第34話 水の中
波は魚を砂浜に打ち上げ、目が白く濁っています。
「あなた方は、塔を守っているのですか」
シャマナが、氷柱を腕から生やしました。彼らの一人が、両手のひらを此方に見せます。
「戦意は、無いよ。君たちの探索を邪魔するつもりもない」
「では、どうしてここに」
「ケーナの頼み、だからね」
女性の方が、問に応じました。
「そんな大層なものじゃないの。ただ単に、偶然ここにいた魔人が私たちだったというだけ」
「そうそう」
二人は、湖に再び顔を向けます。
「なんで、ここに居るんですか」
「来た理由は、町を壊すため。それが終わって、あとはこの通りってわけ」
「元々、二人で色々なところを周ってたんだ。魔王様の命とは、関係なくね」
「人を襲ってたんですね」
男性が小石を拾い、湖面にゆるく投げました。丸い音が立ち、水面に波紋が生まれます。
「少しはね」
「反撃していただけよ。無闇に殺めてはいない」
「湖に入った私たちをその能力で殺すつもりでは」
二人は、顔を見合わせました。
「出来るかもしれない、でも」
「でも」
「そうしたら、あなた達は私たちを殺すでしょう」
「そうですね」
女性が、手近な砂をすくい取ります。水を含んで暗く染まった砂が、元の明るい薄茶色に戻りました。
「私はカンカ。脱水できるの。例えばその貴方の腕を、あ、これは害心を持ってやる訳じゃないわ。それって、氷でしょう」
「はい」
「腕はまた生やせるの」
「できますね」
彼女がシャマナの腕に視線をやり、腕は表面から徐々に小さくなっていきます。そして、氷の腕が蒸発しました。
シャマナが、肘から先を再構成します。
「貴方も、魔人かしら。御名前は」
「シャマナです」
「そう。それで、こうやって無力化は出来るし、そちらのお兄さんも殺せるかもしれない。でも、それは本意では無いのよ」
「私たちを止めなくて良いんですか」
「正直、どうでもいいんだ」
男が、カンカの隣で呟きました。カンカの前に打ち上がった魚が、干上がって皺だらけになります。
「ケーナさんの頼みでしょう」
「多分、彼女もそこまで乗り気じゃないと思うよ。今残ってる人は、だいたい皆そうじゃないかな」
「意欲を持った人たちは、どんどん居なくなったからね。貴方は、どう」
二人の目線が、シャマナを捉えました。
「私は、ヤツエさんに付いていきます」
「そう。じゃあ、お互いに似た者同士ってわけね」
僕たちは、波打ち際に立ちました。水が足にまとわりつき、人肌とそう変わらない温度です。
「ああ、そうだ」
背後に振り向き、男性が自身を指していました。
「シャマナさん。もし水中で怪我したら、戻ってくるといい。治してあげるよ」
「了解しました」
「じゃ、いってらっしゃい」
僕とシャマナは湖心の方へ向き直り、入水しました。
「綺麗ですね」
シャマナが水面を指差し、波の裏側が空と水中のまだら模様を描いています。漏れ込んだ光が筋となり、彼女の広がった髪が煌めいています。
碧色の水中をかき分けて進み、黒い影が前方に見えてきました。シャマナが僕の方へ向き直り、手を動かします。
「遺跡でしょうか」
僕たちは湖底に降り立ち、土が足元で舞い上がりました。シャマナの腕が白く光り、温い水中を照らし出します。
ヒトデや白いにょろにょろが、横たわった魚に混じって底に沈んでいました。生き物の絨毯の上を進み、湖底都市へ泳いで行きます。
地面が、土から石畳に変わり始めました。街路の上を進み、変色した藻の茂る街並みを通過します。
「静かですね」
僕は、シャマナの手話と唇を読みます。気泡の湧き上がらない彼女の口元とは違い、僕の肺は湖水と微粒子で満ち満ちていました。
都市の緩やかな下り坂を進んでいくに連れ、周囲はより暗く青緑色を濃くしていきます。僕たちは一旦水面に向かい、水上から顔を出すと湖心まで辿り着いていました。
水面下に再び沈み、下り坂を更に進みます。朧げな光を進行方向に見出し、やがて、そびえる円柱状の影を水闇の向こうに認めました。
塔は広場の真中心に立っており、幾つもの街路が広場から放射線状に走っています。光が塔の屋根下に灯り、広場に面した外壁をかすかに照らしていました。
僕とシャマナは塔の周囲を探り、手形の付いた板を外壁に見つけます。彼女は掌を手形の窪みにはめ、青白い光線が塔外壁の隙間を縫って広がり、上方へ向かい出しました。
僕たちは、水を掻いて水上に向かいます。顔を水面から出し、辺りを見回しました。
視界を埋めるほどに巨大な光の壁が粒子に解体され始め、さざ波に反射した鏡像が僕たちの顔を照らします。解体は地平線の向こうまで達し、灰色の空が再び仄かな明るさを取り戻しました。
僕たちは元来た場所の位置を確認し、並んで水面を泳ぎます。水の色が段々白み始め、足を浅くなった湖底に着きました。
「終わったみたいだね」
男の魔人が、口角を上げました。
「大事は、無かったかい」
「無事ですね」
「それは、何より」
男は上体を傾け、砂浜で仰向けになりました。腕を頭の後ろに回し、彼の瞳が曇り空と霧雨を捉えています。
「あなた達は、これからどうするんですか」
「まだしばらく、ケイとここにいるわ」
カンカは足を曲げ、両肘を膝の上に乗せました。手が、ふらふらと揺れています。
「私たちは、北へ戻ります」
「ええ、ケーナによろしく」
「さよなら」
ケイが手を振り、僕たちは湖畔を後にしました。進んできた道を逆に戻り、馬車を瓦礫の前に認めます。
「では、行きましょうか」
御者が馬へ向き直り、車輪が荷台の下で回り始めました。幌の隙間から見える南都は霧雨に溶け出し、平原の向こうに消えていきます。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます