第148話 中村真緒

「…やっぱり、尾行してたんですね」

「……気付いてたなら、何で一人になったのかな」

「美人さんが二人きりを所望してたら、何もしない訳には行きませんよ、ねえ中村真緒さん」


 振り向くと突然、首の付近を刃物が通った。

 思わず躱しながら後ろに下がると、すぐに壁に背を預ける事になった。


「前とは随分違いますね、流石に手荒いですよ?」

「いいのかな、抵抗しなくて?」


 力ずくなら解けるとは言え、両腕を頭の上で拘束され、腹下に本物のナイフを突き立てられている。


「それとも、お仲間が来るのかな?」

「安心してください、来ませんよ」


 ちゃんと、スマホは教室に置いてきた。

 この公民館にいる誰も、俺とこの人が体育館の用具倉庫の裏に居るなんて思ってない。


「…少し、あなたと話がしたかったんです」

「……私は、君となんて話したく無いんだけど?」

「なら、さっさとそのナイフを俺の首や腹にザックリと刺せば良い。その返り血なら、そこらを歩いてる私服警官に簡単に捕まるでしょうからね」

「……ほんっとに面倒だな君は」

「アンタが、世界で一番嫌いな人の息子だからね…」


 戯けてそう言うと、真緒は俺の腹に突き立てていたナイフを強めに押し付けて、腹の皮膚を少し裂いてきた。


「痛っ…。ひっどいなぁ、仮にも自分の義姉の息子に、こんな仕打ちですか?」

「…そっか、やっぱり君はぜんぶ知ってるんだ」

「全部ってのは、藍さんと母さんに好きな人を取られた結果、ストーカーになった事ですか?それとも、事…っ」


 ズブッ…と、冷たい感触が腹の奥まで入って来た。

 痛い、なんて言葉では表せないその感覚に、俺は理由もなく頬を緩めた。


「…俺で何人目になるんですかね、興味無いんで答えなくて良いですけど…。母さんは滅多刺しにしたらしいじゃないですか、憎くて仕方なかったって感じですかね」

「黙ろうか、このまま死にたくないでしょ?」


 脅しのようなその言葉に、俺はニヤケた顔を隠すことなく、掴まれていた片腕を解き、逆に真緒の腕を掴んで腹に刺されたナイフをそのまま離せないようにする。


「わざわざ俺がのに、そんな言い方するんですか…。そんなんだから、格好良くて大好きなお兄ちゃんを大嫌いな義姉に奪われるんで…っ…」

「黙って死ねよ」


 ナイフの刃を引き抜こうとする真緒の手を押さえつけ、離れられ無い様にもう片方の手もしっかりと掴む。


「そんなに殺したいんなら、首掻っ切れば良かったのに、非効率だな」

「……これから死ぬのに、随分と余裕だね?」

「…じゃなきゃ、なんの為にここに来たんだって話だからな。自分で出来る様な勇気はないけど、誰かの役に立って死ねるなら別に良いかなって思える」

「自己中だね」


 お前にだけは言われたくないな、と思ったものの、それを口に出す余裕は無くなっていた。


 散々俺のことを監視し続けてきたのだから、この人だって少しくらいは、俺の事を分かっていると思っていた。


「君みたいな子でも、死にたいなんて言うんだね」

「……それ、誰のせいだと思います?」

「母親じゃないかな」

「…不正解です。正解は──


 走ってくる様な足音が聞こえてきた。

 概ね、予想通りの時間だ。


 ──この人ですよ」


 俺は横に視線を逸らしながら、両手を離した。


 即座に引き抜かれたナイフに意識を向ける余裕は無く、視線の先には肩で息をする湊さんと父さんの二人が居た。


「「真っ!?」」


 ここに来る途中で偶然合流したらしい。

 十中八九、湊さんが一人でここに来ると思っていたのだが、流石に予想外だ。


 俺は壁を背に座り込み、真緒は手に持った血の滴るナイフと湊さん達を交互に見て、小さく呟く。


「……壮観だね」


 …よく言うよ。


「…時間切れか……。やっぱり、真緒さんは……俺の事、殺す気無いじゃん」


 感覚的に分かる。確かに腹を刺されはしたが、傷付くと危険な内臓や血管に傷は付いてない。

 それに…その程度の知識もなく殺人に至る様な性格の人じゃない。なにより、この人は無計画で行動する家系の人間じゃない。


 …湊さんや父さんにとっても、兄弟姉妹と言って差し支えない人な訳だから。


 俺を追ってきたら、こうなるって分かってた筈だ。それでもここに来たのは……きっと、この人も一つの確信が欲しかったから。


「やっぱり私、君の事は怨んでないよ。親の行動の責任を、子どもに被せたって意味ないもん」


……その通り、とも言い切れないのが俺だけど…。


「…そう考えられるなら、他に出来ることがあったろ…」

「…心の余裕があったら、そう考えられたかもね」

「なら多分、もう少しだけ、俺と会うのが早かったら良かったかも…ですね」

「はっ…いい性格してるね、君は」


 愕然とした様子ながらもこちらに来る湊さんと父さんの後ろから、少し遅れて拓真さんが、そのまた後ろから白龍船、中村先輩や夏芽姉さん、美月と凛月、紗月さんまで走って来た。


 そんな様子を見て、俺は思わず呟く。


「恵まれた環境で育ったからですかね」

「それ、皮肉?」

「そりゃ勿論」


 真緒さんに向かって手を伸ばすと、彼女は俺にナイフを手渡して来た。


 そして、拓真さんに向かって両手を差し出した。


「どーぞ、どうせ持ってるんでしょ?」

「…もっと早くそうして欲しかったね」

「ごメーワクお掛けしましたね」

「全くだよ」


 錠をかけられた自分の手を見て、真緒は自嘲する様に肩を揺らして、父さんに視線を移した。


「似合ってる?」

「それが似合う奴はこの世にいちゃいけねえだろ」


 そんなやり取りに、俺はヘラヘラしながら口を挟んだ。


「真緒さんは、МよりSの方が似合うんじゃないですかね」

「だってさ、息子さんの方がユーモアあるかもね。じゃーね、真君、また来世」

「来世は遠いなぁ…。また今度、日本に死刑は無いんで、そのうち面談行きますよ」


 俺がひらひらと手を振ると、真緒さんも笑って返して拓真さんに連れられて行った。


「…お前の息子は本格的に頭がおかしいぞ、二ノ宮」

「……誰に似たんだアレは…」

「多分、凛さんと俺らの親父だな」

「…特にやべえのじゃねえか」

「今のところ真が一番やばい」


 ……さっきからヤバいだの何だのと言い過ぎだろ。

 深くため息を吐いて、俺はゆっくりと立ち上がった。


「ちょっ間宮、動かない方が…!」

「大丈夫ですよ、見た目より浅いんで」


 いつの間にか、真っ先に俺の側に来たのは中村先輩だった。

 美月と凛月、白龍先生もすぐに心配する様に駆けつけて来た。


「…相変わらず、真は何考えてるのか分からない」

「ほんとだよ…!流石に正気を疑うってば!」

「……今に始まった事じゃないけど、本当に……。こっちの心労も考えてよ」

「あー…それは考慮してませんでしたね…。あの人がそのつもりなら、ちゃんと殺されるつもりだったんで」


 そう答えると、肩を貸してくれたいた中村先輩が足を止めて、俺は転びそうになる。

 何事かと顔を上げると、全員が一様に俺の事を見ていた。まるで俺の正気を疑うかのような目だ。


「…あ、別に自殺考えたりはしてないよ?ただ、殺されるならそれも悪くないなって思ってただけで…」

「なんのフォローにも言い訳にも詭弁にすらなってねえぞ」


 …まあでも、いつも思うんだよな…。

 本当の意味で、俺が居なきゃ救われなかった人なんて、誰一人として居ないんじゃないのかなって。

 寧ろ、俺が居なかった方が幸福だった人の方が、多かったんじゃないのかって。


「美月、念の為一ヶ月くらい真のこと監視しとけ」

「ん、分かった」

「私からもお願い、最近は度を超えて危なかっかしいからね」


 湊さんと白龍先生からの信頼が底辺まで堕ちたのを感じた。


 ふと、ここに来てまだ一言も話してない夏芽姉さんと、紗月さんの方に視線を移した。

 夏芽姉さんは、本格的に呆れた様な表情だが…。


 ……紗月さんは、今にも泣きそうな程に表情を歪ませていた。

 そんな様子を見た時、考える前に口を開いた。


「…ごめんなさい、紗月さん」

「っ…。なん、ですか?」

「俺やっぱり、素直に『ここに居たい』とは、まだ言えないです」

「……分かってます。浅はかなのは、私の方でしたね」


 紗月さんが浅はかなんじゃなくて…。

 俺が、それを利用しただけだ。


 紗月さんは自分の娘を二人共俺に送り出すことで、少しでも自分の目の届く場所に俺を置こうとしている。


 いつからか、なんてのは俺も分からないけど…。


 ……いつの間にか、紗月さんの中では間宮真という存在が、美月や凛月どころか、湊さん以上に大きな物になっている。


 きっと、どうにかして俺の母親になりたかったんだろう。

 俺を取り巻く環境を見ていられなくなって、いつからか芽生えた親心を満たす為に。


 …それを「自分勝手な考えだ」と糾弾できるほど、俺はこの人が嫌いじゃない。

 親だとは思っちゃいないけど…とても世話になった、尊敬してる人の一人だから。

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