第17話 会社名と玉ねぎ

 俗説。エリーゼ嬢は、京終蜜きょうばてみつの作り上げた架空の人物である。

 もちろん、美術館ならびに出版社関係者は当人を知っている。

「何故、そんなことに…」

「ほら、あの子、人前に出ないでしょ」

 十歳も年下の母は事もなげに言う。京都の京終家である。

「ああ…」

 そんなに嫌かなあ。せっかく周囲の男どもから、洋服やら着物やら貢がれまくっているのに。何のための服なのか。

 代わりと言ってはなんだが、相当気合の入ったポートレートが一般にも公開されている。それが、件の噂の原因である。

「それはともかく」遥歌はるかさんが顔を上げる。「やっぱり、会社にしましょう」

「ああ、う~ん…」

 頭をかく。税金対策にと、税理士から長年進言されてきたのである。

「知ってる、京終先生。会社なら、車の税金が半分になるのよ。だから、お金持ちは高級車を買うのね」

「いや、要らないし。免許は両親から取っても意味ないよと止められているので」

「そうよね。お兄ちゃんはふとした瞬間に気を抜くから危ないわね。坂木さかきさんもそのクチよね。まあ、石矢いしやさんが運転するから困らないみたいだけど」

 こてんと首を傾げる義理の母。

「会社かあ…。えっちゃんが大学で習ったって言ってたっけ。『雇用契約書』なるものがあるらしいと。親心として書かせてあげたい気もする」

「え、何それ。おいしいの?」

 そうか。遥歌さんにとっても、未知の物なのか。高校生の頃からバイトとして、僕の秘書見習いをしてきたから。

「じゃあ、会社の名前、『蜜くん』でいいわよね?」

「良くないよ! 銀行で呼ばれる時、恥ずかしいよ!?」

 急に立ち上がる遥歌さん。

逸歌いつかが帰ってくる」

「いってらっしゃい」

 素早く退室。相変わらず、静寂から急に動くのでびっくりする。


 弟が泣いている。玉ねぎに泣かされている。シャクシャク。シクシク。シャクシャク。シクシク。

「目が痛い…」

「何故、自分から玉ねぎを…。お母さんもお兄ちゃんもいるのに!」

 マイこども包丁を握り続ける逸歌。

「だって、蜜くんにおいしいオムライスを食べてほしくて」

 キリッ。

「きゃっ」

 赤面。

「あれ、もしかして、僕のお父さんかな」

「お父さんは、あおさんですよ」

 的確につっこむ逸歌。

「えっちゃんの分も作るから、冷凍したの持っていってね」

「うん」

 頷く。

「あのさ。例の会社名だけど」

「はい?」

 青と白のギンガムチェックのテーブルクロスをかけてから顔を上げる。

「えっちゃんの大学のホームページやら大学案内に載るんじゃないの?」

「ひっ…!」

「え? 蜜くんの会社なら、『蜜くん』でいいんじゃないの。名前」

「ねえ~」

 完全に、母の洗脳である。くっ。このままでは、本当に「蜜くん」になってしまう…。何か。何かないか。

「そうだ。えっちゃんが大学で建ぺい率とか日光がどうたら習ったと…。そう、建築家ってユニット組みがちじゃない? そう、えっちゃんと僕でアーティストユニットを作るんだ!」

「ああ~…」

 いたく残念そうな義理の母。

「ユニットっていうか、細かくて面倒な仕事押し付けてるだけなのに…」

 頬を膨らませて、そっぽを向く。

「いや、やるよ! そのうち、ユニット名を冠した展示会を!」

 えっちゃんを育てて、より主要な仕事を分割してやるのが夢である。

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