1話 〜再開は生ビールと共に〜
あの子を介抱してから数日がたった。
今日も私は、あの居酒屋に向かう。
相変わらず夏休みだっていうのに、アルバイト以外にすることがない。
スマホを開くと、大学の知り合いのSNSに新しい投稿があった。
写真に写っているのは、知り合いと男の子。
その後ろには、眩しく光る海が見えた。
海かぁ。別に行く人もいないけど…
17時。
そんなことを思いながら、居酒屋の裏口から店に入る。
「モモ!お疲れ」
「お疲れ様です。どう?忙しい?」
「平日だし、そこまででも」
夏休みだから忘れていた。
今日は平日だ。
世間は休みじゃない。
「あ、そうそう。今日は休みでいいよ」
「…はい?」
急にそう告げられた。
お客さんも少ないし、人件費を削減したい気持ちもわかるけど…
早めに言ってほしい。
「ごめんね。言うの遅れて」
「…いいけど。せっかく来たのに」
「ごめんって。どうせなら飲んでいく?」
「時給出ない上に?」
「いや、さすがに奢るよ。なんでも飲んでいいよ」
「まあ、それなら」
急に休みを告げられた私は、少しだけお酒を飲むことにした。
幸一さんが叔父というのもあるけど、元々お酒が好きで居酒屋でバイトをしている。
ここのお店は色々なメニューがあって、案外気に入っている。
ここで飲むのは嫌いじゃない。
私は入口から極力遠いカウンター席に座る。
「モモ。何飲む?」
「とりあえずビール」
「はいよ」
数少ない大学の友達と話していて気がついたけど、どうやら大学生でビールが飲める人はそんなに多くないらしい。
不思議だ。こんなに美味しいのに。
「はい。ビール」
「…ありがとう」
私の前に幸一さんがビールジョッキと灰皿を置く。
「ゆっくりしてってよ」
「…ねえ、私タバコ吸わないんだけど」
「知ってる。とりあえず置いておいて」
理由はよくわからない。
予約でもあるのかな、と思いながら私はジョッキに口をつける。
やっぱり美味しい。暑い気温を流すようにビールの苦味と炭酸が喉を抜ける。
サービスで出してくれた、だし巻きと共にビールを流し込んだ。
18時。
「モモちゃんお酒強いよなぁ」
「そんなことないですよ?」
「いやいや、そんなに飲める子あんまりいないって」
お店の常連さんと話しながら飲んでいると、気づけば3杯目のビールを飲み干していた。
そんなに強い自覚はないけど、まあ弱くはないんだろうな。なんて思っていた。
そんなとき、不意にお店の扉が開く。
「いらっしゃいませー」
幸一さんの声が響く。
職業病みたいなものなのか、少しだけ私も言いかけた。
来店挨拶を飲み込んだ私は、扉の方を向く。
びっくりした。
「あ、お姉さん!お久しぶりです!」
「…久しぶり」
久しぶり、なのかな。
だって会ったのはつい先日。
あの時とは随分と雰囲気が違ったけど、見間違えるはずがない。
あんな印象的でしかない出会いなんて、今までにあるはず無い。
「隣いいですか?」
「…はい」
明るく話しかけてきた女の子は、やっぱりあの時の…私が介抱したあの子だった。
幸一さんを見ると、少しニヤッとした。
どうやら彼女が来ることを知っていたようだ。電話でもあったのだろうか。
なるほど。
このために私を非番にしたのか。
と、やけにすんなり納得した。
「あの時はありがとうございました!」
「いえ、別にそんなに大したことは」
「あのままだったら私、どうなってたか…」
「気にしないで」
別に感謝が欲しくてやったわけじゃないし、変に感謝されるとむず痒く感じる。
「今日は飲みましょ!」
「…飲みすぎないようにね」
「わかってます!」
彼女は少し頬をふくらませる。
あの時には無かった表情に私は驚いていた。
この前の彼女はお世辞にも明るいとは言えなかった。
でも、今は天真爛漫という言葉があまりにも似合うような様子だった。
服装も「女の子」といった感じで、私にはないキラキラしたものがある。
髪の毛もゆるく巻かれていて、なんというか…
かわいい女の子だ、といった感じだった。
「なに飲むの?」
隣にいる彼女に声をかける。
「んー、迷いますよね」
「たしかにね」
私の場合は最初に何飲むか、と言われれば答えは一つしかない。
そう思っていると彼女が口を開く。
「とりあえず、生ビール一つで」
私はびっくりした。
こう言ってしまえば失礼かもしれないけど、絶対にビールを飲む子ではないと思っていた。
「…ビール飲めるんだ」
「大好きです!」
「いいね」
少しだけいいな、と思ってしまった。
かわいい外見と明るい性格。
それでいてビールが飲めるというギャップ。
あぁ…こういう子がモテるんだろうな。
と思って、私は少し虚しくなった。
「お姉さんもビールなんですね!」
「…好きだから」
「一緒ですね!」
彼女は笑顔でそう言った。
ずるいなぁ。
「「乾杯」」
ジョッキがぶつかる。
なんとも言えない音が響いた。
「そういえば、なんで私のことお姉さんって呼ぶの?」
「大人っぽくてかっこいいですから!」
少し顔が赤くなった彼女は、迷いなくそう答えた。
「…私のこといくつだと思ってる?」
多分、お世辞じゃないんだろうけど。
大人びて見えるって、年取って見える、とも取れるなぁと思いながら私はそう聞いた。
「んー、私よりは年上かなぁと。頼りになるし」
「…あなた、いくつ?」
「21になりました!大3です!」
同い年だった。
「…私も大3なんだけど」
「そうなんですか!?ごめんなさい」
「いや、別にいいけど」
「助けてくれたし、かっこいいから年上だと思ってました」
まさか、同い年だったとは…
同じ状況でありながら、私とは正反対の性格と見た目に驚いていた。
「…年一緒だったとはね」
「びっくりです」
「ほんとね」
あんな出会い方の上に、同じ大学3年生とは。
こんなこともあるんだな、と思っていた。
「お姉さん、名前は?」
「百瀬詩織」
「いい名前ですね!」
なんでも褒めてくれるなぁ、この子。
いい子なんだろうな…
そんなことを考えてしまう。
どうやら私も酔っているみたいだ。
「…ねえ、お姉さんっていうの敬語もやめない?」
「…そうだね。モモちゃん」
「…!!!?」
急にそう呼ばれてびっくりした。
常連さんと幸一さん以外にそう呼ばれたことはなかったから。
「百瀬ちゃんでしょ?だからモモちゃん」
「…別にいいけど」
名字由来の呼び名って、案外あるのかもしれない。
「よろしくね。モモちゃん」
「あなたは?」
そういえば出会った日も、今も聞いていなかった。
そもそもあの時は会話すら出来なかったし。
「香月桃音!」
「…そう」
あなたもモモじゃない。と思ったけど、口には出さなかった。
「私もモモ。なんか運命感じるね」
「そう?」
そう軽く言う。
明るい性格ではない私に対して、矢継ぎ早に話しかけてくる。
そんな彼女との会話はなぜか気楽で楽しかった。
「モモちゃんの好きなように呼んでよ」
「…じゃあ、桃音?」
「うん!それで」
「わかった」
桃音は少し嬉しそうだった。
そんな感じで再開を果たした私たちは、しばらく生ビールを片手に話した。
「モモちゃん夏休みどっかいった?」
「どこも行ってないよ」
「えー、せっかくの夏なのに」
「…どうせ行く人もいないし」
桃音は友達も多そうだし、彼氏くらいいるだろう。
私とは住む世界が違うと感じていた。
「モモちゃんモテそうなのにね」
「…それ、桃音が言う?」
モテそう。というのは私なんかにではなくて、桃音にぴったりな言葉だと思う。
「でも…この前、彼氏に振られちゃったし」
「…あ、それで」
「そういうこと!気にしてないけど」
あの時の酔い方の理由はそれなんだろうな、と直感的にわかった。
深酒したくなるほど、辛かったんだろう。
気づけば、21時。
なんだかんだで私は7杯目のビールに差し掛かっていた。
「…聞いてよ!モモちゃん!」
「聞いてるよ」
桃音の手にはジョッキが握られている。
それは、来店時に頼んだものだった。
たしかに、というか案の定というか…
桃音はお酒に弱いみたいだ。
「彼氏がね。私の話なんて全然聞いてくれなかったの」
「…あー」
「私も、ちょっと重かったかなー、って思うけど、ひどくない?」
「大変だったね」
話を聞いてる限り、桃音の元カレが悪いんだろうな、と思ったが…
そんな話をかれこれ一時間は続けている。
少し言葉を止めた桃音は、鞄から箱を取り出した。
「…ここって、吸っていいんだよね?」
「大丈夫だよ」
「ありがとう」
そういうと桃音は、くわえたタバコに火をつけた。
「モモちゃん大丈夫?苦手じゃなかった?」
「いいよ。ここのお店、よく吸う人いるし」
「…これね、彼氏が吸ってたの」
「…」
「忘れられなくて」
そう言いながら、桃音は紺色の箱をテーブルに置く。
「辛いよね」
「…うん。忘れたいんだけど」
煙をはきながら言う桃音の顔は、すぐにも泣きそうだった。
「話聞くくらいしか出来ないけど、無理しないでね」
「…ありがとう。やっぱり優しいね」
「そんなことないよ」
私はお人好しなのかもしれない。辛い人を見ているのは、なによりも辛かった。
しばらくして、飲みはお開きとなった。
「これ、私の連絡先。また飲んでくれる?」
背が低い桃音が私を見上げながら言う。
こういうところ、ずるいなぁ。
同性の私から見ても、かわいい存在そのものだった。
「もちろん。いいよ」
「ほんと?」
桃音は甘えるように言う。
お酒の趣味がわかるし、それになにより話しやすい。
そんな彼女に引き込まれていたのは私の方だった。
「気をつけて帰ってね」
「…ありがとう。モモちゃんは本当に優しいね」
「…桃音。また飲も」
「…嬉しい」
桃音は明るく笑った。
少しだけドキッとした。
「…モモちゃんが彼氏だったらいいのに」
「なにいってんの?」
「なんでもない!」
そう言って彼女は、少しふらつきながらも帰っていった。
なんだろう。少しだけ胸の音がうるさい。
きっと、お酒に酔ってるからだ。
私は私に言い聞かせた。
すべてお酒のせいだから 牧木 @maki_maki1027
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