一、奇跡と呼ばれた男
ディアの荷物受け取り所はにぎわっていた。カウンターでは女性職員が忙しそうに働き回り、荷物を待つ客がひしめき、終始名を呼ぶ声、ガヤガヤという雑音、大勢の人間の熱気と煙草の煙で、ちょっとした市場か祭りのように感じさせる。
そんな待合室で、男は一人、孤高を保つがごとく静かに座っていた。周囲の喧騒にも、むせかえる煙草の煙にも、臆しもせずびくともせずただ岩のようにじっと端座している。
歳の頃は三十そこら、腰のベルトの左右に短剣を一本ずつたばさんでいるが、しかしそれをよく見ると短剣というには長く、かといって長剣というほどの長さでもない。そのあまり見たことの無い武器の仕様からして剣士だろうか。
帽子に隠れてよくわからないが、銀の髪が時々きらりと光るのは印象的だ。瞳は、目深にかぶった三角帽の奥から見える限りでは、黒。かなりの知識をそなえた、それこそ紳士といってもよいほどの落ち着きのある輝きを放っている。口元に髭をたくわえているのはひとえにこの大陸の砂漠の熱気と砂混じりの風から守るためであろうか、それはよくわからないが、全体に鋭い印象を与えているのは変わらない。
いったいここで何を受け取るのか、彼は静かに自分の名が呼ばれるのを待っていた。
その大きな男が、荷物受け取り所に入ってきたのは、美しい黒髪の女が入ってくるのとほぼ同時だった。背丈は二メートル以上は絶対あろう。上半身裸なのは、まあ砂漠が近く暑いせいもあるから許せるが、終始顔に浮かべた下卑た笑いだけは、どうにかならないものだろうか。
女の方は、たいそう若く、黒い髪黒い瞳、きりとした眉がきつい性格と勝ち気さをよく表している。陽に灼けていて身体はよく鍛えられており、纏った軽鎧、腰に下げた竜牙剣を見れば、彼女が普段戦いに身を置いていることは一目瞭然だ。髪はこの大陸の強烈な日差しにされさられているであろうにも関わらず見事な黒で、腰のあたりまであるが切りそろえられてはいない。左の耳だけに長いピアスをしているのが印象的だ。どこかの遺跡か骨董の店ででも見つけたのかと思うような豪奢で精巧な造りで、細工は見事である。また彼女は手枷のような変わった型の腕輪を両の手にしていたが、それはそこにつけられた無数の傷から、戦場で盾のかわりに敵の刃を防ぐものだと容易に想像がつく。たいていの女戦士は、邪魔だからという理由であまり装身具はつけないものだが、彼女はそんなことにはおかまいなしなのか、額には細い銀環がはめられていたし、首元には古代遺跡の匂い漂う首飾りをしていた。しかしやはりさすがと思われるのは、指にはいっさいの装飾をしていないこと、それらの装身具が、豪奢なわりに絶対に歩いていて音をたてないということだった。
とにかく女は美しかった。
彼女はすたすたと慣れた足取りでカウンターまで行き、そこで名を告げ、
「荷物待ちなんですけど」
と言った。言われた女性職員は、じろりと彼女を見上げ、そんなことはわかってるわよ、とでも言いたげな目で彼女を見ると、
「わかってます」
と言った。とてもとても接客業の人間の態度ではない。女はムッとしたように一瞬眉を吊り上げたがすぐに、
「……あのー、それで?」
と聞き返した。どうすればいいのかわからない以上、出直すのか、ここで待つのか。
「だから、待っててよ。そこの辺が空いてるでしょ」
女の口元がひく、と引きつった。
(待っててください、でしょぉ?)
ここの女性職員は、いつもこうだ。誰が払ってる金で生活しているのか、一度よくわからせたい気分にさせたいようなこの無礼さ。わからないことがあって尋ねても、「そんなこともわからないわけ?」とでも言いたげな上目遣いでじろりと見上げる。しかもそれが答えになっていない場合が多い。そのくせ若い男には掌返したような素敵な笑顔。
最初は面食らうかムッとするかのどちかだが、こう毎回ではたまったものではない。女はチッ、と舌打ちしてからその場を離れた。
一方の大男の方は相変わらず卑しい笑みを浮かべながらカウンターの方に歩いていき、女がカウンターの受け付けを済ませたのを見ると、にやにやと笑いながらそちらへ近付いた。岩のように静かに座っていた男が、その足取りに鋭い視線を向けた。
「!」
そしてそれは次の瞬間起こった。
「キャアアアアアアアッ!」
そこにいた人間は、女性職員が大男に捕らえられ、見るも恐ろしげな大剣をつきつけられているのを見た。
「へっへっへっへっ、おとなしくしな。おう! この女の生命が惜しけりゃあ、早く金持ってくるんだな」
そこにいた何人かの戦士、剣士、あるいは騎士たちは、一瞬腰に剣をやったが、すぐに女子職員につきつけられた大剣を見ておさまった。いわば人質、おかしなことをすれば、彼女の生命が危ないのだ。カウンターの奥から背の低い男が慌ててやってきた。所長だ。
「おう、お前が責任者か。金はあるんだろ? 持ってきなディヴェリン金貨五百枚」
「そそそ、そうはおっしゃられましても、そんな大金はすぐには……」
「嫌ならこの女を殺すまでだあ」
「キャアアアア嫌ああああっっ!」
黄色い悲鳴に、一人だけ背を向けていた先程の女は眉をひそめた。
「うるせえ女……」
「そうなりゃああんたの責任問題だぜ。どうする?」
「う……そそそそそそれは」
「嫌あ! 助けて! 助けてえ!」
今や誰もが立ち上がって一瞬の隙を見いだそうとしていた。とにかくあの哀れな人質を助けなければ。このなかで冷静なのは、あの黒髪の女と、相変わらず一人だけ静かに座っている男だけであった。
「うううう……」
所長はひとり滝のように汗を流している。
「キャアアアアアアアア! キャアアアアアッ!」
「ちっ、るっせえなあ……」
女はとうとうそのヒステリーな黄色い声に耐えられなくなったように呟き、立っていた柱の影からスッと出てきた。
「おっさん」
予期せぬ横槍に……そう、誰もが息を飲んだ。
「なななななんでえお前は!」
「……う?」
「そう、あんた。所長さんでしょ」
女はまったく大男を無視して所長に話をすすめている。
「うう……は、はい」
「いくらだす?」
「は……」
「あの女助けたらいくら出す?」
「な……ぬぁんだとう!?」
「い、いくらといわれましても……き、金貨五十までなら」
女は肩をすくめた。
「一回の戦分にもならないね。『砂漠のアステリス』も安くなったもんだ。さいなら」
女はくるりと踵を返して出口に向かおうとした。みせかけとか演技とかではなく、本当に出ていこうとした。そのせいで人質の女子職員がどうなろうと、知ったことではないようだった。
砂漠のアステリス!
その場に居合わせた者は、その名の持つ恐ろしさにしばし硬直した。
あの苛酷な土地砂漠に住み竜牙剣をつかいこなしては殺戮を繰り返す凄腕の傭兵。 ぞっとするほどの美しい容姿と冷酷な性格。戦いに身を置く者でその名を知らぬ者はおらぬ。
静かに座っていた男の膝が、ぴくりと一瞬動いた。
「お、お待ちください」
所長がアステリスを呼び止めた。彼女は立ち止まる。
「そ、相場は」
「百枚から」
「ひゃ、百枚……」
所長は絶句した。金貨十枚あれば一年は遊んで暮らせる。
「ま、払えないんだったらあたしは構わないよ。そんな女、死んだって損しないし。だいたいそんな態度悪い女、いっかいくらい死なないと直んないんじゃない」
再び帰ろうとするアステリスを、所長の半ば悲鳴に近い声が押し止めた。
「わ、わかりました。そ、それでは百枚で……!」
アステリスは立ち止まった。ちょうど大男と向かい合う場所にいる。ゆっくりと振り向いた彼女の瞳は静かに、だが爛々と光っていた。獲物を見つけた黒豹のようだった。
「ふーん。金貨百枚? 払えんの?」
「は、払いましょう! 百枚!」
静まりわたった受け渡し所内に、小さく女の声が響いた。
〈録音完了〉
アステリスはニヤリと笑った。
「オッケー」
ザッ……
ザシュッッ……
ぐちゃ、という音がした。誰もが、
(え……?)
と思って目をこすった。そして次の瞬間、大男の肩から腹にかけてが、真っ二つに裂けた。一瞬、アステリスは大男に向かって飛んだようだったが、それも手練れの戦士の幾人かが見えたのみ、竜牙剣を引き抜いたのかもすら、よくわからなかった。
「ふん、こんなクズ女で得しちゃった」
さして面白くもなさそうに呟いて顔についた血を払い、腰を抜かした所長に向かって、
「あんた、金は約束通り払いなよ。方法はディエンラ通りのルカス両替所に詳しく聞きな。もし払われてなかったらジェヴェイズ大陸からでも舞い戻ってその女殺してからこの受け渡し所めちゃくちゃにすっからな。いいね」
アステリスは言うと、カウンターでちょうど出されようとしていた自分の荷物をめざとく見つけ、奪うようにして受け取ると、静まり返った所内を尻目に、さっさと出ていってしまった。彼女が出ていくのを見計らって、それまでずっと座っていた男も、スッと立ち上がるとカウンターに行き名を告げ、
「ああそれだ。ありがとう」
と言って荷を受け取り出ていった。
所内は静寂と血の匂いに包まれた。
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