グレイの家族(4)

 気合いの声もなく拳にスティックが落ちてくる。自然すぎて気配も感じられなかったが、ミュッセルの意識には金線が生じていた。


(ここまで自分が制御できんのかよ。師範と変わらねえレベルじゃん)

 道場の重鎮が重なる。


 左手を引く。天秤のように右手はブレアリウスの手首を刈りにいっているが狂いが生まれた。そのままの位置に身体を置いておけば一撃を食らうと。それくらいに伸びてきたのだ。躱さねば一合で終わってしまうので身体をずらした分右手の位置もズレた。


(すかされて、俺は間合いの中に無防備かよ!)

 背筋がビリビリと震える。


 跳ねあがってきた先端が脇腹に忍び込もうとしている。逆袈裟に走る剣閃は躱しきれず踏み込むしかない。咄嗟に両手で腕を止め蹴り足を始動させた。しかし、その動きも青い瞳に映っている。


「くぅっ!」

「ふむ」


 転がって逃げた。そのまま打てば肘で受けられ、反動でウレタンスティックが上がる。そこからの斬り落としは距離的に対処しようがない。


(間合いの中は一瞬たりとも気が抜けねえぜ)

 全身に汗が吹きだす。


 仕切り直すも攻め口が見えない。芯を作るほんのわずかな時間を捻出する術を思いつかないのだ。躱せないなら、剣の柄もしくは手首を芯の通った一撃で弾くしかない。その前段が作れない。


「死線をくぐると人間ってこうなんのか?」

「皆がそうではあるまい。しかし、生きているとはつまり、だ」


 捨てるしかないのなら小さく。リクモン流の教えである。思い切って左足を踏み込む。落ちてきた斬撃を背中に沿わす。薄皮一枚削がれる感覚だった。

 肘で腕を押し退けつつ腰に正拳をセット。恐怖を押し殺して前傾して芯を作る。打ちだした拳は必要十分な破壊力を持っている。しかし、最も効果的なストロークを得る前に肩を入れて迎撃された。


「くんのー!」

「むぅ」


 普通なら打ち抜けるはずの一撃が前に出ない。完全にウェイト差で押し潰されている。それも威力が殺されている距離だからだ。そう組まれている。


「重いな」

「くそ、今ので通用しねえのかよ」


 反動と踏み足で身体を跳ねさせて間合いを切った。追撃が予想される手法だがやむを得ない。相手は体勢を崩してまで深追いしてきてくれないのも憎い。


「そこまで引っ張りますか、父上?」

「俺が手を抜いているように見えるか?」

「いえ」


 グレオヌスは父親の負ける図を想像していないのだろう。最も近くで相対してきたからこその感想。ミュッセルにも身に染みてわかる。


「でけえ壁だ」

「僕の苦労を理解してくれたみたいだな」


(なんもしねえで勝てるわきゃねえ。小さく捨てるだけでも駄目だ。全力でねえと)

 覚悟を決める。


 長身であるほど懐も広く入りやすく見える。足元も弱そうだ。しかし、それら全て見せかけである。真っ先に消してきた部分のはず。


(少なくとも俺ならそうする)


 いきなり右半身に切り替えて忍び込む。低く刈りに入ったのを見越して横薙ぎが来た。神速ともいえる斬撃は全身が入り込むのを許してくれない。


「足一本くれてやる」


 摺り足を蹴って倒れ込む。距離で稼いだ時間で芯を作った。右足が打たれるのもかまわず左の掌底を打ちだす。鳩尾に触れさせるまでが勝負。


「ふん!」

「ふっ」


 しかし、掌底は届かない。ウレタンスティックの柄が当てられている。唯一のタイミングで烈波れっぱを放った。剣ごと弾き飛ばせるはずである。


「ちぃ!」

「うぬ」


 身体は開いている。ただし剣は放していない。右足を失っているはずなので右拳に芯は作れなかった。放てる攻撃もないまま相手の前に身をさらしている。


「わかった。俺の負けだ。生身じゃどうやったってあんたには敵わない」

「そうか?」

烈波れっぱまできっちり抜かれたんじゃやりようがねえんだよ」


 ブレアリウスは自分で引いていた。今の烈波れっぱは本来の力の20%も届いていないだろう。あそこから彼の首を刎ねるくらいは容易である。


「世の中広えなぁ」

 ちょっと落ち込む。

「すごーい! お父さんがちゃんと相手して最後まで立っていた人初めて見たかも」

「そっか。じゃあマシなほうか。シャワー浴びてくる。一緒に来るか」

「あ……、それはもうちょっと知り合えてから」

「リッテ、それはどうなんだい?」


 兄に叱られてるへーリテを笑いながら押しやった。


   ◇      ◇      ◇


「どうです?」

 グレオヌスは父に尋ねる。

「うむ、痺れているな。あと5cm離れていれば柄は俺の手から放れていただろう」

「勝てましたか?」

「斬れる」

 ブレアリウスは断言する。

「しかし、一生悔いの残る中途半端な一撃にしかならなかったろう。相手を苦しませるような」

「そうですか。いや……、ですよね? 僕では普通の手合わせでは未だに彼に奥義を使わせるにいたってません。まだ足りないようです」

「良き修練の場を得たな」

 肩に置かれた父の手から喜びが伝わってくる。

「勉強も頑張ってね。せっかくの留学なんだもの」

「はい、母上。両立するには全力が必要なようです。これまでになかった環境、十分に学んでいきたいと思っています」

「ええ、でももっと大事なものもあるでしょう?」

 深く頷いて返す。


 グレオヌスにも母の言わんとしていることが心から理解できた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る