第11話篠塚さんは女性に人気がありそうだけどね

一週間後の『こもれび』の夏祭りにはいつもの水曜日より多くの利用者が参加していた。篠塚が声を掛けた榊原順一郎もその一人である。

 日中からかき氷、綿菓子、と本当の夏祭りよろしく、屋台を開いて賑わっており、自前の浴衣を着た職員たちの姿がさらに雰囲気を盛り立てていた。篠塚も職員に頼まれて浴衣を着ていたが、女性利用者の

「いい男ねえ」

という声が耳につき、早く脱ぎ捨ててしまいたいのをやっとのことで堪えて今に至る。

あれから冷静になった犬飼の裁量もあってか、猿谷は問題も起こさず今日に至っている。犬飼の指示にてきぱきと動いている姿はなかなか良いコンビに見えた。

昼過ぎになってから夏祭りらしい盆踊りの音楽を流すと浴衣を着た職員が練習した踊りを披露する。練習をさほどしていなかった篠塚は輪の中に引き込もうとする職員の手から何とか逃れ、壁際で利用者と一緒に観客に徹することにする。数ある藤色や紺色の浴衣の中に混じって、艶やかな紅色の浴衣が目に入り見ると宇野職員であった。引き込まれるように篠塚はその紅色に目をやった。

早い頃に子どもが出来れば、自分にもあれくらいの娘がいたのだろうか。

ふとしばらく忘れていた感傷を思い出して篠塚はしばし赤を目で追い続けた。

気付くと自分の視線に気づいたのか、宇野介護士が微かに頬を染めているのが分かる。

篠塚は慌てて視線を剥ぎ取って関係のない方角へと顔を背けた。

夏祭りが終了した後の送迎はいつもよりも利用人数が多かったこともあり、篠塚も手伝うことになった。彼の運転する乗用車の後ろには榊原順一郎が乗っている。

「今日はどうでしたか」

 篠塚の問い掛けに

「楽しかったです」

 前回と同じように榊原は答えた。

「浴衣や屋台、久しぶりに夏祭りの気分を味わいました」

「楽しんでいただけたようで良かったです」

 会話の切れ目でちょうど赤信号になりブレーキを踏む。目の前の横断歩道を小学生が数人横断するところであった。

「篠塚さんはお子さんは?」

 不意に榊原が尋ねる。

 目の前の子どもたちを見て咄嗟に出た質問だろうが、篠塚の心臓は小さく音を立てた。こんな質問には慣れているはずなのに。

「……いません」

「そうですか」

 相手はこれ以上聞いてよいのか測りかねているようで黙ったまま前方を見ているようだった。

「子どもというよりも相手がいませんから」

「そうなのか。篠塚さんは女性から人気がありそうだけどね」

「結婚はしていました。別れてしまいましたが」

 自分は何を言っているのだろう。利用者に対して、いや職員に対してもこんなプライベートな話はしたことがなかった。意識せず出てしまった言葉に篠塚自身が驚いていた。

「別れてしまったにせよ、結婚を経験しているだけ君のほうが先輩だな」

 バツが一つ付いている事実に先輩という名称を与えられて何と答えてよいか分からず返答し損ねた。

 篠塚は一度結婚していた。妻とは恋愛結婚で一生涯この人と共に過ごすのだと思っていた。しかし結婚して一年を過ぎた辺りからその様子は少しずつ変わり始めた。彼らはすぐに子どもを授かるものだと思っていた。ところがいつまで経ってもコウノトリは彼らに子どもを運んではくれなかった。篠塚はそれでも良いと思っていた。妻さえいれば自分はそれ以上は望むまいと思っていた。しかし彼女は違っていたのだ。妻は子どもを欲しがった。あらゆる手を使ってでも自分の子どもを手に入れたいと願った。篠塚はそれに応えたがそれは次第に虚しい行為に変わっていった。必死になられればなられるほど、篠塚の心は妻から離れていき、妻の心もそんな篠塚から離れていった。お互いにとっての着地点を見いだせないままに彼らは別れを選んだ。

「篠塚さん」

 後方から声を掛けられてすでに信号が青に変わっていることに気付くと篠塚は踏み込んだままのブレーキから足を離した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る