第40話 決戦

 トンネルを抜け、一面の泥炭地が僕たちを迎えました。生える草木は一片も見当たらず、水溜りが黒く湿った地表に点在しています。

 空は霞に灰白く、僕は地面に刺さった二本の剣を認めました。一つは翠色の剣身、残るは黄色の剣身。

「いい景色だろう。音は静かで、遮るものもまた無い」

 魔王は二本の剣に傍立ち、振り返って、僕たちと相対します。吹いた風が、衣と髪を揺らしました。

「終わったら、どうするつもりですか」

 シャマナが、問います。

「残っている人間を根刮ぐ。雨が降ってもなお、屋根の下で凌ぐ者たちが居る、あの王族のようにな」

「なぜ、それほどに憎むのですか」


「憎んでなどいない」


 魔王は、掌を地面に刺さった剣の柄頭に添えます。

「一連の流れは摂理で、道理なのだ。永久に走る輪の轍、円状の筆跡に浮かぶ一介の泡沫に過ぎない。私たちも、君たちも」

「不可解ですね」

「構わん、説教は最早意味を成さない。試合が始まれば、駒には明日を考える余地が無いように」

 彼は、柄を指でトントンと叩きました。

「身を守るため、なら了解可能か。それで、貴様たちはどうする」

「雨を止ませます」

「残念だが、これは降り続ける。雨雲が世界を覆い、やがて暗寒の地と化す。そういう風に作ったのだ、ショームが」

「何か方法が、あるでしょう」

 シャマナは掌を握りしめ、亀裂が氷の手に走ります。

「ない」

「なぜ」

「そうなっているから、だ」

 魔王が、円を泥地に足で刻みました。

「雨は、止まない。ならば、貴様たちはどうする」

「わたし」 

「答えないのか。刃を交えてからでは、遅いぞ」

「私たちは」

 彼女は僕の手を取り、水が踏みしめた足の分だけ泥から染み出します。

「共に、生きていきます。何があろうと、死がふたりを分かつまで」

「貴様はともかく、横の彼奴はどうだ。人は死ぬ、魔人と違って」

「魔人も、死にますよ。砕けて、塵となる」

「後を追う、と」

 シャマナが僕の手を強く握り、魔王は二本の剣柄を握りました。

「貴方に勝って、実証します。魔人と人が争う、それ以外の可能性を」

 魔王が、剣を地面から抜きます。鞘の剣が抜かれて、紅紫色の光を放ちました。

 三本の剣が中空に浮かび並列して、吸い込まれ合うように融合します。一振りの剣だけが残り、剣身は視界に開いた穴のように黒く染まっていました。

 剣が、魔王の手中にゆっくりと落ちていきます。

「まさか、これを使うことになろうとはな」

 彼は柄を握り、暗黒の剣身が周囲の像を歪めました。空気が泥炭地の表面で揺らぎ始め、橙色の炎が各所から上がり立ちます。

 灰色の煙霧が立ち込め始め、霞んで見える魔王の剣が煙を飲み込んでいました。

「これは、何も切れない剣だ。触れたものを全て吸収して、ただ収奪し尽くす。与えることも無く」

 魔王は暗黒色の剣を構え、炎が空気を暖め始めます。透明な雫が、シャマナの腕からぽつぽつと滴りました。


「では、始めようか」


 魔王が燃える泥土を踏みしめ、泥が彼の駆け出すと共に後方へ跳ね上がりました。彼は僕を真っ先に狙い、噴き出した炎が視界を暖色に染めます。

 僕が近づいてくる水音を頼りにして、氷の杭を打ち込みました。空を貫いたような感触が、します。

 黒い剣が炎の中から表れ、杭から覗いた剣先が腕の根本へ走ってきました。僕は右腕を手放し、後ろに飛んで距離を取ります。

 白い粘液が肩の切断面から溢れて、欠損部を元の姿へ形作りました。

シャマナが魔王の側面から表れ、氷剣を振り抜きます。

 魔王は剣身を傾けて、面を刃へ垂直に構えます。氷剣が暗黒に飲まれていき、魔王は剣を彼女に押し出しました。

 穴がシャマナの身体へ剣の輪郭状に開き、彼女が分断されます。白液が身体を剣の通り過ぎた傍から継いでいき、氷の小さな棍棒が魔王に欠け傷を作りました。

「一筋縄では行かないか、どれだけかかるのやら」

 噴炎が氷の武器を溶かし、白い芯が顕になります。近寄れば剣が待ち受け、距離を取れば火炎に焼かれました。

 剣を受けるという致命的な戦法を避けて、回避にひたすら徹します。魔王が剣を振り抜いた隙を付きますが、致命打には至れません。

「ヤツエさん、腕です、剣さえ奪えれば」

 シャマナが白液を継ぎ線からぼたぼたと垂らしながら、魔王の攻撃に食いつきます。業火が彼女を包み、土の部分だけ残りました。

「いい判断だ、相手も急所を踏まえている点を除けばな」

 剣のぶつかり合う音など無く、無音の軌跡が僕たちの身体を滑っていきます。氷の棍棒が黒剣に受け止められて、切断されてなお推力を失わず、防御した魔王の片腕を打ち砕きました。

 彼が吹っ飛び、泥土が衝撃を和らげます。黒泥に塗れた彼が、泥をすくい上げました。


「貴様は、気付いているようだな」


 僕は視線をシャマナへ向け、泥土を纏った姿を認めました。白い出血は見当たらず、眼球だけが汚れない輝きを保っています。

「決戦に相応しい場とは、なにも佳景や故郷への感傷のみで選ばれた訳ではない」

 彼の掬った泥が腕の形に整形され、損傷部を補いました。

「地面とは、つまり主であり源なのだ。親が子を守るように、魔人がこの地で討たれることはない」

 燃えた泥の面影が、彼の腕に走る微かな火線から伺えます。

「私たちも、死ぬつもりはありません」

「それはそうだ。私だけが得する訳では、無い。泥は水を湛え、やがて凍る」

「あなたは」

 シャマナが、一句区切りました。

「何がしたかったんですか」

「言っただろう」

 彼が腕の握りを確かめ、暗黒の剣を再び構えます。

「考える暇は、我々に無い。この瞬間こそが、全てだ」

 魔王は剣を掲げ、幾つもの火柱が背後の噴煙を穿つ。彼の姿もまた、剣身のように黒い陰に染まった。

 僕たちも、得物を構える。氷は青白く透き通り、雫でさえも仄かな光を放っていた。

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