第102話 虚実混交

 ─カチャン、カチャン。


 という物音に気付いて目を覚ました。

 目を擦ろうとしてまた、カチャカチャと音が鳴る。


 ……なんだこれ?


 少し体を動かそうとして、何となく覚えのある感覚にも気付いた。

 瞼を上げても、視界は暗く少しぼやけている。


 それでも、状況は何となく頭に入って来た。


「…渚…?じゃ…ない。…美月……?」


 月明かりを反射する銀髪が目に入ってきた。

 名前を口に出してから、いや流石に…と思っていたのも束の間。


「…流石に起きるか…」


 よく聞き馴染みのある美月の声が耳に入ってきた。


「………なに、やってんの………?」


 恐る恐る尋ねると、自分の頬に柔らかい髪が触れる感触、僅かに甘い香りがする。

 抑揚のない、いつもの静かな声が耳元で囁いてくる。


「…気にしないで、寝てて良いよ」


 心地の良い、どこかゾクゾクする様なその声。どうしてか俺は咄嗟に押しのけようとした。でもまた、カチャンと音がなって腕を何かに引っ張られる。


 あ………これ、寝てて良い奴じゃないな。


「…おい美月、お前なにやってんだ?」

「……相変わらず目覚めが良いね」


 少し不貞腐れた様にそう言って、俺の首筋にチクッと爪を立てて来る。


「話反らすなって。なにを堂々と人が寝てる間に手枷つけてんだよ」

「こうしないと逃げるでしょ」

「何されるか分かんねえからな。で、何してんだよ」

「まだ拘束したところ。これから服脱がせないと」


 言いながら、美月はくすっ…とほんの少しだけ肩を揺らした。

 夜這いじゃねえかよ、相部屋だぞここ。隣に渚寝てるの見えてんだろ。


「止めろ」

「真は耳を甘噛みすると良いって栗山さんが言ってたから試そうと」

「なにチクってんだあのアホ…」


 何か話すにしても、人の弱点を周りの奴らにばらまくのは普通に駄目だろ。


「これ外して」

「ダメ」

「……そろそろ美月のこと嫌いになりそうなんだけど」

「そうはならない。

「…」


 そう言われて少し納得した自分が居る。


「…っ……」


 美月は顔を近づけてくると、俺の耳に口づけをした。普段聞き慣れない様な唾液の音のあとに、少しの痛みと強い快感を覚える。


「…可愛い、顔真っ赤にしてる」


 耳元で囁くなよ。俺はこの状況を渚に知られる可能性があることが一番恥ずかしいんだよ。

 なんで気になんねえんだよこいつ。


「……凛月の話は気にしないで」


 声の雰囲気が変わった。ちょっとからかうのに逃げられたくないというのは事実だろうけど、どうやらこっちが本題の様だ。

 どこか怒気が含まれたような声色に、少し珍しい感覚を覚えた。


「…タイミングを間違えたのは分かってる。私も凄く焦ってた自覚はあるから。でも、真に向けてるこの気持ちは本気だから」

「……凛月が何を言ってたか、なんで知ってんだよ」

「本人に聞いた。それで、真に告白したこと少し

「具体的には…?」

「『私たちはそんな関係じゃないでしょ』ってそんなところ」


 良くも悪くも仲の良い姉妹だと思っていたし、それが間違いだとも思わない。

 ただ、たとえ仲が良いからと言って全ての意見が一致する訳では無いだろう。


「…所詮は幼馴染みで、偶々従姉弟でもあったってだけ。…そんな関係なんて、何も無いでしょ」

「…言い過ぎだろ」

「結局は他人だよ。育った環境が近くて、普通より一緒にいる時間が長かっただけの他人。そもそも真は分かってるでしょ、真を産んだはずの凛さんにとってですら…真はだったんだから」


 俺は美月と凛月の二人のことを、それこそ自分が産まれたばかりの頃から見ている。それだけの時間一緒に居たはずだ。

 初めてだった、美月が湊さんに似ているなって思ったのは。


 淡々とした口調で論理的、それでいて酷く感情的な言葉が続いた。


「渚だってそうだよ。ずっと真のこと好きだった、同性でも別におかしいとは言わないよ。でも顔が似てるからって同じ歳のクロエに近付くのはどうなのかな。今日だって、真に相部屋って言われた後に少しはしゃいでたの知ってる?」


 知らなかった、と一言で済ませることはできる。

 結局のところ感情の話なんて、本人の口から聞いたとしても真実かどうか分からない。


「…お父さんもそう。本当に私達の従姉弟ならあの人にとっても甥っ子。それを知っていたのに、それまで一切家族としては扱おうとしなかった。凛さんも黙認していたし…。白龍先生も、家族以上に男として見てる。クロエと夏芽さんは同類……仲間意識でしか無い」


 ……………。


「…美月お前、何が言いたいんだよ」

「分かるでしょ。だって言ってるの。とぼけてる様に見えて、凛月は自分の言葉が誰にどれだけ影響を与えるか分かってるし、結構打算的に動く事もある」


 …それは分かってる。

 でも、美月が俺に、言いたいのか、肝心のそれが分からない。

 凛月も、俺の事なんて家族だとは思ってないって美月はそう言いたいんだろうか?


 ………紗月さんも凛月も、俺にとって耳心地の良い言葉を言ってた、ただそれだけなのだと。

 さっきの凛月の行動は打算的なものだって、そう言う事だと、美月はそう言いたいのか。


「…甘い言葉だけ聞いてないで、現実見てよ」


 顔に水滴が当たった。

 眼の前から流れ落ちて来る水滴。

 美月の涙が俺の頬にポタポタと降ってきた。


「……何も出来ないのは分かってるけど、真の為に何かしたくて必死なんだよ…。真にとって私はいつでも手を伸ばせば届くのかも知れないけど、私にとって真は凄く遠い事も、分かってよ…」


 ………………俺の何処が遠いんだよ…分かるわけねえだろ。

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