第126話 好き、嫌い
「あっ、真さん。来てたんですね」
少し社長と話をした後、再度二人の様子を見に戻ってくると、丁度休憩している汐織の事を見つけた。
「うん。ちゃんと会うのちょっと久しぶりだよな」
「そうですね、連絡は取り合ってましたけど」
「夏休み明けはどんな調子?」
「お陰様で上々って感じです」
「そっか、なら良かった」
すぐ隣に立つと、汐織は少し距離を取った。
「…ん?」
「…いや…。汗かいてますから…」
「ん、暑かったよな、悪い」
汐織が小さくぼそっと、「真さんって、そう言う気遣いは出来るんですね…」と呟いた。
俺がここで汗の匂いがどうこうとかって話をするのはせいぜい真冬くらいな物で、同じ気遣いでも相手によって言い方は変える。
「あ、てか、シオはさ…」
ドタンッ…!!
特に意識する事なくそう呼んだ時…突然後ろで話していたクラリスの三人とついでにクロエまで、ガタガタ、バタバタと騒音を立てた。
思わず振り向くと、どうやら凛月が転んだらしく、ドミノ倒しにほか3人も倒れ込んだ様だ。
「…おい、大丈夫か?」
「だ、だい……。えぇ……?」
驚き方がちょっと尋常ではない。
一体何があったんだ。Gでも出たか?いや、そんなので驚く凛月では無いし…。
…と、その答えを出してくれたのは、一緒に転んでいた真冬だった。
「あ、あんた…何?いつから夜空の妹のこと『シオ』なんて呼び方…」
真冬の横でぶんぶんと首を縦に振る凛月と南。
言われて気付いたが、確かにそうだったか。
そう言えば、夜空と大翔以外では、せいぜいクロエくらいしか知らないんだった。
言われて見れば、俺が愛称で呼ぶなんて滅多な事では無いどころか、なんなら汐織が初めてくらいだ。
いや、なんかしっくり来ないんだよな。
今まで年下の女の子と仲良くなる機会なんてなかったものだから…。
クロエは兄妹だから別として、年下の女の子を相手に話すから自然に優しい雰囲気で話しかけるし……そういう状態で「汐織」なんて呼び捨てにすると、まるで恋人に優しく呼びかける様な感じがして、ちょっとしっくり来ない。
……ということを、至極真面目に説明すると、三人は納得したようなしてないような、よく分からない表情で、取り敢えずは理解を示してくれた。
なんでこんな恥ずかしい事を一々説明しなければならないんだ…。
「…いっつも思うんだけど、真君って、ドン引きするくらい気まぐれよね」
「今まで知らなかったけど、年上相手には遠慮なく話すし、年下相手にはめっちゃ優しく接するし…」
「そのくせ、同級生相手になると、基本塩対応のくせに、ちょっと弱いとこ見せた途端一気に懐に潜り込んでくるもんね…」
…え、なんで責められてんの?
陰口なら聞こえないところでやって欲しい。
けど、こっちはこっちで汐織と話をしているから聞こえないふりをする。
「…真さんって、あれだけ皆に好かれてるのに、なんで恋人作ったりしないんですか?」
「んー…シオって、異性を好きになった事ってある?」
「真さんくらいです」
からかう様に笑う汐織。
「ん、そう?俺も好き」
笑って返すと、汐織は苦笑する。そして後ろからまた色々言われるけど無視。
まるで表情豊かな夜空だが、それは最早夜空ではないので、彼女ならではの可愛らしい魅力だと思う。
「ま、でもそれって、恋愛感情とちょっと違うだろ?」
「…いえ、そんな事ないです」
「えっ?」
汐織はさっきと変わらず、微笑みを浮かべたままに俺の目の前に立つと、少し背伸びをして、そっと、俺と唇を重ね合わせた。
「私は純粋に真さんのこと、好きですよ」
時が止まった。
俺だけじゃなくて、後ろで聞こえるように陰口を言っていた三人も、レッスンの先生と話していたクロエまで押し黙った。
「…そもそも、私の事
そう言ってから、いたずらっ子の様にペロッと舌を出して笑った。
その仕草は、俺のファーストキスを奪った夜空の姿と、あまりにもそっくりで…。思わず顔を背けた。
…くそっ、忘れてたのに…。
誕生日だったか。夜空が大翔にあんな顔を見せなかったら、俺はあのまま、彼女の魅力に陥落していただろうに。
……シオはきっと、俺以外にこんな表情を見せる事は無いんだろうな。それはすごく魅力的で、心惹かれる物…。だけど…。
「……ごめん…」
「いえ。知ってましたから」
汐織は笑顔を崩さなかった。
「次、同じセリフを言えるとは思わないで下さいね」
……あぁ───
湿っぽいのは嫌なんだろう。
彼女は本心から優しく微笑んでいた。
──君みたいな子を、好きになれる人間だったら良かったのにな…。
元々好きではないけれど……誰かに代わって欲しいと思うことも多いけれど……今だけは自分の事、心底嫌いになりそうだ。
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