第95話 身勝手な怒り

 美月の覚悟を踏み躙った。


 彼女が踏み出そうとした一歩がどうしても許せず、俺は突き飛ばすように彼女を押し戻した。


「…ごめん、本当に…」


 美月はいつもと変わらない無表情で言うと、態度とは裏腹に逃げるようにして家を出て行った。


 そんな彼女の姿を見送ってから、俺はその場にしゃがみ込んだ。


 一度は忘れられそうなくらいに小さくなった、胸に空いた穴から響く痛み。


 今ではそれが動けなくなるくらい、全身に響いてくる様な気がした。


 誰かからの好意がここまで心に突き刺さる事が有る物なのだろうか。


 この感情、激情はあまりにも自分勝手だ。


 何もかも全て俺が悪い。


 でも絶対に、掻き消せないくらいに心の中に宿ってしまった。


「なん…で……。もっと早く言ってくれなかったんだよ…」


 それがいつからなのか、俺には分からない。


 でも彼女は…美月は俺と違って、自分の感情に気付けないような鈍感じゃない。


 きっと気付いていた筈だ。何か理由があって押し殺していた感情が、最近の俺の姿を見て溢れ出してしまっただけで。


 でも、もっと早くにそれを伝えてくれていたら。

 ……俺は、どれだけ楽だったんだろう?


 少なくともこうして、彼女の言葉で心の傷を増やすことにはならなかった筈だ。


 彼女がその想いに気付い時点で言ってくれれば、俺はきっとその感情を理解できなくとも「美月だから」という理由にもならない理由で受け入れた。


 でも、今はダメだ。


 今だけは、聞きたくなかった。

 知りたく無かった。


 俺は自分の感情を再確認したばかりだった。


 紗月さんの言葉と、母さんの行動と、自分の思いを照らし合わせて。

 もう少し今のまま頑張ってみようって、そう思っていたのに。


 …なんで今になって手を差し伸べられなきゃ行けないんだよ。


 それも、ずっと手を伸ばしていたのに。俺の知らない俺に気付いていながら、握り返してくれなかった彼女から。


 今更になって言われても、応えられる気がしない。


 俺はそんな自分の、あまりにも自分勝手な怒りをどうにかして抑え付けた。


 心に灯った火種を無理矢理に鎮火した。


 美月は悪くない。悪いのは身勝手な自分だと言い聞かせて。


 ふと、立ち上がろうとして床に手をつくと…ポタッと水滴が手に落ちた。


 …また、か。


 最近ずっとこんな調子だな、俺は。


 15歳にもなってるくせに随分と涙腺が弱いものだ。


 彼女が俺のことも…恥も、見聞も考えずに、もっと早くからその想いを口に出してくれただけで、俺はどれだけ報われたんだろう。


「…“好き”なんて言葉、軽く言えば良いのにな…」


 たった一言、二文字を言葉にするだけなのに…多くの想いを込めて、何よりも大切な存在へ向けられる。


 本来ならその言葉で傷付くことなんて無い筈なのに。


 タイミングと、それを言う相手が変わるだけでこんなにも心に突き刺さるなんて。


 おぼつかない足取りで立ち上がり、一緒に顔を上げる

 すると、すぐ目の前に白龍先生が居た。


 俺のことを心配するような表情で。


「…どうかしました?」

「こっちのセリフだよ、美月と話してると思ったら…今度はどうして…」


 自分の涙声に驚いて、少し咳払いをしてから一度目元を拭った。


「大丈夫です、ただ…美月にちょっと八つ当たりしちゃっただけで」

「普通なら八つ当たりした側が泣いて、された側が謝ってくる状況なんて無いのに?」


 美月は白龍先生に謝ったらしい。一体どんな事を言ったのか、もしくはどんな連絡したのか。


「少しタイミングが悪かっただけです」

「…二人で同じ事言ってるなら本当なんだろうけど、君は少し…って顔はしてないね」


 泣いてるくらいだからそうは見えないか。でも本当に少しだけだ。


 美月と喧嘩したことは無い。寧ろ今回は好意を伝えられた状況だ。

 時間さえあれば俺は落ち着く。誰かに対しての怒りが長続きするタイプじゃないから。


 それが美月であれば余計に、長い時間悩むことにはならないと思ってる。


「本当に、大丈夫です」

「真…」


 咄嗟に、伸ばされた手を振り払った。

 そんな事をするつもりは無かったが、俺は白龍先生の表情を確認する事もせずに自分の部屋に戻った。



 〜side〜鷹崎湊



 美月の様子がおかしい。

 真の所に行っていた筈だが、帰って来るなり何も言わずに部屋に引きこもってしまった。


 夕飯も食べ無かったので少し気になって声をかけに行った。

 いつもの様に返事は返ってくるが顔を見せようとはしない。


「……真と何かあったのか」

「気にし過ぎですよ、湊君」

「…そうか?凛月ならともかく美月がこうなるのは初めてじゃないか?アイツに限って真と喧嘩するってことはないだろうし…」

「喧嘩はしなくとも、後悔する事はありますよ」


 コトっとテーブルに置かれたカップを手に取り、隣に座る紗月に視線を合わせる。


「以前に一度だけ、同じように部屋に籠もったことがあります」

「あるのか。俺が知らないってことは、居なかったタイミングだよな」

「はい。その時には「自分のせいで真を傷付けた」という理由で酷く後悔していました」

「……傷付けた…?普通逆じゃないか?」

「真はどう頑張っても親しい相手を傷付けられる様な性格ではありませんから」


 それは分かっている。


 幼馴染みなんて、小さい頃から一緒に居る…というだけの関係だが、それだけのせいで真と美月、凛月の関係値はどこかおかしな事になっている。


 幼馴染み、というその関係を望んだのは紗月だが…それが吉と出たか、凶と出たのかは未だに分からなかった。


「……これは私の予想でしかありませんけど」

「ん?」

「フラレたんじゃないですか?」

「…は?真に?」

「はい。ああ見えて、美月は真のこと大好きで仕方ない子ですからね」

「………あの二人は誰も知らないところで遊んでたりしたからな…」


 そうなってもおかしくはない関係だ。


「湊君の心中は穏やかじゃなくなりますね」

「……紗月、分かってんならあんまりあいつらの事近付けないでくれよ…?」

「私は何もしてません。真が勝手にモテモテになってるだけです」

「…凛月の様子なら、美月もそうはならないと思ってたんだけどなぁ…」

「あの二人は似てない様で実は似てますから…」

「…………いや、凛月は大丈夫だろ、多分」


 真の事は少しだけ心配だが、流石に大丈夫だろう。

 次会う頃には立ち直っている…筈。


 それまでに美月が立ち直っているかどうかは…ちょっと俺には分からないな。

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