⇩最終章 エンドロール⇩
第43話 アンコール
地下通路は涼しげでしたが、霜の名残りすら足元の煉瓦に伺えません。僕は地上へ伸びた階段を目前に認め、二つの人影が手前の広場に佇んでいます。
「ヤツエ、ヤツエなのね」
中年の女性が腕を広げて、僕にひたひたと近づいてきます。全身を目前で眺め回し、彼女の腕が僕を抱きました。
「大きくなったな」
中年の男性が、僕の背中を優しく叩きます。分厚く硬い手は温かく、僕は階段を降り始めた陰の輪郭に気付きました。
女性が僕から離れ、ハジメが遠くから向かってきます。彼は目尻を下げ、口元に微笑を浮かべていました。
「魔王を倒したそうだな、よくやった」
「先生、この子はもう戦わなくて良いのでしょう」
女性が僕の手を握って、包み込みます。
「ええ、もう平和です。穏やかな日々に戻りましょう」
「ヤツエ、何が食べたい」
「僕は、鶏の煮込みが食べたいな」
「あなたには聞いてないの」
父が弾けたように笑い、皆の呵々大笑する声が広間に反響しました。ハジメが、階段に一歩踏み出します。
「さあ、行こう。ヤツエ」
彼は僕に腕を伸ばし、掌が仰向けにそっと開きます。三人の手が僕に開かれ、そして、彼らの身体がひび割れに砕けました。
「おい、ロウゲン、目ぇ覚めちまったぞ」
無数の小さい欠片が、広間を飛び交っていました。シャマナが顔を押さえて、膝を付いています。
切創が彼女の体表に散在し、白い液が皮膚を伝っています。僕は薄い氷刃を生やし、視界が赤く染まりました。
眼球を癒して、顔面を氷の仮面で覆います。魔人を透明な壁の向こうに捉え、氷の棘で覆った拳がヤハギの顎を砕きました。
「一抜けかよ、付いてねぇな」
「正確に言えば、三人目だ」
「死際だぜ、優しい嘘ぐらい付け」
ヤハギが塵に消え、シャマナと階段へ向かいます。足が階段の手前で空回り、振り向いた彼女の頬が白い涙液の跡に濡れていました。
「あ、ああ、聞こえてますか」
女性の声が横から発せられ、ジュネが壁際に立っています。
「大丈夫だ、ケーナ。通じてる」
「ええと、皆さん、そこは敵を全員倒すまで通れません。じゃ」
声が止み、砂利を踏んだような音が背後で立ちました。僕は振り返り、ロウゲンを氷塊で殴りつけます。
「ロウゲン、ちゃんとやれ」
「刃が刺さってますよ、ジュネ」
「僕は、いいんだよ」
僕は土煙の舞う中で振り返り、シャマナが少年を切り裂いていました。
「果てに向かえ」
ジュネが土塊と化し、駆け出した僕たちの足が土を蹴り上げます。地上に到達し、人々が扉前の広場でたむろしていました。
身体の彼方此方が崩れ落ち、地面を這いつくばっている者も居ます。彼らは僕たちの姿を認めて、緩慢な足取りで群がり始めました。
氷で彼らを薙ぎ払い、教会の本堂に駆け込みます。ファザードを抜け、壊れた馬ぞりと巨人を雪の積もった並木道に認めました。
木と背丈を同じくした巨体の胴体が、蠢き始めます。外表を覆う死体が穴を形作り、一人の上体が穴から生え出しました。
森の広場で見た表情が、生えた顔に浮かんでいます。
「ヤツエさん、私が」
シャマナが氷刃を生やし、前に出かかりました。僕は彼女を引き止め、術文を巨人に向けて唱えます。
「大ゲリール」
翠色の光が巨体を包み込み、シノ、アイスケ、リク、クミ、アコウがボトボトと地面に落ちていきます。上体を為していた人々は下々の人を押し潰し、地表で弾けて、割れた音を立てました。
人の絨毯が周囲でうめき声を上げており、ハジメの遺体と魔人だけが様子を異にしています。
「聞こえないのかい。皆、苦しんでいるよ。生き返らせるなんて、冷たい奴だな」
魔人が顔を人の山から出し、体液に塗れています。僕は、氷の杭を腕に生やしました。
「大術士。お前のせいで、また死んだんだよ」
彼が口角を上げ、杭が顔面を穿ちました。全身を串刺しにし、砕けた身体が体液に染まります。
少年が並木道の向こう、門の手前で拍手しました。
「おめでとう、その調子だ」
僕はジュネを打ち砕いて、町内をシャマナと共に駆け抜けます。雪化粧した農地を通り抜けて、関所に差し掛かりました。
微かな獣の声を沈沈とした雪道に聞きます。狼の群れが姿を大きくし始め、街道脇から駆け向かって来ました。
彼らの歯が僕たちに食い込み、牙が体表を切り裂きます。僕たちは白い血を流して、刃で腹や首を掻っ捌いていきます。
柘榴色の臓物と血が、白い地面を彩り始めました。棍棒が頭蓋を砕き、氷刃が背骨を分断します。
「行きましょう、明るいうちに」
シャマナの足が腑を踏み潰し、僕たちは狼の上を駆けていきます。赤い足跡が線となり、白星町が後方の雪空に溶け去りました。
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