第29話 底冷え

 馬車が、市街地に入る手前で止まりました。僕はシャマナを抱え、荷台から降ります。

 隊員たちが先導し、首都の大通りをゆっくりと進みます。平時の賑やかさはどこかに消え、町は瓦礫と炎に満ち満ちていました。

「迂回しましょう。あちらの道から繋がってます」

 地形が地面に空いた穴や倒壊した家屋で変化しており、シャマナが記憶を頼りに僕たちを案内します。

 首都庁舎、だったものが前方に見えてきました。建物は広場だけを残して全壊し、二つの人影を空地に認めます。

 ツルミが弓を放ち、目標に到達する前に宙で燃え尽きました。火の手が上がり隊員たちを飲み込み、翠色の光が表層の炭化した彼らを包み込みます。


「来たか、大癒術士」


 首長像の台座に腰掛けた背の高い男が、言を発しました。頭部を失した銅像は白いアミュレットを首にかけ、火の粉が広場のあちらこちらで舞っています。

「その女、魔人か」

「魔王様。彼女が、シャマナです」

 ジュネが、面を伏して補足しました。

「ふむ」

 魔王が、顎をつまみます。町のパチパチと燃える音が、広場にも漏れ込んでいました。

「術士。貴様は、そいつとなぜ今も連れ立つ。両の腕を失くし、最早剣も振れないそれに関心を寄せる訳は」

 シャマナが、全身を腕の中で強張らせます。火事の炎が、彼女の瞳に反射して揺らめいていました。

 魔王が、台座から飛び降りて足を地に付けます。

「それが、可能性というわけか。魔人と、人との」

 彼はジュネに目配せし、ジュネが懐から出した瓶を受け取りました。

そして、手を蓋に掛けます。

「気が、変わった。方針を変える」

「はい」

 魔王が封を開け、蓋をジュネに手渡しました。火が、彼らの足元で燃え立ち始めます。

「機が熟したら、西に来い。決着をつけよう、我らと貴様ら、どちらが道理を踏まえていたのか。だが、」

 瓶が傾けられ、中身が火炎に飲み込まれました。黒黒とした煙が上昇する空気に乗って、空まで吸い込まれていきます。

「この先もまだ、生きていられたら、だがな」

 暗く重たげな雲が上空に生まれ始め、岩土の湿る匂いが立ち込めます。

「鉄より重い雨、ショームの置き土産だ」

 魔王が雲を見上げ、小雨が彼の頬を濡らします。瞬間、空まで届くぐらい巨大で分厚い炎の壁が、僕たちと彼らの間を埋めました。

 音がばちゃり、と立ちます。顔を出処に向けると、ツルミが水たまりに突っ伏していました。

 僕はシャマナをそっと降ろして彼に駆け寄り、体を起こさせて顔を水面下から引き出します。彼の視線は固定化され、唇が半開きになっていました。

 水の跳ねる音が、引っ切りなく周囲で立ち始めます

 大癒術をかけ、復活した彼の目が見開いて僕を捉えます。そして、うめき声を上げたかと思うと全てが再び脱力しました。

「もういい、ヤツエ。すまない、止めてくれ」

 再度復活した彼が僕の肩を掴み、指が徐々に弛緩して腕を僕の腿に落としました。

「この苦痛から、解放してくれ」

 ツルミの消え入りそうな声が、雨音に飲み込まれていきました。

 街中に広がっていた火炎も雨に鎮まり、僕はツルミの体を静かに横たえます。手で彼の目蓋を閉じ、隊員たちにも同じ所作を繰り返しました。

 同じ姿勢で仰向けになった彼らが、広場に整然と並びます。瓦礫から廃材を持ち出して、簡易的な天幕を作ってシャマナと座りました。

 雨は止まず、水が土台を避けて流れていきます。灰色で明るい空が暗くなり、また明るくなりました。

「ヤツエさん、何かあったら起こしますよ」

 僕はシャマナの瞳を見つめ、眠り続ける彼らに習って土台で横になります。そして、目蓋を閉じ、闇に逃れました。

 覚め、再び眠る。感覚も体も、何もかもが冷え切っていく。


「ヤツエ様」


 誰かが、僕を呼んでいます。目蓋を開け、シャマナと目が合いました。

「お客様です」

 彼女が僕の上体を起こそうとし、無い腕が空振ります。僕は彼女をそっと抱きしめ、離れた後に振り返りました。

 白いケープが整列し、彼らの鏡像が広場の水面に揺らいでいます。最前列の中心に佇む男が顔を上げました。

「お久しぶりです。ヤツエ様」

 ヒサトが、僅かに微笑みます。

「お迎えに参りました」

 彼が二つの白いアミュレットを拾い、僕たちは馬車に乗り込みました。シャマナを荷台にそっと降ろし、馬の脚が水面を叩きます。

「腕を失くされたのですね」

 濡れた上着が骨組みの鉤に吊るされ、皿が滴った水を受けました。

「地下から出ても、平気なんですか」

「この寒さですから。日が、陰って久しい」

 僕は外を幌の隙間から伺い、枯れ草色の平原が流れていきます。遠景が灰色の空に滲み、冷たい雨が降りしきっていました。

 馬車が修道院に辿り着き、ヒサトが門戸を叩きます。湿った重い木の音がくぐもって放たれました。

「申し訳ございません、開口部を閉ざす決まりでして」

 扉から漏れ聞こえた声は弱々しく、雫が庇から垂れています。ヒサトが手を口元に添え、指向性を声に与えました。

「馬車を敷地内に停めるのは、構いませんか」

「どうぞ」

 御者が、馬車を塀に寄せます。野菜が菜園でドロドロに溶け、葉や実に泥が掛かっていました。

 僕は湿気り始めた堅パンを幌の下で削り、口に含みます。ヒサトが外に出て腰を伸ばしました。

「ヒサトさんでも、凝りを感じるんですね」

「ああ、これは慣習的な癖です。身体が、変性する前の」

 彼が、雲を見上げます。

「シャマナさんも、変わりたいですか」

 パンが口内の水分を奪い、僕は革袋の呑み口を口に当てました。雨がしとしとと降り、水気を含んだ荷台が軋んで音を立てます。

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