第18話 氷窟

 教下隊の一人が、前に進み出ます。

「大癒術士ヤツメ様、お初に御目にかかります」

「彼が、教下隊長だ。ここから先は彼に案内してもらう。良い場所だが、人が居るには寒すぎる」

 教師長は、来た道を戻りました。教下隊長が、腕をシャマナに伸ばします。

「ひっ」

「ああ、失礼しました。害意は、ございませんよ」

 隊長が、彼女の手を取りました。シャマナが、僕の手を強く握ります。


「お嬢さん、手を離しませんね」


「えっ」

「いえ。やはり温感が鈍いのだな、と思いまして。ヤツメ様も、失礼いたします」

 僕は、手を隊長に差し出しました。彼はそれを握り、冷気が手を蝕み始めます。

 僕は癒術をかけ続け、鈍い痺れに抗いました。隊長が、二人の手を離します。

「試す真似をして、申し訳ございません。この先は、常人が生きて立ち入れる場所ではございませんので」

「っ、あの」

「魔人の方と出会うのは、初めてです。感動的だ、御名前は」

「シャマナ、です」

「私は、ヒサトと申します。お互い不老の身、是非仲良く致しましょう」

 ヒサトは優雅に一礼し、他の教下隊員も続きました。

 彼の先導に従い、狭い地下通路を歩きます。石の壁は湿り気を帯び、吐く息が白く色づきました。

「ここから、更に下っていきます。滑って、段差を踏み外さぬようお気を付けに」

 僕たちは、うねる下り階段をそっと進んでいきます。

「手を自然の洞窟に加えたもの、です。もう少しで、到着しますよ」

「あの」

 シャマナの声が、霜を踏む足音に混ざりました。

「どうしましたか。ふふ、幽霊など見ましたか」

「いえ、私が魔人だってなんで分かったんですか」

「ああ、それは」

 彼は笑い、口元の空気すら透き通っています。僕たちは階段を抜け、小規模の広間に出ました。

「似た者同士だから、でしょうね。お嬢さんはヤツメ様とどうして一緒に居られるんです」

「魔人から逃げてきたんです」

「それはそれは、同属同士の諍いでしたか。やはり、どこも同じなのですね」

「同じ、ヒサトさんも」

「しっ」

 ヒサトが指を口に当て、手で静止を示します。前で先導していた教下隊員が、彼に耳打ちしました。

 上方を見ると、氷柱が天井から下がっていました。幾つもの穴が壁には開いており、青白い光が先の闇を照らしています。

「お嬢さん、武器はお持ちでしょうか」

「え。いえ」

「では、ヤツエ様から離れぬよう」

 シャリシャリと氷の削れる音が、壁の穴の一つから聞こえてきました。


「来ます」


 人のような影が、青白い闇に微かな姿を表します。眼球が深い眼孔の奥で結晶のように煌めき、照明が長く薄い爪で反射しました。

 ヒサトと教下隊員が人影を囲み、薄氷が手の先に結晶化します。シャマナと僕を囲む隊員も、同じく刃を展開しました。

「何ですか、あの人は」

「古き同胞。しかし、今では我を失した亡者です」

 人影が、隊員を爪で切りつけます。爪が彼の体を斬り、切り傷に沿って陽炎のように揺らめきます。

 霜が傷に付き始め、氷であっという間に塞がりました。

 別の隊員が隙を見て刃を人影に振るいます。刃が体に吸いこまれ、固い音とともに砕け散りました。

「隊長、核を見つけました」

「よし」

 ヒサトが手先の刃を棍棒のように太くし、人影に突撃します。

 彼は得物を振りかぶり、人影がヒサトの身体前面に爪で襲いかかります。しかし、攻撃より早く振られた棍棒が爪を打ち砕き、人影の身体に浸透し始めます。

 陶器を割ったような音が広間に響き、氷晶が飛び散る中、人影が床にザラザラと滝のように崩れ落ちました。


「お二方にご説明いたしますと」


 ヒサトの姿が、細氷の煙から浮き出ました。

「今しがた遭遇した彼は、死んだわけではありません。時が来れば、形を再び為して地下を彷徨い歩きます」

「ヒサトさんも、いずれああなるのですか」

「正直、誰にも分かりません。ですがシャマナ様、もしそうなれば代わりの隊長が立ち、貴方がたをお守りします」


 僕たちは広場の穴を潜り、狭い通路を歩きます。

 やがて、地下に不釣り合いな明るさの光を目先に見ます。背後から吹いていた温い風が、進むに連れて冷えていきました。

 通路を抜け、巨大な地下大空洞が僕たちを出迎えました。中央に開いた穴はあまりにも広く、向こう岸にちらつく明かりが点々と見えるに留まります。

 ヒサトが先に進み、振り返りました。青白い光をすり鉢状の穴から受け、朧げな輪郭が後光に見えます。

「長い道中、誠にお疲れ様でした。ようこそ、教会地下本殿へ」

 僕とシャマナは彼の手招きに応じ、すり鉢を囲む柵から底を見ました。 

「あちらに見えますのが、白彗星様です」

 何十件もの人家を飲み込めるほどの巨岩が、最下部に鎮座しています。

 表面は白くなめらかで優しい光を放ち、上方に向かって何本もの透明な柱が伸びています。柱は波打つように時折ゆらめいていました。

「あれが、御神体の」

「ええ。地上の皆様にもこのお姿をぜひ御覧いただきたいものです。昔は巡礼者を気兼ねなく招いていたようですが、今ではそれも禁じられています」

「え、じゃあ私たちは」

 シャマナがたじろぎ、辺りを見回しました。

「お嬢さんは魔人ですし、ヤツエ様の立ち位置もどちらつかず、と言ったところでしょう。町長もそう強く踏み出せる状況では、ございません。これが普通の人なら、話も変わりますがね」

「仲が悪いんですか」

「いえいえ、とんでもない」

 ヒサトが、上品に微笑みます。

「教会と行政は協力関係にございます。我々は白彗星様と彼らの仲介者となり、我々もその見返りに便宜を図って頂いております。さて、」

 彼が、一句区切りました。


「白彗星様のもとへ向かいましょうか。ご両人」


 僕らは、坂に誂えられた階段を下ります。

 シラボシ様の像が大きくなるほど、空気の凍る音も徐々に増していきました。

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