の大駱駝だった。

「まあそう怒るな。しかし君のあれは少々ふっかけすぎだ。まあ確かに……あそこの女性職員はちょっと態度が悪いがな」

 そこだけは意見が一致したようだ。アステリスはちらりと男に目をやって、

「……そういうあんたはどうやって生活してんのさ」

「私か? 私は剣士をしている。あちこちで色々やらせてもらっているよ」

「名前がまだだよ」

 夜風に髪をなびかせながらアステリスはぼそりと呟いた。帽子の影になってよくわからないが、同じ黒の瞳をしている。

「おお、これは失礼。女性に対して少々無礼が過ぎたようだ。

 私はジラルダ・リシュリューという」

「ジラルダ・リシュリュー……」

 アステリスは小さくその名を口のなかで呟いた。

「…………」

 そしてばらく考えて、

「……『奇跡のジラルダ』?」

 と男の方を伺い見た。

「まあ、そう呼ぶ者もいるらしい」

 ジラルダは低く続けた。否定はしていない。アステリスは前へ視線を戻して、それから大きく息を吐いた。

 その名はアステリスも何度となく耳にしている。

 ジェヴェイズ大陸出身の大剣士リシュリュー卿。銀の髪さざ波のごとく黒の瞳闇のごとくと歌われ、望めばリッケン王国の王位も夢ではない貴族の立場にいながらすべての権利を放棄、放浪の身になったという。学者なみの豊富な知識、穏やかな人格は人望を集め、あちこちで人間離れした流麗な剣技で伝説を残しているという。噂では、自分のまわりで起こる陰謀の数々が、結局は自分がいるから起こるということに嫌気がさしたらしい。それにしても無欲な男である。リッケン王国はジェヴェイズ大陸最大の王国だし、世界でも五本の指に入るほどの伝統のある国だ。それだけでなく、そんな王位が入るほどの有利な立場の貴族の生活を捨て、明日どうなるかもわからぬ剣士の生活を自ら望むとは。話には聞いていたが、相当な変わり者のようだ。

「……それで、いつまでついてくるつもり?」

 アステリスは半ば呆れてそう尋ねた。目前にはそろそろ砂漠が見えてきている。

「ふむ。そうだな」

 帽子を風に揺らめかせながらジラルダはしばらく考えた。

「しばらく君と旅をすることにしよう」

「は!?……」

 アステリスは危ないところで鳥駱駝から落ちそうになった。

「大丈夫かね?」

「あ、あんたねえ……」

 さすがのアステリスも言葉が出ない。

「どういうつもり。な、なんなのあたしとしばらく旅をするって」

「ふむ。君はなかなか面白い性格のようだし、傭兵という職業の人間がどのようにして生活しているかを見てみたいと思っていたのでな」

「……」

 アステリスはどあほう! と怒鳴ろうとした。が、どうせ先程と同じ反応だろうと思って、無駄な体力を使うと思い、怒鳴るのを寸前でやめた。またこのまま振りきって行ってしまえば知ったことではないとみて、相手の手綱さばきを見ているととてもではないが振りきれそうにもないと、あきらめた。そのうち飽きるだろうと高を括ったのだ。それがあとで大まちがいだったと気付くのに、そう時間はかからない。

 それにしても、噂以上に相当変わった男だ。アステリスは冷たくなってきた風を感じながらそんなことを思った。

 間もなく二人は砂漠へ入ろうとしていた。




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