第93話 心の傷を

 晶が『じゃ、顔も見たし僕は帰るよ』と言って部屋を出たのを皮切りに、男連中はさっさと出て行った。


 クロエと姉さん、白龍先生は気を使ったのか買い物に行くと言って3人で出掛けてしまった。

 後に残ったのは美月だけだ。


「……」


 気まずい訳では無い。俺も美月も、本来だったら二人で居る時にそんなに話をしたりするタイプじゃない。


「……ん……」


 カラになったマグカップをキッチンに片付けてからリビングに戻ると、ふらっと美月が目の前に来た。


 どうした?と、そう聞く前に唇を塞がれた。


 少し背伸びをして、首に腕を回される。


 触れ合う舌先は熱を帯びていた。


 美月にキスされたのは一回や二回じゃないが、どれもこれも…美月から、不意討ちでされる物だった。


 それは今回も同じ。

 普段なら持ち前の反射神経で察知できるのに。


 こうしていると、どうも頭が働かなくなる。


「………何やってんだよ…」

「別に…」


 か細い声を出すだけで、密着したまま離れようとはしなかった。

 顔を俯かせて、俺のことを見ようとしない。


 …おかしい。なんだよ、それ…。


 普段美月の考えてる事なんて欠片もわからない。


 …その筈なのに、なんで…?


 美月が俺に何かしたい、なんて思う事なんてめったに無い……って、

 きっと、何も出来なかった事が辛かったのだろう…とか、そんな事を考えていた。


 少し離れた所に居ようが、関係が拗れそうな事をしようが、俺と美月は幼馴染みだ。

 そしてそれは、その関係を望んだ人が居たからそうなった。


 なら、一つだけ疑問が残る。

 その幼馴染みである当事者は、その関係を今も望んで居るのかどうか。


「……美月………?」

「………ん…」


 一歩だけ、後に下がると…ゆっくりと顔を上げた。

 母親と同じ白銀の髪をなびかせて、蒼穹の瞳を大きく揺らして、まっすぐに視線を向けられる。


 俺は人の感情を読み取るのが得意だ。

 人によって何を考えてるのか手に取るように分かるし、次にどんな行動に出るのかまで予測がつくことすらある。


 でも、どれだけ長い時間を隣で過ごしても…美月の考えてる事だけはよく分からなかった。


 昔の俺と同じか、それ以上に表情が変わらないし…感情を表に出すことも無いから。

 思ったことをそのまま言っている事はあっても、それが嘘が本当かの判別がつき辛い。


 彼女の考えている事が分からない理由は、もう一つあった。


 15年の人生の中で、一体どれだけのトラブルに巻き込まれたかなんて一々覚えては居ない。

 ただ…何回も凛月を助けた記憶はあっても……美月を助けた記憶は無い。


 寧ろ美月には、何度も助けられた。


 自分でも気付かないくらいに、何度も助けを求めた。


 いつも誰かを助けて傷付く俺のことを、彼女だけは助けてくれた。


 美月は、普段やる気がない。

 才能はあるが、興味を持たない限りやろうとしない。


 と言っても、義務教育とか高校の勉強とか、必要な事は仕方なく身につける。


 無気力なだけで、大抵の事は何でもこなせる。

 凛月のように好奇心旺盛だったら、きっと凛月よりも目立つ存在になっていた。

 そう思えるくらいに、美月も才能がある。


 そんな美月だが、こと俺に関してだけは…俺自身より頼りになる時がある。

『何も出来なかった、私じゃ真の力になれないなって…今更になって気付いた』

 彼女は俺に向かってはっきりとそう言った。


 それに対して…そんな事は無い…と。

 否定するのは簡単だった、なのに何で俺は…何も言えなかったのか。


 本当に、今更になって、気付いたからだ。


 美月は興味のある事に関しては凛月よりも優秀だ。

 勉強に興味が無いから、凛月よりも成績は低い。

 運動に興味が無いから、凛月よりも体力は無い。

 それでも、平均よりはどれもこれも上だ。


 俺や湊さんが関わると途端にポンコツになる凛月とは逆に、俺や湊さんが関わると誰よりも頭が回るのが美月だ。


 それは何故か?


 なんで今まで気付かなかったんだ?

 俺だけじゃない。

 他の誰も、きっと…本人以外、誰も気が付かなかった。


 鷹崎美月が、それを悟らせようとしなかった。


 ……今になって…隠していた、蓋をしていたその感情を見せたのはどうしてだよ?


 簡単な話だ。

 限界が来た俺のことを見て…手の届かない場所に居たせいで、助けられなかった幼馴染みを見て、一つの決意をしたからだ。


 今から彼女が何を言うのか分かった。


 分かってしまった。


「あなたのこと──


 だから俺は咄嗟に叫んだ。


「止めてくれ!!」

 ──えっ…?」


 今の俺は、どんな顔をしてるんだろう。

 美月の言葉を遮って、何がしたかったんだ?


 別に何かしたかった訳じゃ無い。


 他の誰かに言われるなら、きっとまだ受け入れることが出来た。

 なんだかんだと言いながらのらりくらりと受け流して、今まで通りに生活するんだろうなって思えるから。


 でも、彼女に…幼馴染みに言われてしまったら。

 それが心の底から想っている言葉だとしたら。


 俺は本当に、耐えられなくなる。

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