第06話 白鳥之歌

「さあ、問わないのか。喉が崩れてからでは、遅いぞ」

「ハジメ様。癒術は、やはり効きませんか」

 付き人が、尋ねます。彼が魔人ならば、僕の大癒術でも効果ないでしょう。

「ゲ・リール。まあ、当然か」

 ハジメが、杖を下げました。

「大ゲリール」

 代わりに放たれた僕の大癒術も、しかし、効果を来訪者に与えませんでした。

 精霊たちが行き場を失い、やがて周囲に霧散していきます。

「これが、道理だ。土より生まれ、崩れ、土に帰る。貴様ら癒術士が、その断りを歪めている」

「恩恵を受けられず、妬んでいるだけではないのか」

「恵み。それがか」

 刺客が、掠れた声色で忍び笑います。返答を聞いた付き人が、顔をしかめました。

「癒術が効かず、ゆえに線を引かれる。だから、どうした。我らは、死を恐れない。死に怯えて震える貴様らとは違って、な」

「安い挑発だ」

「はっ、まあいい。土くれの戯言、と切り捨てられたとて一向に構わない」

 来訪者の頬がひび割れ、砂埃がわずかに立ちました。

 ハジメが、ため息を吐きます。

「魔王の動向と、正確な居場所を教えてくれ」

「それは、無理だな」


 なら、


とハジメが続けます。

「ここに来たのは、魔王の命に違いないか」

「ああ」

「死ぬと分かっていても」

「最終的にそうなった、というだけだ。魔王様が言うならそう運ぶんだろうとここに来たわけだが、まあ、このざまだ」

「捨て駒だったと」

「さあな。ただ、いつもとやり方を変える、そう仰られた。これがその役に立つのなら、俺はただ仕事するだけさ」

「協力者の存在は」

「天気は、雨が好きなんだ」

 僕は、林の何処かで鳥が鳴くのを聞きました。樹冠が揺れ、ときおり月光が差し込んでは闇を晴らします。

「気をしっかり保て。まだ、聞きたいことがある」

「ああ」

「おい。この人相に覚えがないか」

ハジメが顔の写しを取り出し、刺客の顔に掲げました。

「暗くて、見えねえな」

「これなら、どうだ。この女に見覚えは」

 刺客の表情は朦朧としており、伏しがちな半目が光を結んでいるかどうかさえ定かではありません。

 ただ、かすかに、ハジメが近づけたライトの鏡像が角膜に揺れたように見えました。

「さあ。知らないね」

「そうか。結局、なんの役にも立たないな」

 全身の、現時点での全身に広がり続けたひび割れが拡大を止めます。刺客の口角が微かに上がったように見えたのか、それとも、ただの割れ目だったのか。


「ただ、話したかっただけさ」


 刺客の身体は緊張の限界を終に迎え、あるがままにバラバラと崩れ落ちました。

 月光が木肌を照らし、ランプの下で僕らの影が林床に揺らめいています。

「死んだか」

 ハジメは踵を返し、僕たちは雑木林を抜けて教会に戻りました。

 付き人や説教師たちが、町民たちを門へ誘導し始めました。来たときと同じ数だけ、帰りもまた同じように。


「いや、なんだか大変なことになってたみたいで」


 課長に伴い、ヤゲンがバツ悪そうに苦笑いしています。

「怪我は」

「大丈夫、大丈夫」

「本当か、エイジ」

「はい。同性の術士が、一応確認いたしまして」

 ハジメの疑り深げな眼差しを見て、エイジ課長が保証しました。

「教会に戻ろうとしたら、屋根の塔がふっとんでさ。その辺の茂みに隠れてた。したら、なんか探してる人に見つかって」

「まあ、足を潰されてたら面目も立ちませんから、大事なくてよかったのでしょうね」

「課長、足潰れたんですか」

「見ますか」

 今や日中の緊張もどこか遠くに去り、吹く風ですらむしろ優しげに感じます。

「それにハジメさんとヤッくんも居たから、まあ安心感あるでしょ」

「あれ、気づいてたんですか」

「物々しい人たちがあれだけ居たし、途中で席から立った人を見たら、あっ、てね。痛てて」


 エイジとハジメが顔をぱっと向けます。


 やばっ、とヤゲンは口を半開き、目を逸らしました。

「ヤゲン」

「ヤゲンくん、また術士の方を呼んできますから。一応ね」

「いや、ほんと、大丈夫なんで。あの後、舌かんだだけなんで」

 べっ、とヤゲンが舌を出します。二つの目が「でしょでしょ」と見開き、訴えかけていました。

「私が、やろう」

「いいよ、自分でやる。ゲリル」

 緑色の光が、彼女のコートから微かに漏れ出します。

 赤みが血の滲んだ舌から取れ、くぼんだ跡だけが微かに残る程度になりました。

「まだ、跡が」

「いい、いい。私は、二人みたいには癒術に向いてないんで」

「ヤゲンくん。大人げないですよ」

「ああ。皆さん、ご無事で」

 夕刻に教壇で立っていた説教師がファザードに出てきました。事件の面影は、整った服に残っていません。

「大癒術士様方、今日はお越しいただき有難う御座いました」

「大変な一日、でしたね」

「いや、まさに」

 彼がいた内陣は交差部に近く、塔が上方にあります。屋根の崩落を直に受け、彼の全身は原形を瓦礫の下で留めていませんでした。

「まあこれも、シラボシ様のご加護です。二度と、潰れるのはごめんですがね」

 説教師が、屈託のない笑い声を上げます。

 音が夜風に乗り、星空へ吸いこまれていきました。

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