第20話 韻

 獣の遠吠えが、不気味な程に静まり返った町に響き渡りました。一緒に駆けていたシャマナが辺りを見回します。

「そんな、もう来たの」

 僕たちは本堂に入り、教師が身廊で出迎えました。

「おや、何やらお急ぎですね。ヤゲンさんなら、変えられましたよ」

「ま、魔人が攻めてきます、今からこの町に」

「シャマナさんが、なぜご存知なのですか」

 彼女は逡巡し、事情を正直に説明します。

「そうでしたか。町属部隊員が敷地内におりますので、私共で彼らに至急伝えます」

 シャマナと共に本堂から出ようとしましたが、身廊を渡り切る前に教師から呼び止められました。

「シャマナさん。貴方も行かれるのですか」

「私は、あくまで捕虜なので」


「では、これを」


 教師長はいつの間にか姿を本堂に表しており、彼は鞘に入った一本の剣をシャマナに渡しました。

 彼女は、恐る恐る受け取ります。半鐘が遠くで鳴り、堂内にも響き渡りました。

「武器をお持ちでないようでしたので。以前ここを攻めてきた魔人の遺物です。手を破損部に少し加えましたが、実用には足るかと」

「私、剣なんて使ったことありませんよ」

「いえいえ、敵に当たるのは、あくまで隊員たちです。その剣は、保証に過ぎません。それにやはり、貴方はここに居られたほうが良いと思いますよ」

 雄叫びも町に上がり始め、シャマナは鞘をぎゅっと握りました。

「ヤツエさん。ローナは、狼を使役します。お気を付けて」

 僕は彼女を本堂に残し、ツルミたちと合流するために正門に向かって駆け出します。

 枝葉が風でガラガラと鳴っている並木通りを走り、門付近で警戒状態に当たっている町属部隊が目に見えてきました。

「ヤツエ様、野良狼の群れが侵入しました。我々と首属派遣部隊が討伐に当たってます」

 十数体の狼が、血を流して既に足元で死んでいます。遠吠えが、雑木林の方角から聞こえてきました。

「向こうでも」

 僕は数人の隊員を伴い、来た道を戻り始めます。小道を抜けた狼たちと遭遇しました。僕たちは、剣を構えます。

 小柄な身体が、素早く駆け巡っています。距離を味方に当たらないよう保ちつつ、固まって目を周囲に配ります。

 にじり寄っていた狼が、走って向かってきました。腕を開いた口に押し込み、狼に噛みつかれて歯が腕に食い込みます。

 刃を腕を放そうとしない狼の柔らかい腹部に突き刺し、後脚方向に向かって振り抜きました。獣が口を離し、組織液と共に腸が腹から流れ出ています。

 隊員の一人が首を噛み千切られ、血が勢いよく吹き出しました。僕は、癒術を唱えて彼を治します。

 狼が、道に続々と溢れ出しています。切っても切りがなく、本堂方向へ向う彼らを抑えきれません。

 

 突然、周囲一帯の獣たちが爆発しました。


 彼らは、血を撒き散らしながらガラガラと崩れ落ちていきます。

「何だ、これは」

「とにかく、急ぎましょう」

 僕は隊員たちを癒やし、本堂に向かって駆け出しました。獣の腸や尻尾を踏みつけ、靴と足が液に塗れます。

 障害物を転ばないように避けながら、入口前に向かい出していた新手の狼を斬り伏せていきました。

 僕たちは、本堂へ無事に辿り着きます。ファザードや袖廊を守っていた隊員たちを癒やしました。

 教師たちも装備を固め、教会を協力して守っています。

「教下隊の方々は来られないんですか」

 シャマナが、鞘をさすりながら尋ねました。

「彼らは、地上には出られないんですよ」

「決まりが、あるんですか」

「それもそうですが、もっと根本的な理由があります。地上の外気に耐えられないんですよ。彼らが居るには、ここはあまりにも温かい」

「あいつ、魔人か」

 シャマナがびくつきました。

 僕は、隊員の声の方向へ向かいます。様子をファザードから伺うと、何十匹もの狼たちが唸りながら待機し、人影を中心に認めました。


「おや、そこのあんた。ヤツエって大術士じゃないかい」


 壮年の女性が、朗々と声を上げました。

「いやあ、絵にそっくりだね。シャマナ、居るんだろ」

 彼女が布を懐から取り出し、ひらひらと振ります。僕の肖像画が揺れる表面に描かれていました。

 シャマナが、陣を敷く隊員たちの間を縫って進み出ます。

「あんた、急に居なくなって心配したよ。匂いをこいつらに辿らせてさあ。で、あんたその術士をどうすんだい」

「ローナ、私はもうあなた達には協力しません。こんなことされても困ります」

「そう言うと思ったよ」

 狼たちの前列が地面を蹴り、走って向かってきました。隊員たちが彼らを傷を負いながらも退けます。

「やめて、ローナ」

「出来ない相談だ。あんたは、人に絆され切ってる。それに、こっちのことも知りすぎた。残念だよ」

 僕は、隊員たちの傷を癒やしました。

「大体、戦いはもう始まってるんだ。なあシャマナ、考え直しなよ。魔王様が、絶対勝つって。そこのヤツエもそうだし、あの男だってどうせくたばるんだよ」


「えっ」


 シャマナが、前を見据えました。

「何かおじさんにしたんですか」

「さあ、知らないけど。誰かしらが、手を下してるんじゃない」

「私は、貴様を殺します」

 シャマナが、手を剣の柄にかけます。

「おいおい、やる気だねえ。でも、あんた戦えんのかい」

「流れ」

「あ、何だって」

「流れ込んでくるんです。これを握ると、記憶が、色んな、色んな記憶が。そうか、そういう」

 彼女が柄を握ったまま、ぶつぶつと呟き始めました。雲の流れは早く、太陽が現れては隠れます。

「魔王様の。いや」

「シャマナ。交渉決裂ってことで、いいんだね」

 先より多くの狼たちが、猛烈な勢いで走り始めました。僕たちは剣を構え、迎えうと構えます。

 シャマナが、剣を抜きました。

「人のため、死んで頂く」


 風圧。


 彼女が剣を横薙ぎに払い、風塵が立ちました。微かに見えた鎌いたちが、シャマナの正面方向に居た狼たちを両断しました。

 僕たちは、構わず駆けてくる残りの狼たちを向かい打ちます。

「翠色の剣身、風の刃。こんなところにあったとはね」

 ローナが、呟きました。

「魔王様の得物だ。返してもらうよ、あんたを殺して」

 シャマナの背中に表情は、伺えません。

 彼女の髪に挟まっていた花びらが風に吹かれ、赤い死骸に重なりました。

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