第14話 母が三人

 とりあえず展示された絵のバランスを見て回る。美術館スタッフに指示を出す。

 えっちゃんは、要らぬことを言った。

「私も、水族館行きたかった」

「僕だって行きたかったよ!」

 涙目で振り向く。

 本日は、この前、弟と弟子との三人で描いたポスターが大写しになって、水族館で公開される日である。暇を持て余しているらしい坂木秀明さかきしゅうめい氏は、待ち切れない我が弟を連れて現場に行ってしまった。

「何でだよ…。逸歌いつかくん、お兄ちゃんとえっちゃんと一緒に描いたイワシのキラキラしたうろこはどうしたの。え、普通、三人で見に行くものじゃないの?」

「だから、自分で描いたから、坂木さんに見せたかったんでしょうね」

 やはり、弟は坂木秀明に夢中である。遊び相手が違うと、遊びに行く場所も違うらしいと気付いてしまったのである。

「ほら、何せ、坂木さんは圧倒的お父さん感があるから。かつてのちびっこナノハさんと美古都みことさんからもモテモテだったし。と言いますか、今も」

 そうなのである。やつからは、ちびっこを惹き付けるフェロモンでも出ているのか。

「だって、うちのお兄ちゃんとお父さんには、肩車してなんて言えないと…」

「ごめん、逸歌くん…。それは、無理だ…」

 逸歌が生まれたとき、兄はすでに三十代である。父は、言わずもがな。

「別に、持ち上がらないとかではなくて。落としたら怖いと…」

「まあ、京終きょうばて先生は美少女感すごいし、兄弟のお父上は酒呑童子のように美しい方と聞きますからね。肩車は違います」

 そう言えば、弟は源頼光みなもとのらいこう氏を敵視している。

 おうお先生の息子のおうみ君の関係で、能を見に行った。頼光はとにかく鬼を倒すのである。ちびっこならば、概ね、喜びそうなものである。弟はいつも大号泣した。

「だって、僕たちのお父さんは、鬼みたいに哀しいから」

 僕は思い出した。父の実家である呉服屋に、雷が落ちて家事になったこと。

 亡くなったのは家族だけで、父の容貌を指して「鬼子だから」家業を継がせなかった人たちであった。もちろん、親戚や同業者はそのことを覚えていた。

 まあ、父は研究医になっていたので、それでどうこうと言うことはない。

 それから、母が狂い死にした。その後、父は言葉を失い、僕は絵を描くことを取り上げられた結果、生きた屍となった。父を救ったのは、研究医の先輩。僕を助けたのは、おうお先生だった。

 そして、父はその人を死に追いやってしまった。

 だから、年下の母と年の離れた弟のことを大変尊いと思う。

 静保しずほでは、駄目だったのだと。みつくんのお母さんにはなれなかったのだと父はいつか言った。

「でも、母親が三人も居るなんて、幸せなことだろう」

 父の心からの微笑に、僕は頷いたのだった。たとえ、誰ひとりとして「お母さん」とは呼べなくても。

 なのに、何だか坂木さんにおいしいところどりをされる日々である。

「よし、さっさとここを終わらせて、水族館に行こう」

 固く決意したのだった。

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