第25話 徒然に

 暗闇が目の前に広がり、誰かが僕を呼ぶ声がします。

「ヤツエさん」

 彼女の声、です。

「起きてください、ヤツエさん」

 目蓋が開き、光が網膜に焼き付きます。視界の赤みが徐々に薄れていき、白い天井とシャマナの姿を認めました。 

 僕たちは宿の一階に向かい、ツルミと合流して朝食を口に運び始めます。

「まさか、こんな事態になるとはね」

 ツルミが、フォークを目玉焼きの黄身に入れます。

「あのロウゲンという魔神に心当たりは」

「いえ、初めてお会いしました」

 シャマナが、カップのスープを口元に持っていきました。

「首長の返答次第、か」

 朝日が食堂の窓から差し込み、白い皿が窓際で光を放っています。僕は豆の煮物を匙で掬いました。

「とりあえず、私はこの街の様子を探ってみる。何かあったら、知らせるよ」

 宿の扉をくぐり、人々が朝の街路を行き交っています。ツルミは広げた手を下ろし、雑踏に混ざっていきました。

「私たちも、行きましょう」

 そよ風が吹き、陽光がシャマナの髪に反射して煌めきます。僕は彼女に従い、一歩踏み出して宿を後にしました。

 街路樹が道に木漏れ日を落とし、地図の看板が庁舎の前に設けてあります。数名の人々が、地図の前で何やら話していました


「少し、待ちましょうか」


 僕たちは、腰を近くのベンチにおろします。鳥たちが、日を庁舎前の広場で浴びています。

 空は青く、街は賑やかに落ち着いていました。

「なんだか、気が抜けますね。こんな事していて良いのでしょうか」

 街行く人々の顔に恐れは伺えず、暮らし働き、日常を過ごしていました。白く丸い雲が、青空でまばらに点在しています。

「でも、これで良いのでしょうね」

 看板前の人だかりが去っていき、僕とシャマナは北都の俯瞰図を眺めました。水路が町内に張り巡らされており、大規模な農地が郊外に広がっています。

「図書館というのは、本が置かれている場所でしょうか。何か知れるかもしれません」

 町民の話し声と足音が、街路に満ちています。僕は、道をシャマナのお陰で迷うことなく歩けました。

 身分を図書館で明かし、足を館内に踏み入れます。多くの本を見たのは、白星町の教会以来でした。

 僕は薄暗い館内を巡り、報知看板の原稿を棚に見つけました。配布された手袋を再度しっかりとはめ、書見机に持ち出して一枚ずつめくっていきます。

「北都も、ロウゲンたちが来る前はやはり緊張状態に合ったようですね」

 シャマナが、横でささやきました。

「魔人と幾度も交戦し、しかし、あの魔人がやってきて以降は休戦状態にある。昨日町長室で聞いた話と合致しますが、それ以上のことは書いてませんね」

 原稿の山を何枚もめくっては読みます。手がかりは結局得られず、紙束を元あった場所に戻しました。

「ツルミさんの言っていた通り、首都から命をいただくまでは打つ手がないようです。それにしても、沢山の本がここにはありますね」

 シャマナが一冊の分厚い本を棚から取り出し、封開くと髪とインクの匂いが立ち上がります。様々な草木や生物が紙に写し取られ、紙面上で綺麗に整列していました。

「内容が、診療所に合った図鑑とは違いますね」

 彼女の小さい手が一枚ページを捲り、目を通し終わると紙をまた一枚口元に笑みをたたえながら反します。

 僕は背中を背もたれに預けたまま、微睡みに沈みました。


「ヤツエさん、起きてください」


 肩をそっと揺さぶられるのを感じ、目蓋を開くとシャマナが微笑んでいました。

「ごめんなさい、熱中しちゃいました」

 僕たちは図書館を後にし、正午の鐘を青い街角に聞きます。澄んだ金属音が北都にこだまし、残響が青空に吸い込まれていきました。

 飲食店に立ち寄り、僕たちは昼食を囲みます。僕は葉物や肉を口に運び、シャマナはジュースを向かいで飲んでいます。

 ウィンドチャイムが鳴り、客が一人また入ってきました。僕はシャマナの口元をナプキンで拭い、彼女が目を伏せて微笑みます。

「なんだか、楽しんじゃいましたね」

 僕たちは当て所なく歩き、しばらくして宿への帰り道を辿り始めました。彼女が僕と向き合いながら、後ろ向きに歩きます。

「ツルミサンに申し訳な、あっ、すいません」

 乾いた音が、しました。彼女が振り返り、頭を柱に下げます。

「あはは、少し緩みすぎてました、ね」

 亀裂が、シャマナの横顔に後頭部から走り始めました。髪に隠れて見えませんが、衝突部も既に。


「えっ」


 彼女の表情とは不釣り合いなぐらいに小気味よい音が放たれ、後頭部がごっそりと割れて崩れ落ちました。

 シャマナが小刻みに震える手を後ろに回し、指が空中を撫でます。

「うそ。ヤツエ、さん」

 僕は彼女に駆け寄り、膝を落としそうな彼女に腕を回して支えました。お互いにゆっくりとしゃがみ、僕は手を彼女の顔に当てました。

 ひびが広がらないように助けつつ、周囲を見回します。

「あれ、あんたたち」

 中年の女性が僕たちの様子に気づき、小走りで寄ってきました。

「その子、魔人、よね。あら大変。ちょっと、そこのあなた」

 彼女が待ちゆく人々を呼び止め、何かを告げます。応じた人が頷き、駆け去っていきました。

「大丈夫、すぐ助けが来るわ。落ち着いてね、大丈夫、大丈夫」

 彼女が手を僕の肩に置き、柔らかい暖かさを感じます。

「大丈夫よ。大丈夫だから」

 シャマナの後頭部だったものが足元に散らばり、一部は軌跡を道に吹いたそよ風に沿って描いていきました。

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