マシュリの研究室(2)

 グレオヌスが驚いたのには理由がある。それが存在しないはずのものだったからだ。


 人工筋肉は存在する。再生医療で用いられる自己置換用のそれとは違う。人サイズ、あるいはより小型のロボットで使用される人工筋肉だ。

 より人に近い存在として求められる分野で活躍している。例えば精神医療。または福祉事業。そして風俗産業。求められる分野はある。


(ただし、大きな出力を求められる分野では考慮されない。どう改良しても天然筋肉の二倍の出力も望めないから)

 それは現代人にとって常識である。

(ましてや機動兵器での使用なんて絶対に有り得ない話。最初から誰も考えもしない)


 それを実現したというのだ。しかも、すでに運用しているという。実際にヴァンダラムは動いている。それどころかパワーはあるほうだと感じていた。

 レギ・ソウルに組み込まれているのなら母のデードリッテも製造して出力確認しているはず。そのうえで採用したのなら間違いはない。


「でも、普通ならあり得ない」

 ミュッセルを見つめる。

「おう、そのまんまならな。こいつは今までの人工筋肉とは根本的に構造が違う。生体細胞の模倣じゃねえ。全然違う理論で動いてんだよ」

「なぜまた、そんな突飛なことを?」

「リクモン流の技を使いやすくするために決まってんじゃねえか。烈波れっぱを打つにも関節の矯めがあったほうがいいんだよ。これまでのシリンダとモーターの複合構造にはそれがねえんだ」

 強度だけでは足りないという。

「本来の威力を発揮するには人体に近い構造がいい。だが人工筋肉じゃ使いもんにならねえ。んじゃ、どうする? 筋肉に近い駆動機を作るしかねえじゃん」

「それでこのベルトみたいなのを?」

「おう、『マッスルスリング』って名付けた」


 確かに人工的な筋肉らしくはない。グレオヌスも生で見たことはないが、生物の筋肉を模した組織とは一線を画するようだ。


「このマッスルスリングは筋肉と同じ動作をする。弾性もある。たわみ吸収や反力放出もする。かなり近い性質を持ってる」

 ミュッセルが手にした幅5mmのベルトは振ればそのまま波打つ。

「軟らかいんだな」

「ゴムと変わんねえくらいだ」

「ほんとだ」

 触れるとかなり弾力がある。

「ただし収縮率や伸長率に限界がある。本物ほど伸び縮みしてくれねえ。一工夫必要だ」

「それがこのモーターみたいなケーシングかい?」

「おう、パッケージングのほうが交換とか運用もしやすいしよ」


 指で示されたところにはシリンダ方式のものもある。やはり透明金属で作られたシリンダ内にスライドする中仕切りがあり、それぞれがマッスルスリングで繋がっていた。

 内外の二重構造になっている。内側のマッスルスリングが収縮するとシリンダも収縮する。ピストンロッドの外側に配置されたマッスルスリングが収縮するとシリンダは伸長する構造になっていた。


「ストロークを稼ぐのにコアリングを入れてるが、考え方的にはトルクアクチュエータと変わらねえ」

 円盤状のものがトルクアクチュエータらしい。

「ヴァンダラムはショルダーユニットまわりと股関節まわりでしか使ってねえが、レギ・ソウルは肘と膝もこいつらを使ってんな」

「モーターやジェルシリンダの代わりに配置してるんだな?」

「いや、普通のモーターと違って弾性があるからよ、接続に緩衝装置ダンパー使って遊びを作る必要がねえ。フレームに直接噛ましてある」

 3Dモデルで説明されるが、彼には今ひとつ理解が及ばない。

「要するに色々端折れるってこった。その分軽くなる。シリンダなんか、宇宙用にダブルパッケージにしなくていいからもっと軽い」

「全体で見れば軽量化できるのか。それでパワーが出るなら良いところばかりじゃないか」

「残念ながら欠点もある。維持液に浸してないと劣化が早え。こうして空気にさらしてるとどんどん駄目になっちまう」


 ミュッセルが手に持っている物も参考にするサンプルで硬化が始まっているらしい。すでに製品には使えないのだそうだ。


「製造に難ありか」

 専用の設備が必須となる。

「ま、維持には苦労しねえんだけどよ。どうせ維持液に浸け込んどくしかねえ。動作させるのに溶媒が要るんだからな」

「電気信号で動くんじゃないのかい?」

「筋肉って聞くからそう思っちまうんだろ?」

 美少年はニヤニヤと笑う。

「生物の筋肉も電気信号で動いてんじゃねえ。電気流しての反応は本来の動きじゃねえんだ」

「そうだったのか」

「筋肉ってのは、端的にいえばカルシウムイオンが細胞を出入りするすることで収縮や弛緩をする。その制御をしてるのが神経細胞同士を繋げる伝達物質ってやつだ。こいつが流れるように働くから電気信号が流れてるように見える。実はそうじゃねえ」


 素人考えでは筋肉に信号を伝える導線となるのが神経細胞のように思えるが、実はもっと複雑な働きをしているという。模倣する構造を作ろうとするから出力に限界があるらしい。


「だから全く違う構造にした」

「へぇ」


(専門分野にはとてつもなく造詣が深いのはマニアの運命さだめなのかな?)


 このあたりからグレオヌスはついていけなくなっていた。

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