第130話 「頑張れよ」

 〜side〜鷹崎美月


「…湊君は…。凛さんが二ノ宮さんの子どもを産むのに、反対してましたよね」


 不意にお母さんがそう言うと、お父さんは訝しげに目を細めた。


「それ言ったら、俺は君とだって、子供は作らないし、結婚もしないつもりだったよ」

「…そうでしたね」

「全部親のせいだ…って、丸投げするつもりは無いけどさ。俺も、紗月も、凛さんや二ノ宮だって、マトモな家庭環境で育った訳じゃないんだ。不安定な環境で育った俺達じゃ、子供への責任や親としての責任に対して不安があまりにも多かった。だから、君と子供を作るのも、父親が居ない状況で凛さんが子供を産むってのにも、反対だったんだ」


 お母さんが、きゅっと目を瞑った。


「…実際、真がああなったのは、紛れも無く俺達…環境のせいだからな。大人びて、達観してたあいつが、俺達の未熟な部分を支えてる姿を見て、大丈夫だと思って甘えて来た結果が今だ。………だから嫌いなんだよ…。真のことを見てると、“普通の子供がそうならなきゃ行けなかった環境”を作ったのはお前だって、突き付けられるから…」


 ………誰だってミスをする、人間だから。上手くいかない事だって山ほどある。理性や論理以上に、欲望や感情に流される事だって、いくらでもある。

 そうやって経験を積んで、成長していくのが人間だから。


 …でも、真は…。


 不意に、二階に上がる階段に目を移した。

 ずっとお父さんの方を見ていたから気が付かなかった。

 階段のドアの陰に座り込む、真のことを見つけた。

 私以外からは、見えてないだろう。


 ……いつから、聞いてたのかな…。


 彼の横顔に浮かぶ表情からは、 感情は読み取れそうもない。


「…俺には、あいつの父親代わりなんてやれなかった。そこまで、できた人間じゃない」

「湊君は後悔してるんですか?二ノ宮さんと凛さんを引き離さなければ…って」

「……してないよ。結果論ではあるけど、クロエと夏芽が今に至るまで成長できたのは、二ノ宮が居たからだ。真は、親が居ようと居まいと、勝手に人より優れた方向に成長するからな」

「…真は、どこまでも強い子ですからね…」


 どれだけ辛くても、苦しくても、結局は一人で他人の苦しみまで全部背負って、解決してしまう様な男の子だから。


 ……でも、だとしても…私は……。


「それに、なにより…結局のところ、俺には本当の犯人が誰なのか…なんて、分からないからな。どうせ真は今頃、真犯人を捕まえる算段まで立ててるんだろうなって思うと、自分の無能さが嫌になるよ」


 お父さんは大きなため息を吐いて、天井を仰いだ。


「美月」

「ん」


 突然名前を呼ばれて、体に緊張が走ったのを感じた。


「俺個人の感情だけを言うと、正直、スゲェ嫌なんだけど……。まあ、仕方ないよな」


 そんな前置きに眉を顰めていると、お父さんは階段の方に視線を移した。

 真の姿は見えてない筈だから、気付いた訳ではないだろう。


 その後、すぐに私の方に視線を戻した。


「…アイツ、これからもきっと、お前の事を“見てないふり”を続けるぞ」


 ……見てない…ふり…?

 まるで真が、私の事をそういう意味で見ているかのような言い草だ。

 そんな訳無い…って思う私とは裏腹に、お父さんの表情は真剣だった。


「真の事を支えたいって本気で思って、本気で慕ってるんなら……。行くか?」

「……どこに?」

「“赤柴高校に”だよ。確か、今年は文化祭と真の誕生日が被るんだったよな」 


 お父さんは、黒崎先生に確認を取った。

 黒崎先生が訝しげに頷くと、お父さんはため息混じりに話を続けた。

 

「そういうの、顧みる奴じゃないし…十中八九、真はそこで二ノ宮誠とは別の、真犯人と会合する算段を着けてる筈だ。同級生って立場なら、そうなった時によな?」

「……ん…」


 …それは……つまり…。


「好きなんだろ、真のこと。あいつの力になりたい、支えてやりたいって、そう思ってんだろ?」

「……当たり前」


 そう、当たり前だ。だって、それが出来なかった事を凄く後悔しているから。


 お父さんは、椅子から立った。


「なら、少しでも長く側に居てやれ。俺には、美月や真にしてやれる事は少ないけどな…。お前なら、真にしてやれる事は一杯ある筈だろ」

「……ある…かな…?」

「あるだろ。真って、何だかんだお前のこと頼りにしてるし、大切に思ってるよ。“昔からずっと”…な」


 私の視線はいつの間にか、ドアの陰に居る真に移っていた。

 ……目が合った。

 どことなく懐かしい、無表情と言える様な言えない様な、微妙に表情の無い顔。


 …私は、真と居てもいいの?


「美月、どうする?」

「…私は…。真と居たい。少しでも長くとか、そんなんじゃなくて…。ずっと…」


 一生掛けてでも手を伸ばして、真と手を繋いで隣に立ちたい。

 …あの日見た、手の届かない満月と違って、いつでも彼に触れられる所に。


「…そっか」


 いたずらっぽく笑みを浮かべて、部屋を出る直前に足を止めた。


「実はもう、赤柴の理事長と、緑雲の校長には、話付けてある。…まあ、赤柴の理事長に中退欠員がどうとかって、ちょっと前に愚痴られてたんだけど、その繋がりでな。明日、早めに行って職員室で制服貰え。そのまま、授業受けてくると良い」 

「…え…湊、そこまでやってたの?」

「あぁそう。白龍には悪いけど、美月のことここに置いてやってくれ。どうせ部屋空いてるだろ?」

「それは構わないけど…」


 不意に凛月が目に入った。

 あの子にとって、色々と不都合というか、あまり気持ちの良い話では無いはずだ。

 それなのに、凛月は何を言う事もせず、黙って話を聞いていた。


「頑張れよ、美月」


 そう言い残してお父さんが部屋を出ていって、お母さんも微笑みを浮かべたままにその後を追った。


 凛月も、少し遅れて部屋を出ようと、足を進めた。

 私のすぐそばを通るその時、私と目を合わせた。


「…良かったね、みつ」


 ……ぎこちない作り笑いだった。


 その表情と、声で、初めて気付いた。


 ………凛月も、私と同じ気持ちだったんだ……。


 ずっと周りに、気付かれない様にしていたんだ。


「……私の分も、お願いね」


 私にしか聞こえない本当に微かなその言葉。


 小さく頷いてみせると、作り笑いは少しだけ自然になった。

 両親に次いで部屋を出て行った凛月の瀬を見送ってから、今度は黒崎先生に目を移した。


「………そういう事らしいので、これからよろしくお願いします。黒崎先生」

「…湊はもう、凛さんの事言えないな…。はい、お願いされました。こちらこそ、よろしくね…。……真のことも」


 呆れた様な、でもどこか嬉しそうに、黒崎先生は頷いた。

 呆れているのは夏芽さんも同じ様で、苦笑いを浮かべたまま、階段の方に目を向けた。


 ……どうやら、夏芽さんは気付いてたらしい。

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