第02話 急病人
玉の擦れる音が、聞こえます。
鑑定課の薬士が、小さい何かを碾いていました。僕たちが、先ほど手に入れたものでしょう。
僕が様子を受付窓ごしに見ていると、肩を不意に叩かれました。
どうやら、トウヤだけが役場一階に降りてきたようです。
「リーダーの報告が、長引きそうだったんでな。それまで、立ちっぱなしは嫌だろ。鑑定結果もすぐ出るもんじゃないし、ヤツエはうちのこともあるからな」
僕はトウヤと別れて、ロビーを後にしました。町の離れに向かいます。
診療所に着いて、勝手口から院内に入りました。
「ヤツエ先生、お疲れ様です。幸い急病人は、居りませんでした。あと、ハジメ先生からのお手紙がございました」
僕は机上の手紙を手に取って、差出人を確認します。そして、封を切りました。
どうやら、師匠がしばらくぶりに町へ訪れるようです。僕は、報せを日直のシノに共有しました。
「ハジメ先生が、いらっしゃるんですね。直接お会いしたことはございませんが、首長側近としてのご活躍は伺っております」
呼び鐘の音が、正面口の方から平穏を打ち破るように聞こえます。
「わたしが、行きますね」
シノが事務室を後にし、僕は師匠の手紙を読み返します。
ハジメの書く端整な字体は、昔と変わりません。一流の癒術師としては当然の作法だ、と躾けられたことを思い出します。
「ヤツエ。癒術の基礎は、何だ。精霊だな。癒術士は、彼らの御業を拝領しているにすぎない。だからヤツエ。術文の書を疎かにしてはならない」
「先生」
シノが、足早に駆け込んできました。
「リクさんの容態が」
僕は、背もたれに掛けていたケープを羽織り直します。そして、正面玄関へ向かいました。
アコウが、落ち着きなく足踏みしているのが見えてきます。
「あ、先生。親父が。母ちゃんが傍で見てるけど、やばそうなんだ」
「留守は、任されました。ヤツエ先生、お気をつけて」
僕は、アコウと共にリクとクミのもとへ向かいます。
傾きかけた日が頬をじりじりと焼き、僕たちの呼吸が空に吸いこまれていきました。
アコウの家に着いて、患者のもとへ駆け寄ります。
リクは、クミのそばでベッドに横たわっていました。手に持った布の歯切れが、赤く染みています。
「母さん、先生、来たよ」
「ヤツエ先生。先ほど突然、主人が血を吐きまして。汗も酷くて」
「父さん、もう大丈夫だからな」
リクが、小刻みに頷きます。
僕は、彼の状態を調べました。やはり、胃腸からの吐血です。
「昼食時はこのひと、全くいつも通りに見えたんですが」
「母ちゃん、それは後で」
僕は、意識をリクにかざした杖へ集中させます。
「ゲリール」
術文の輝きが、室内を緑色に染めます。発光が収まるころ、リクが再び咳き込み始めました。
「あなた」
僕は、クミのリクに駆け寄るのをそっと手で阻みました。リクの背中を擦って、体内に残留した血を吐き切らせます。
彼の容態が好転したのは、顔色から明らかに見て取れました。
「先生。休診日なのに申し訳ない、いや、ありがとうございました」
「父ちゃん」
クミとアコウがリクのもとへ駆け寄って、手を取ります。僕は、血の付いた歯切れを除けてまとめました。
「あなた。酒は、当分のあいだ無しだからね」
「そうだな、肝が冷えたよ。良い酒だと聞いたから、ついね」
僕は、アコウに頼んで食間に案内してもらいました。水場には未洗浄の皿が積まれ、卓上にはボトル、酒の入ったままのグラスが置かれています。
「父さん、昼前に出かけてたんだけど。あの酒を買って、帰ってきたんだ。ぼくはともかく、母さんも飲まないからさ」
僕は、母と息子の体調も調べました。やはり、二人とも異常はないようです。
念のために持参した丸薬などを彼らに預けたあと、酒のボトル、血の付着した歯切れを譲り受けます。
僕はリク宅を後にして、役場の鑑定課に向かいました。
「また。うそうそ、むしろ助かるよ」
僕は、ボトルなどを薬師に預けました。そういえば、ツルミたちはもう去ったのでしょうか。
「トウヤたちの話も、終わったみたいだよ。ヤっくんが残ってるか結構前に確認に来てた。なかなか、きな臭いことになってるみたい」
「ヤゲンくん」
「はい、いまやります」
ヤゲンが、依頼品を持って部署の奥へと駆けていきました。僕は、視線の合った課長に微笑まれます。
「いまちょっと、そう、急に忙しくなりまして。すいません、ヤツエ先生を悪く言ったわけではもちろんないですよ。でも、こうしていると、昔を思い出しますね」
僕は別れを課長に告げて、診療所に戻りました。シノが、慌ただしく出迎えます。
「数名をベッドに寝かせています」
僕は、病室に向かいました。
この町に訪れたのは、手紙だけではないようです。しかし、僕は今できることをやるべきとして、杖を手に取りました。
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