第28話 覚醒

 僕は息を吸おうとし、肺と腹に痛みが走りました。

「ヤツエさん、ヤツエさん、起きてください」

 目を辛うじて開け、馬乗りしているシャマナの瞳を認めました。彼女の顔に血が散らされています。

 僕は声に応えようとして咳込み、気泡の混じった血がシャマナの顔にかかりました。

「あ、ヤツエさん。よかった、よかった」

 僕は仰向けだった体を反転させ、液体を体から吐き切ります。傷を癒術で治し、シャマナが血に塗れた剣を地面に置いて僕の背中を擦りました。

 周囲を見渡すと、所々の荒れた畑が灰色の天下に広がっています。

「無人の関所を潜ったら、皆さん急に倒れてしまって。ツルミさんも、他の隊員方も」

 体が冷え切っており、風を避けようと物陰に移動しました。僕は無数の刺傷が服に残っているのに気付きました。

「それから何日も過ぎて、ヤツエさんがやっと目覚めたんです。癒術は効いていたようでしたので、命に別条はないと分かったのが幸いでした。それに、誰かに襲われることもありませんでしたし」

 シャマナが携帯食を馬車から持ち出し、僕は空腹を解消して喉を潤しました。一緒に持ってきた毛布をまとい、体が温まるのを待ちます。

 空に浮かぶ午前の陽光に当たり、体も滑らかに動けるようにおかげでなりました。

 僕はツルミを背負い、足を広がる畑の向こうに運び始めます。

「進んで大丈夫でしょうか」

 黒い鳥が畑の野菜をつつき、四足が土を掘り返した跡も目に入りました。シャマナが辺りを見回して警戒し、僕は北都の庁舎を目指して進みます。

 市街地に入り、廃墟と瓦礫が僕たちを迎えました。大通りを漠然と、しかし、何らかの確信とともに進んでいきます。

「ヤツエさん、これ、地図みたいですよ」

 シャマナがしゃがんで地面に顔を向けており、僕は割れた看板と破れた地図らしき紙片を認めました。

 庁舎があるはずの区画は、瓦礫に埋もれてます。広場を横切って様子を伺うと、一角が何事も無かったかのように残っていました。

 僕たちは、瓦礫の山に囲まれた一部屋に向かいます。部屋の壁は砕かれ、天井もなく、机と僕たちに背を向けて座る人影と距離を徐々に詰めていきました。


「まさか、私の術を破るとはね」


 彼の腰掛ける座面が回転し、僕たちは机を挟んで相対しました。

「貴方が、皆さんを」

 シャマナが鞘から剣を抜き、翠色の剣身が無彩色の廃墟に際立って見えます。

「そうか、君は人間ではない。そうだね」

「ええ」

「誤算だったが、時間稼ぎは出来た。さあ、やるといい」

 彼は指を組み、目を閉じました。

「抵抗、しないんですか」

「得意じゃないんだ、そういうのは」

「貴方を倒しても、目覚めないという可能性は」

「信じてくれるなら、夢は覚めるよ。幻だからね」

 シャマナが剣先を彼に向け、雲が上空を流れていきます。

「何がしたかったんですか、人を弄して」

「そうだね、でも」

 透明な槍が彼を貫き、全身にひびが入りました。

「良い嘘だった、そうだろ」

 彼の身体が砕け散り、塵芥となって壊れた天板に積もります。

 何かが僕の肩で動き、ツルミが目を覚ましました。シャマナが状況を説明し、彼は足を地面につけます。

「そうか。では、北都は既に」

 僕たちは馬車に乗り込み、町を後にしました。村で一夜を明かし、明朝に首都へ発ちます。

 街道を行くさなか、馬車が停止しました。

「また魔人かな」

「皆さん、あれを見てください」

 僕とツルミは荷台から降り、シャマナが顔を指差す方向に向けました。黒煙が街道の果て、首都がある方向の空にあちこちから立ち昇っています。

「先を急ごう」

 馬車隊が進行を再開し、街道を先よりも速く駆けていきます。僕は荷台のハンドルを掴み、乗員の各々が得物を手近に置いて備えました。

 崩れた関所が後方に遠ざかっていき、僕たちは停車した馬車から降りて前方に走ります。

「ジュネ」

 小柄の魔人の姿を認めました。


「やあ、シャマナ」


「どいてください、斬りますよ」

 シャマナが翠色の剣を構え、僕とツルミも戦闘態勢を取ります。ジュネが両掌を掲げ、指先をそれぞれ左右に向けました。

「僕に戦うつもりはない。それに、君たちが行ったところで首都が滅ぶことに変わりはない。魔王様直々の侵略だ」

「魔王が」

「死にに行くようなものだ、止めときなよ」

 風塵が舞い、ジュネが肩から両断されました。シャマナが、振り切った剣を再び構えます。

「急いでるんです、道を開けてください」

「ひどいな。向こうで合おう、シズキ」

 僕の視界が回転し、いつの間にか落ちていた腕とまだ宙を落ちている上体を見ました。痛みは無く、酷い耳鳴りもします。

 首から下を生やし、周囲を見回し、人影が剣を振りかぶっていました。彼が狙う先に居るのは、シャマナ。

 剣は、彼女の両腕を断ち切りました。手が翠色の剣を握ったまま空中を落ち、人影が剣を腕ごと捉えます。

 僕は彼女のもとに駆け寄り、再度振られた剣を胴体で受けました。僕は傷をすぐに癒やし、剣を彼に振ります。

 彼は攻撃をいなし、僕の足元を薙ぎ払った後で駆け出しました。振り返り、ツルミの部分たちが地面に散らばっています。

 場を離れないという判断は、結果的に、平原の向こうに遠ざかっていく襲撃者の背中、そして、シャマナの剣が小さくなっていく事態をもたらしました。

 無限に遠ざかっていた音が徐々に所定位置へ戻り始め、風が耳元に吹く音を聞きます。

 僕はツルミを復活させ、膝を付いたシャマナの元に近づきました。腕は両肘から先を失い、彼女の瞳が宙を捉えています。

「ヤツエさん、私は」

 シャマナの瞳が、僕と空の鏡像を写しています。

「もう、戦えません」

 魔人の彼女が流せる涙はなく、上空の雲が太陽を覆い始めました。地面に落ちた影の輪郭が、雲の広大な影に溶けていきます。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る