悪夢再現す(1)

「助かるよ。君のような優秀な人材が私の研究を手伝ってくれるなら計画を前倒しにできるかもしれない」

「いえ、まだ本当に役に立つかどうかまでは」


 はマグナトラン社のスロト・スラダイト研究開発所長に伴われて地下階層へと降りてきた。その先に研究対象があるという。


「ですが、かまわないのですか? 僕は主に生物科学をやってきた人間です。マグナトラン社といえば工学系がメインだったのでは?」

 順当な質問を投げかける。

「そうなのだがね、今回の対象は生物だと思われるものだ。だから、君のような生物学にも造詣の深い人物が向いているのだよ。我々は専門知識にやや欠けるところがあってね」

「なるほど。生物構造を工学に落とし込むのは古今東西、当たり前に行われてきたので不思議ではないのですが」

「そういった向きの仕事をしてきたのは知っている。能力的に高いだけ、この転職を受けてくれたのは意外だったがね」

 そういう建前である。

「前職は、より綿密な研究のために現地を転々とすることが多かったのです。二人目の子どもも産まれましたし、少しメルケーシンに腰を落ち着けたかったので」

「ふむふむ。本件もいささか秘密を含んでいるし制約も多いとは思うが、君が要員として加わってくれれば各人の負担も減って、家庭の時間もそれなりに取れるのを約束しよう」

「そう言っていただけると助かります。妻も喜ぶでしょう」


 十分な裏取りも実施したようだが、星間管理局情報部が作り込んだ経歴は完璧に機能している。彼は情報部のエージェント。今回のV案件と思われる事案に対処するために潜入している。


「くれぐれもこの先で行われている実験は社外極秘で頼むよ。取り扱いが難しい対象でね」

 防護の厳重な扉の前で一度立ち止まって念押ししてくる。

「はい、もちろんですとも。相応のギャランティを保証していただけている以上は僕も職務に忠実でありたいと思っています」

「では、入ろうか。驚かないでくれたまえ。少々ショッキングな光景かもしれない」

「生物科学だって綺麗事だけではありません。様々な命を扱う研究ですので慣れっこですよ」

 自信ありげに答える。

「あれが我々の研究対象だ」

「あれ……ですか?」

「ああ、大きいだろう?」


 扉の向こうには制御室と思われるものが設えられている。その先、少なくとも三重以上になっている透明金属隔壁に隔てられ人の形をしたターゲットを確認した。

 ただし、その全高は推測で30m近くはあろう。外観は甲殻で覆われており、ここから見える胸から上の部分だけでも巨大な異様を示していた。


タイプS人型ヴァラージを確認。経路から正確なポイント割り出しは可能か)

 遮蔽されていても、ウェアラブル端末は正確な方向と距離を計測している。

(今日から一人にはしてくれまい。データの吸い上げは日を改めてか。とりあえずは信用を得るところから始めないといけまい。ただ、状態からして早急な処理が必要だと思われる。速やかなアンチV装備部隊の編成を上申しておかなければ)


 これからすべきことを頭の中で組み立てる。当面は話を合わせ、可能なら今日のうちからでも一人になれるよう話を持っていきたい。

 そのためには、制御室内で作業している副所長らしき人物とも交渉が必要。相手の為人ひととなりを確かめる手順も進めねばならない。


「では、紹介しよう。彼が副所長の……」

「はい?」


 振り返った男は意外と若かった。しかし、その目は虚ろでどこを見ているのか不明である。明らかに不審な挙動をしていた。


(まさか、侵食されている?)

 焦りがエージェントを襲う。

(どうやって? なんだ、あれは? 糸? 隔壁から伸びている? もしかして!)


 ほぼ反射的な行動だった。スラダイト所長を押しのけるのと、光を反射して伸びる糸が飛んでくるのがほぼ同時。隠し持っていたカプセルのスイッチを押す。副所長に向けて投げつけた。


「フシャアー!」


 カプセルは破裂し液体を飛散させる。中身はアンチVである。それを浴びて苦しんでいるということは、副所長は侵食され完全にヴァラージ化していると思っていい。


「なにを!?」

「危険です。避難を」

 所長は咄嗟に動いてくれない。


(武器は……さすがに持ち込ませてくれなかった。アンチVカプセルがあと二つ。どうにか逃げおおせれば)

 即座に段取りを計算する。


 ところが、副所長は苦しみながらも制御卓の操作を始めてしまった。透明金属隔壁が下にゆっくりと下がっていく。よく見れば、天板の重厚な隔壁さえ開放されつつあった。


「馬鹿な! 街中にヴァラージを……、いや、出ていこうとしている!」

「君!?」

「退避する! これ以上の処置は不可能だ!」

 もう取り繕ってもいられない。


 副所長は半ば壊死して溶け落ちようとしている。エージェントはこれから起こることに怯えつつも、どうにかカプセルを掴み隔壁の向こうへと投擲した。一つは届かなかったが、もう一つはどうにか甲殻付近で破裂してくれた。


「な……に? 耐性があるだと?」

 彼は目を疑った。


 ヴァラージはエージェントの目の前で組織再生を始めていた。

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