第27話 ハッピイエンド

 暁の雲が、広々とした休耕地を照らしています。青々とした山脈が、空をすみれ色に染まった魔王の向こうで覆っていました。

「では、始めようか」

 魔王が、剣を抜きます。剣身の一切が紅紫色に染まっており、ツツジを思わせる鮮やかさが仄かに発光していました。

 僕は腕を自傷し、血を周囲に撒き散らします。癒術を唱え、翠色の光が傷を包み込みました。

 お互いは微動だにせず、視界がゆらぎ始めます。


「他愛もない」


 ゆらぎが色づき始め、青色の火炎が僕の全身から立ち上り始めました。皮膚が縮むような激痛、皮下まで浸透する高熱。

「剣を振るまでもなかったな、人間」

 目が痛み、目蓋を閉じます。僕は地面に勢いよく転がり、転がって体中を泥に塗れさせました。

 ひんやりとした土が火を覆い、焼けた体表と気道を癒やします。僕は立ち上がり、魔王に向かって駆け出しました。

「そうそう、お前は死なないんだったな」

 魔王の掲げた掌から火柱が伸び、直撃した僕は全身を焦がしました。体を動かせるまでに回復し、彼との距離がどんどん広がっていきます。

 僕は手を口内に入れ、抜いた歯を魔王の方へ遠投します。火球が空に現れ、走り始めた僕は炎に再び覆われました。

 燃え尽きなかった歯から復活し、刃を首に上空で入れて首を彼に投げつけつつ、柘榴色の液体が首の血脈から勢いよく撒き散らされます。

「面白い、面白いな」

 体を頭蓋骨から生やし、魔王が炎の壁を周囲に展開しました。切り落とした左腕を炎の壁に投げつけ、まだ熱い骨から復活、魔王との距離を着実に詰めていきます。

 僕は踏み込み、魔王に斬りかかりました。火花が金属音とともに散り、剣がぶつかり合います。

「見せてやろう。この剣の力を」

 彼の剣は発光をさらに増し、瞬時、僕の剣を焼き切りました。赤熱した剣の断面に目を取られ、僕の左肩から侵入した剣が胴体を断ちます。

 切り口が白化して灰燼となり、風にそよいだ遺灰から復活、魔王の背後を取り、剣を中央に突き立てました。

 しかし、剣先はホツを魔王に付けるに留まり、僕は脱力して地面に突っ伏しました。撒いておいた血から復活し、また目眩とともに倒れ落ちます。

「空気が、薄いだろう。私の勝ちだが、貴様もよくやったほうだ」

 彼が剣を収める音を聞き、剣の収まる音が聞こえました。思考が円相を描き、終わらない循環のうちに遠ざかります。

 

 暗闇。


 何かが擦れ合う音が、聞こえる。硝子のような、氷のような。

 視線を発生源に向け、腕を伸ばす。丸くて白く、滑らかな。

 地面が見え、体を起き上がらせた。背中から吊られるように、上体が浮遊する。

「そのアミュレットの力、なのか」

 魔王が剣を抜き、僕の身体が火柱を受ける。熱せられた身体が蒸発し、靄となって周囲に拡散した。

 彼の背後に結晶化し、腕から生やした氷刃を首に突き立てる。熱で溶けた水が首から体中に浸透し、結晶化、氷となって膨張した水が魔王の体を打ち砕いた。

「お前の、勝ちだ」

 彼の身体が幾つもの土塊と化し、塵となって風に流れていきます。紅紫色の剣が地面に突き刺さり、土が熱を冷ます音とともに発光が静まりました。

 人々が遠くから向かってくるのが微かに見えます。僕の吐いた息が白く染まり、空に浮かぶ雲に溶けていきました。


「ご加減は、如何ですか」


 午前の白光が窓から差し込み、病室をあまねく照らしています。魔王がベッドに横たわり、ケイが彼の調子を傍で確認しています。

「問題ない。元通りだ」

 魔王が微かな炎を掌から立たせ、握り潰して消火しました。煙がほんのりと漂い、燃焼の香りを感じます。

「では、魔王殿。交流会の仔細はまた後日にお話できたらと思うのですが」

「そうだな、それで構わない。こちらも、案を練っておく」

 彼は、ロウゲンと目配せします。首長が、礼した後に病室を立ち去りました。

「これで、よかったのかもな」

「魔王様も、そう思われますか」

「ああ」

 魔王が、指先を僕に向けます。

「ヤツエ、次は負けんぞ」

「あはは、では、交流プログラムに異人種間の混合試合も組み込みますか」

「それでいこう。その方が、分かりやすい」

 魔王が高らかに笑い、病室の明るさもまた、より白さを増したように思われます。鳥の輪郭が窓の影に混じり、彼らのさえずりが北都の空に消えていきました。


「ヤツエさん、起きてください」


 誰かが、僕の体を揺さぶっています。目蓋を開き、寝室に差し込む白い光とシャマナの面を認めました。

「お寝坊さんですね、もうすぐ朝ごはんですよ」

 彼女の手の平が僕の頬を挟み、むにゅむにゅと揉まれます。彼女が優しげなしかめっ面を解き、ベッドを離れて扉に向かいました。

「ヤゲンさんも、待ってますよ」

 シャマナが振り返ってにっこりと笑い、綺麗な歯が輝きます。僕は肘をついて上体を起こし、彼女が背を向けて軽やかに立ち去りました。

 階段を下り、二つの人影を居間に見ます。白い皿が食卓には並び、色鮮やかな野菜や卵料理が配膳されていました。

 僕は顔を水場で洗い、席に付きます。

「じゃ、食べようか」

 ヤゲンが腸詰めの一切れをフォークで刺し、口元に運びます。シャマナが湯気の立つカップを持ち、そっと飲んでいました。

 僕もフォークを持ち、目玉焼きの黄身を刺します。舌に粘性の液体が広がり、パンを千切って口に含みました。

「シャマナちゃん、おかわりあるよ」

 ヤゲンが、椅子を引こうとします。

「あ、大丈夫です。私が、行きます」

 シャマナが軽くガッツポーズをし、彼女は僕たちの微笑みを背にキッチンへ向かいました。

「ヤッくん、楽しいね」

 ヤゲンが、カップを持ちました。一口飲み、卓上にそっと戻します。

 破裂音。何かが落ち、散らばる音がキッチンの方から聞こえました。

「でもね、これはまがい物なの」

 土煙が框を潜り、居間に漂い始めます。ヤゲンがいつの間にか傍らに立っており、彼女の両手が僕の頭を左右から挟みました。


「呼んでるよ」


 たまの擦れる音が、頭の中で聞こえます。ヤゲンは目を細め、笑みをそっと浮かべました。

「ほんと、世話が焼けるよね」

 僕と彼女の額が、触れ合います。頭を挟む手は優しく、しかし、首は固定されて動けません。

 口を開くことすら適わず、食卓、居間、家、周りを囲むすべてが壊れ崩れていきます。

「さよなら」

 彼女の面が白光に溶け、やがて、白が視界を埋め尽くしました。

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