強敵に向けて(3)
「弟のクリオ。ごめんね」
「そっか。クリオ、よろしくな」
「うん!」
クロスファイトにハマって以来、特にフラワーダンスのコマンダーになってからのエナミは家でも時間があれば試合映像を視聴している。自然とクリオも一緒に観ていることもあり、彼はすぐ選手としてのミュッセルのファンになった。
(大胆さとか、自分が持ってないものばかりで憧れてしまったのね)
それとなく察する。
今も感動したようにミュッセルの手を握っていた。いつにないほどキラキラとした目を向けている。
「弟はミュウのファンなの」
少し恥ずかしそうにする。
「俺の? なんでだよ。姉貴のほうが上等な人間だぜ?」
「ううん。ぼく、ミュウ選手みたいに格好良くなりたい」
「こっちか。どうなんだろな。親父さんが泣くぜ」
苦笑している。
「まだ憧れ。ミュウお兄ちゃんみたいになりたいなら、もっと運動頑張らなきゃね?」
「頑張る。頑張るから拳法教えて」
「おう、まだ今度な。今日は姉貴に教わりに来たんだからよ」
上手にいなしてくれる。一人っ子の彼には荷が重いかと思ったが問題ないらしい。リクモン流道場で上下関係が身についているからだろうか。
「じゃ、始めよ?」
「頼む」
ソファーを指す。
「うげ。ふかふかじゃねえか。こいつは眠くなりそうだぜ」
「だーめ。いけないことしたら拳骨ってチュニさんに言われてます」
「お前が手ぇ痛めるだけだって」
ゲラゲラと笑う。
「待っててね。飲み物準備する」
「あんまかまうなよ。舌が肥えると困っから」
「普段からそんな高級なもの置いてないし」
軽口に応じる。出したのも普通のジュースでしかない。出掛ける前に母が準備してくれていたものだ。
「法学が最大の難関だぜ。なんせ書き問題が多い」
いきなり苦言である。
「そんなに難しい? 確かに満点目指すと憶えること多すぎだけど。でも、だいたいの問題は是々非々で回答すればある程度の点もらえない?」
「それもなぁ。ちっとばかし常識が違うとこもあっから」
「常識が違う?」
意味不明だった。
「前に出た機械特許絡みの問題なんだけどよ、俺にしてみりゃかなり改良してあって別もんに近いから認めなくていいって思ってそう回答した」
「誤答だった?」
「おう。特許ベースに違いねえから認めないわけにはいかねえんだとよ。でもな、改良するにもどんくらい苦労があんのか司法官にはわかんねえんだ」
確かに常識の違いから生じる問題であろう。試験問題としても、特許が絡むことで比較的解きやすい部類として出題されている。しかし、現実を知っているミュッセルの考えでは否とできなかったのだろう。
(試験問題なのだから、もっと単純に考えてっていうのは簡単なんだけど)
それは彼女が好きなミュッセルではないような気もする。
「うーん、やっぱり判例頭に入れるほうが早いかしら」
少年は渋い顔になる。
「勘弁してくれよ」
「そういう問題出ちゃったら捨てましょう。基本的に良い悪いの判断で答えてても大丈夫だと思う」
「運任せかよ」
そうでもない。問題の傾向と、これまでのミュッセルの試験結果から割りだした結論である。変に偏らなければクリアできると読んだのだ。
そう説明して今回の範囲をおさらいする。基本的な知識を教え込んでおけば判断を誤るようなことはないと見た。
「ミュウは数学得意?」
クリオが尋ねる。
「そっちは任せろ」
「教えてくれる?」
「片手間でいいならな」
立ち上がった弟は自分のコンソールスティックを取りに行った。
「ごめんなさい。邪魔しちゃって」
「なんてことねえ。年のわりに素直でいいじゃん」
「もうちょっと内向的なところが治ったらね」
少年は優しく微笑んでいる。そうしているとただの美少女だ。一緒に歩く将来を願えば気が重くなる。勉強と違って簡単に直せない部分はどうしようもない。
(いっそのこと、この機を逃さないと思ってくれるくらい男の子だったらいいのに。夢中になってるのはアームドスキンとクロスファイトなんだもの)
勝負にならない。
(方向性の違う男の子を発揮してる以上、振り向かせるにはもっと女の子しないと駄目ね。でも、友達から入っちゃうと難しい。ましてやライバルチームなんて、違う意識になっちゃう要因しかないんだもの)
心の中でため息をつく。好きになってはいけない相手に恋してしまったかもしれない。もしグレオヌスのほうだったら、もっと大胆にアプローチできた気がする。ミュッセルでは下手に踏み込むと引かれてしまいそうだ。
「こいつはなんとかなりそうだ。だって善意での行為なんだからよ」
問題を示す。
「違います。この人が急いで自分でやっちゃわなくてもいいくらいでしょう? 命に関わるような事案ではないのだから治安機関に通報するべきでした。これに緊急避難は適用されません」
「マジかよ。だから面倒くさいんだよ、法学ってやつはよ。現場だけで判断できねえと厄介じゃね?」
「正確な判断ができるように学ぶんです。やっぱり憶えてね?」
ミュッセルは「ひー」と悲鳴をあげる。
「ミュウ、この問題は?」
「お? こいつは簡単だ。でも、間は端折るな? クリオ、お前、感覚的に解いてるところがあんぞ。それじゃ先生は点をくれねえ」
「うん」
矛盾に気づかない想い人にエナミは苦笑いした。
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