第89話 陽は堕ちる
目を覚ますと、寝間着姿で自分の部屋に居た。
外には夕陽が放つ橙の光、太陽はゆっくりと陰に隠れていく。
自分の部屋、と言ってもここら白龍先生の家では無く…間宮真としての自分の部屋だ。
いつからかは分からないが、隣に座っている紗月さんは静かに微笑んでいる。
何があったのかは覚えている。
どうして今ここに居るのかも、何となく察している。
そしてきっと、紗月さんもそれを知っている。
だからこそ、そっと抱きしめてくれた。
一度吐き出した筈の感情が、また溢れそうになって…今度は紗月さんの胸の中で涙を溢し、気持ちを吐き出した。
…それは意図してやっていたことなのか、それとも偶然なのか。
結局のところ、本人に聞いてみるしかない。
そう思って口を開こうとした時、紗月は俺の頬をそっと撫でた。
愛おしい存在を愛でる様に、優しい瞳を向けてくる。
「ただの嫉妬です」
「…えっ、嫉妬…?」
多分、俺がしようとした質問の答え…なのだろう。
「誰に……?」
「妹、ですね」
「い…もう…と……?」
紗月さんに妹が居るなんてのは初耳だった。そもそも俺は紗月さんの家族についてなんて知らないし、紗月さんが実家に帰った様子を見た記憶も無い。
「実は、何度か見たことがあるんです。真があの子と話している姿を…。河川敷で、川を眺めながらおかしそうに笑い合う真とあの子の姿が、どうしても羨ましかった」
「……妹…って…えっ…あ……っ!?」
俺が河川敷で話をしていた人なんて一人だけ。
天音由紀さんは、以前に「会った事は無いし…どんな人かも知らない」が…お姉ちゃんが居ると…そう話していた。
自分が養子に入ってすぐに出てった……いや、父親に捨てられたんだ…と。
「…私は旧姓が天音なんです」
「………そういうことかよ…」
「真とあの子の関係性…母と子の様な、姉と弟の様な…そんな関係が、凄く羨ましかった。ああして真に寄り添うのは、私にも…凛さんにもできなかった事でしたから」
「あ、あの…俺が聞きたいのは……ん…」
紗月さんは俺の唇に人差し指を当てた。
どうやら、もう少し話を聞いて欲しい様だった。
「…実は以前…具体的には、小学校を卒業する前後くらいですか。その頃まで、湊君は真のことを嫌っていたんですよ」
それは……知っている。
薄々勘付いてはいたが、気にしない様にしていた。
一番身近に居る、一番“父親”に近い年齢の男性。
湊さんはそれをわかった上で、父親らしい事はしなかったし、俺に父親の様な存在だと思われることを嫌がって、
「真が二ノ宮さんの子供であることが、やっぱり…どうしても、嫌だったらしいです」
「湊さんは、そんなに嫌ってたんですか?俺の父親を」
「それはもう、例えは最悪ですが…親の仇のように」
本当に最悪だよ、湊さんの家庭事情からすると余計に酷い。
「紗月さんは、嫌いじゃ無かったんですか?」
「うーん…どうなんでしょう?私は基本的に年齢が近いと、湊君以外の男性に対しては興味が薄くなってしまうみたいで…」
「………」
あ、うん。まーね…?そんな気はしてたけど。
「私はあまり、人の内面を察したり共感したり…そういうのが得意では無いんです。だから、私には湊君や凛さんがあの人を嫌っていた感情は、あまり理解できません。何より…私を愛してくれた人は、私だけを見てくれる人でしたから」
優しい顔で微笑む紗月さん。
「そう、ですね…」
「…だから私は、凛さんが産む子供を愛したかった。たとえどんな子であったとしても、こうして我が子の様に接したかった」
「………」
「でも、上手く行きませんね。三人居る実の子ですら、どう接するのが正解か分からない。きっと…私が普通の家庭で育っていたら…もっと子供との接し方も分かったんでしょうか…?」
「…どうですかね…。俺にも分からないです」
「本音を言ってしまうと…三人と話すよりも、真と話す方が私には合ってるんですよ」
「……実の子よりってことですか?」
「はい。私の子供達より、真の方が…湊君に似ているので」
「……紗月さんって、本当に湊さんの事好きなんですね」
湊さんからプロポーズしたって聞いた事あるけど、嘘なんじゃないだろうか。
「…私には、湊君しか居ないんです。私を…“天音紗月”を何処にでも居る一人の女の子として接してくれる人が」
「……」
「最初は結婚もしない、子供も作らないって…。湊君は私に気を遣ってそう言ってくれてました。でも私はこうして今、三児の母として生活してますから…そういう事です」
「…紗月さんは、昔そういう…事に抵抗があったんですか?」
「ふふっ、そうですね…。私は文字通り「一夜の過ち」で産まれたらしいですよ」
微笑んでいる瞳の奥に、ほんの少しだけ悲哀が揺らいでいた。
「だから、とは言いません。でも…真の気持ちは
「…紗月さんは…」
「同情だと言われたら、それまでですけど…。私の存在、私の感情、真の存在も、感情も…ここにある。それは嘘偽りない真実です」
「………」
「…だから、私は凛さんに真を産んで欲しいと、そう言いました」
…そういう事、か。
なんでここに紗月さんが居て、俺に話をしてくるのか。
俺が聞きたかった事の答えであり、また…紗月さんは俺に聞きたかったんだろう。
赤柴の校門広場で俺が言った事を、白龍先生が誰か…もしくはあの状況を撮影していた奴でも居たのかも知れない、そいつがまた…どっかのSNSにでも投稿したのか。
少なくとも、俺があの場で言い放った事を、紗月さんは知っている。
少し目を泳がせてから、観念して視線を上げた。
今にも涙を流しそうに揺れる蒼穹の瞳。
「…真は、産まれてきた事を…後悔してますか?」
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