第9話
「……一体、何があったんですか?」
喫茶店の片隅、甘めの豆乳ラテの氷をストローでくるくると回しながら、上目遣いに灯火は聞いた。
帳は涼しい笑顔で、ホットコーヒーから上がる湯気を見つめている。
灯火は学校指定の黒いセーラー服、帳は白いワイシャツに落ち着いた色合いのカーディガンを羽織っている。
青波帳は、五つほど歳の離れた千冬の兄である。
灯火と千冬は同い年だったから、今は21歳くらいになるはずだ。
灯火は複雑な面持ちだった。
帳は灯火の幼い初恋相手だったのだが、そんな淡い感情は時間の波にとうに攫われてしまっている。
千冬が居なくなってから、彼と会うのは初めてだった。
「何から話したものかな…」
帳は、ゆっくりと、口を湿らせるようにコーヒーを口に含んだ。
落ち着いた、品のある動作だった。
「何があったか、何が起きているかを最短で説明するならね」
帳はじっ…と灯火を見た。
目は、もう、笑っていない。
「僕は、妹の死体を探しているんだ」
妹の――。
千冬の死体。
灯火の中で、言葉が飲み下せず、何度も何度も反芻される。
「君には話しておくよ、3年前の事も、この3年間の事もね」
3年前。
青波帳は、親友の柊修斗と共にある研究をしていた。
二人は18歳の身の上では頭抜けて優秀で、裕福な実家に加え大学や技術屋に多少のコネも持っていた。
帳は、妹の、青波千冬が持つコンパクトを他の人間が使えないのか、その事だけに血道を上げていた。
青波千冬は、青空みたいな少女だった。
戦ってボロボロになっていく彼女を、帳は複雑な感情を持って見ていた。
彼の妹はやめろと言ってやめるような性格ではない。
自分が傷つく事は耐えられても、他人が傷つくことは我慢ならない、そういう少女だった。
だからこそ、そのコンパクトに選ばれたのだと思う。
そして、だからこそ、帳はそんな妹をそんな戦いに巻き込みたくなかった。
出来るなら自分が代わってやりたい。
そんな思いは、しかし、報われなかった。
3年前、静かに雪の積もる夜、青波千冬は死んだ。
帳は、その目でそれを見た。
場所は人気のない山中だった。
降り積もる雪の中、月明かりに照らされ、蒼天の魔装が埋もれている。
雪に散った鮮血も、その華奢な身体も、少しずつ新雪の景色の中に中に溶けていくようだった。
「千冬っ」
帳が駆け寄る。
雪に足を取られながら、がむしゃらに進む。
呼吸が乱れ、冷たい空気が肺に突き刺さったが、そんな事は意識の外だった。
冷え切った妹の身体を抱き起こした。
ハラハラと、その身体を包んでいる蒼い魔装が崩れていく。
少女は目を開いていたが、帳を見てはいなかった。
ぼんやりと曇った黒い瞳は、どこか遠い、届かない場所を憧憬しているようにも見えた。
脈をとるまでもなく、その身体は明らかに、生命活動を終えていた。
「千冬、千冬……」
帳は千冬の身体を抱えて夜の山道を戻る。
途中、何度も足を取られて転びそうになった。
魔装は既に崩れ落ちて、彼の妹は慣れ親しんだいつもの姿に戻っている。
どこにでもいる、13歳の女の子。
帳がやったのか、その瞳はもう閉じている。
静かに眠る妹を抱え、帳は歩を進めた。
その時、何かが彼の足を取った。
見慣れない植物の蔦だった。
バランスを崩して、雪の斜面を転がり落ちる。
幸い、新雪がスキーの容量でその背を滑らせ、大きな怪我もなく帳は少し開けた場所に転がり出た。
その場所は樹木の密度が薄く、他の場所より少し厚めに雪が積もっている。
そして、その真白い雪の中を、ポツポツと飛び散った血痕のように彼岸花が咲いていた。
「……修斗?」
そして、そこに、彼の親友が立っていた。
「すまない」
修斗は言った。
帳は、意味が分からなかった。
「許してくれとは言わないよ、帳」
瞬間、帳の体を巨大な蔓が弾いた。
脇腹を強く打ち、灰の空気が全て押し出された。
本能的な痛みに抗えず、脇腹を抑えてうずくまる。
呼吸が出来ない。
ぜぇ、ぜぇと必死に吐き出す息が、冷え切った外気に触れて白く溶けていった。
滲んで暗くなっていく視界の中で、帳は遠くなっていく親友だった男の背中を見た。
そして、意識と共に、帳は何もかもを失った。
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