⇩第五章 境界成すメンブレイン⇩

第30話 赤縄

 夜明けが銀色に染まり、変わらない雨音が僕の目を覚まします。馬車を街道まで押し、ぬかるみから抜け出しました。

 僕たちは無人の関所を抜け、白星町に到着します。街頭に人気はなく、大工たちの姿も修理途中の建物に見られません。

「ヤツエ様、寄っていかれますか」

 枯死した街路樹の枝下をくぐり、診療所の勝手口を開けました。湿り気のあるこもった匂いが建物内に立ち込めており、汚れたシーツが洗濯場に積み重なっています。

 病室は無人で、外の光が締め切られた窓からカーテンに映っていました。

「ここの本、幾つか持っていってもいいですか」

 僕は本棚の背表紙たちを一つずつ指差し、彼女が頷いたものを取り出します。書籍を袋に詰め、僕たちは背を歯抜けになった本棚に向けました。

 抱きかかえたシャマナと本を雨からケープで守り、荷台に彼女たちを乗せました。馬が音をミシミシと立てて、再び走り始めます。

 僕の手がページを捲り、膝に乗ったシャマナが合図を出すとページを再び進めました。やがて、馬車が止まります。

「私だ」

 ヒサトが顔を幌の前方から外へ出し、金属が軋む音が辺りに響きます。馬車隊は並木道を進み、教会の本堂前に停車しました。

 教下隊と僕たちは、足を水面に降ろします。濡れた土の感触を靴底で感じながら、ファザードの扉前まで歩きました。

 扉が開け放たれ、僕たちは足を薄暗い堂内に踏み入れます。人影を奥の交差部に認め、途端、彼らの一人が松明を灯しました。


「やあ」


 町長と町属部隊が武装し、内一人の持つ槍に刺さるは教師長の首。紅斑が彼らの身体に散在し、息も絶え絶えに肩が上下しています。

「教下隊長。貴様ら教会が、仕組んだのだろう」

「何の話でしょうか」

「その言は聞き飽きた。真実を言え」

 町長が、剣先を僕に向けました。

「術士が、復興には不可欠だ。だが、貴様らから借り受けた術士では役者不足だ。大癒術士が要る。そして、腐敗した教会は本日を持って取り壊し、私たちが白彗星もろともこれからは管理する」

「敵は、魔王でしょう。同士討ちしている場合では」

「貴様らを同士と思ったことは、ない。なあ、ヤツエくん、君は此方側だろう」

 松明の火が揺らめき、町長が持つ剣身に光がちらつきます。火はまた彼らの奥、内陣に置かれた御神体も照らし出し、灰色の闇に浮かんでいました。

 町長が剣先を変え、シャマナを指し示します。

「その子供、腕は治さないのか」

「彼女は、魔人ですから」

 ヒサトの言を聞き、町属部隊が剣を鞘から抜き始めました。町長が、シャマナを顎で指します。


「要らないな」


 僕は、剣を抜いた。

 シャマナを教下隊員に預け、残りの隊員とヒサトが氷刃を生やす。

「火を放て」

 町属部隊が松明を放り、炎が堂内に燃え広がった。

「油か」

「ヒサト隊長、挟撃されます」

 ヒサトと目が、合う。

「ヤツエ様、中をお願いします。私たちを信じて、シャマナ様はお任せください」

 教下隊長たちが、冷たい雨の降る外に向かった。僕は片指を切り落とし、火に向かって駆け出す。

 肌と喉が焼けるや否や瞬時に癒やし、袖廊の出口を潜ろうとした隊員に抱きつく。燃え続ける服が彼を包み、僕は放った指から復活する。

 隊員の剣に貫かれ、血が剣身を渡った。剣が僕の自重でたわみ、前のめりになった彼の顔を蹴り飛ばした。

 たわんだ剣を広い、切りかかってきた別の隊員の一撃を受け止める。膝を蹴られて体勢を崩し、別の隊員が僕を槍で貫いた。

 隊員たちが、固定された僕の身体に群がろうとする。僕は傷口から血を掬い、口に含んで前方の敵に吹きかけた。

 僕は彼の鼻腔内から復活し、頭だったものが周囲に撒き散らされる。幾つもの剣先が上方の僕を狙った。

 剣が床に跳ねる音を聞く。死体が本堂の床を少しずつ、だが、確実に埋めていく。そして、町長が膝をついた。

「やれ」

 僕は、ただ一人だけ身廊に立つ。教下隊へ加勢するために駆け出した。人間たちが、雨空の下に横たわっています。

「増援は、無いようですね」

 ヒサトが腕を降ろし、氷の刃が砕けて霧散しました。

「では、下へ行きましょう」

 僕はシャマナを抱き上げ、一行は教会地下への扉を目指します。広間の天井は崩落しており、水溜りが上り框の下を流れていました。

 地下通路を進み、白彗星の傍までやって来ます。僕はヒサトに促され、シャマナと向かい合うよう位置取って座しました。

 白いアミュレットをヒサトに手渡し、彼の手中に三つのアミュレットが握られます。彼が僕たちの間に立ち、教下隊の面々が僕たちを挟んで白彗星と正対するように整列しました。

「死がふたりを分かつまで」

 氷人が、僕とシャマナを月のように青白く光る彗星の下で結びます。彼が全てのアミュレットを氷の器に入れ、僕は器を受け取りました。

 器を握り、アミュレットが溶け始めます。白く滑らかに、仄かに発光する液体を一口含みます。そして、僕は中腰になり、シャマナの傍にすり足で近づきました。

 手を彼女の後頭部に添え、器を彼女の口元で片けます。シャマナが半ば目を閉じ、アミュレットが喉を落ちていきました。


「あっ」


 彼女が目を腕に落とし、白い水が肘の断面に走った亀裂から漏れ出てきます。水は徐々に凍り始め、仄かに青く透明な腕が形成されました。

 シャマナが器を僕の手から受け渡され、彼女が立ち上がります。凍てつくように丸い指の感触をうなじに感じ、目が二つの冴えた月と合いました。

「ヤツエさん」

 器が唇に当てられて貼り付き、水が通り道の熱を奪い取っていきます。白い水の隠していた底が見え、シャマナが器を下げました。

 吐く息は透明で、僕と彼女は手を取り合います。人肌の熱に違いなく、彼女の手甲に付けた唇もまた同じ。

 柔らかな拍手が教下隊から上がり始め、音の波が大空洞になみなみと伝播していきます。彗星の変わりなく、青白い光に満たされながら。

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