第26話 首脳会議
シャマナが、白いベッドに横たわっていました。布が頭部に巻かれ、欠損を察させる凹みは見当たりません。
「いや、間に合ってよかったですよ」
男性が腕をベッド脇で捲くり、布を彼女の頭部から取り去ります。覆われていた髪が自然に垂れ下がり、欠損部の面影も今やありませんでした。
顔側面のひびも埋められ、目立った跡も確認できません。男性がシャマナに向け、彼女が首を振りながら患部の治りを見ていました。
「すごい。こんな力もあるなんて」
「彼の存在こそが、魔王様が休戦をお選びになった一番の理由ですから」
ロウゲンが壁にもたれかかりながら、自信気に頷きます。
「お互いに死を最早恐れず、而して戦う必要もなくなったのですよ」
「まだ、研究途上ですがね。他の魔人がラーニングできるかは、未知ですし」
「心配性だね、ケイ」
ロウゲンが、肩を大げさにすくめました。ケイが袖を元に戻し、皺を伸ばします。
「それに、あくまで休戦ですからね」
「魔王様が、近々ここに来られます。私も、改めて諌めさせて頂くつもりです。誰も、本当は争いなど望んで居ないのですから」
「そうですね。ああ、私は他の患者に用がありますから、これにて失礼いたします」
「私も、行くよ。お大事に、シャマナさん」
白いカーテンから透けた光が、病室をぼんやりと照らしています。シャマナが腕を上げ、二の腕が病衣の袖から覗きました。
僕は小椅子に座り、彼女の手を取ります。
「ヤツエさん、ご心配おかけしました」
手を布団の上にそのまま置きます。
「良い方々なのかも、しれないですね」
「やっほ、こんにちは」
入り口の方へ振り返ると、ヤゲンがにこやかに手を振っていました。
「あ、お花買ってくるの忘れた」
ヤゲンが一旦病室から出て、花束を持ってすぐに戻ってきました。キャビネット上の花瓶が彩られます。
「ヤゲンさん、ありがとうございます。いつ、来られたんですか」
「シャマナちゃんが寝てる間に。連絡が、白星町にも北都から来たんだよね。あちこちに送ってるみたい。で、ヤッくんにここのこと聞いたんだ」
ヤゲンがベッド脇の小椅子に座り、シャマナに腕をそっと回します。抱きしめた手が、背中を擦りました。
「無事で良かった」
「はい、すいません」
「なんで謝るの」
「むぐ」
ヤゲンが体をパッと離し、シャマナの顔を両手で優しく挟みました。
「ふふ、可愛い」
「むぐぐ」
彼女が手を離し、シャマナがにっこりと笑います。整った白い歯が、唇の間に並んでいました。
僕たちはシャマナと別れ、病室を後にします。二つの扉に挟まって設けられた窓が廊下に連なり、僕たちの影が朧げな輪郭を壁に描いていました。
「ねえ、ヤツエ」
前を先んじて進んでいたヤゲンが、振り返りました。半身が陰に埋もれ、後ろ手を組んで視線を床に落としました。
「もし平和になったらさ、シャマナちゃん」
彼女がつま先を床に立て、足首を回しています。
「シャマナちゃんとさ、三人で暮らせないかな。楽しいと思う」
ヤゲンが片腕と視線を上げ、小指を此方に差し出しました。
「約束、しよ」
僕も腕を同じ様に伸ばし、小指を彼女の小指に絡めました。壁の影が、指を結びます。
「じゃ、またね」
ヤゲンが笑みをこぼし、廊下の向こうに駆けていきました。
「そこの方、廊下では静かにお進みください」
「あ、すいません」
彼女の背中が外の光に溶け、僕も跡を辿るように出口を目指します。足音が、廊下の奥でかすかに残響していました。
「悪いが、それはできない」
凛とした声が、北都の庁舎内会議室に響きます。
「魔王様、ですが」
「ロウゲン、貴様も人間に存外絆されたようだな」
「っ」
魔王の鋭い視線が、ロウゲンに突き刺さりました。彼は目蓋を閉じ、後ろに一歩下がります。
首長が、静かに咳払いをしました。
「貴殿がおっしゃったご意見も、最もだと思われます。二人種間で交流する必要は、確かに無いかもしれません。しかしながら、それでは従来とほとんど変わらないではありませんか」
「十分では、ないか」
魔王が肘を卓上に付き、頬杖を突きました。
「その従来とやらこそが、物語っているだろう。人間と魔人は、一所に暮らせない。争いが、そこには必ず生まれる」
「不干渉は疑心に変わり、争いの火種となりましょう」
「最終的にそうなったとて、私は一向に構わん。仲間を失う悲しみも背負いきれぬほどに衰えては居ない」
「しかし、悲しいのでしょう」
「何が言いたい」
刺々しい唸りが室内に広がり、減衰していきます。そして、沈黙がただ降りてきました。
「お前らをまとめて今ここで燃やし尽くしても良いのだぞ」
「魔王様」
「黙れ」
ロウゲンが口を閉じ、首長も息を打つ手なしとばかりに鼻で吐きました。
「では、最初の案でよろしいな」
「魔王様、少々お待ちを」
ロウゲンは、シャマナを仰向けの手で指しました。
「シャマナさん、なにかご意見はございませんか」
「えっ」
彼女が、僕の隣で一驚します。
「シャマナ」
魔王の明朗な声が、足元からも響いてきます。
「そうか、名前はジュネから聞いている。力を首都で尽くしてくれたようだな、改めて、礼を言う」
「いえ、そんな。はい」
「だが」
魔王が、一句区切りました。
「貴様は、人側に今では付き、手を同族にまで掛けるに至った。そうだな」
「は、えっと、はい」
「ローナを殺すとき、どう思った。恨みでもあったか、清々としたか」
「いえ、わ、私は」
「どうなんだ、答えろ」
「ひっ」
シャマナが肩を震わせ、指を頻繁に組み替えています。彼女のうろたる声が、会議室にただただ吸い込まれていきました。
「おい」
「魔王様、答えるものも返ってきませんよ」
「私は、ただ尋ねているだけだ」
「そうですね。ヤツエさん、貴方はどう思いますか」
僕は目がロウゲンと合い、魔王の刺々しい視線も肌に感じます。
「ロウゲン。悪いが、こいつとは一番話したくない」
「彼女のスケッチと瓜二つでしょう」
「異論はない。だが、シャマナを絆した元凶こそが、この人間だろう。こいつに聴くことなど、何もない」
「左様ですか。言葉での対話を望まれないのですね」
ロウゲンは顎を大仰につまみ、しばし沈黙しました。彼が目を上げ、静かに、しかし、朗らかに述べました。
「では、決闘で決を取りましょう」
「はあっ」
魔王が戸惑いの声を上げ目を見開き、振り向いて横に立つ側近の顔を見上げました。
「正気か、お前」
「言葉を交わせなくても、拳ならどうでしょうか。それに、恨みが彼にあるのでしょう」
「くそっ」
魔王が額に手をやって俯きます。そして、精悍な顔を上げました。
「いいだろう。ならば、首長殿」
「はっ」
首長がつばを飲み込むのが分かりました。
「この人間が私に勝ったら、貴様の案を呑もう。だが、私が勝ったら此方の案を呑め。宜しいな」
「ええ、そのように」
「よし、いいだろう。ロウゲン、私を乗せたな」
「いえ、そのようなことは」
「白々しい」
魔王が一笑し、悠々と立ち上がります。そして、僕を指さしました。
「せいぜい、抗うと良い。貴様に勝ちなど、ありえないのだからな」
一同が、会議室を後にします。僕は夕日を背中に受け、陽光が首をじりじりと熱しました。
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