第88話 “間宮真”
その子を産むべきか、堕ろすべきか。
鷹崎湊と間宮凛、二人はずっとその事ばかり話していた時期があった。
その話に終止符を打ったのは…鷹崎紗月だった。
「凛さん…その子がもし生まれたら、どんな子に育つと思いますか?」
「…どんな子っ…て、そんなの分からないけど…」
「私は、とても可愛らしく、優しく…聡明な子に育つと思いますよ。凛さんの子供ですから」
「自分勝手ですぐ居なくなる手のかかる自由人の間違いだろ」
「ちょっと湊君〜?流石に言い過ぎじゃないかな?」
「ふふっ、まあ…分かりませんよね、どんな子に育つのか、なんて。実際に、産まれてこないと…分かりません」
「……うん」
「凛さんは、会ってみたいと思いませんか?一度、先入観を捨てて…」
「…ん〜…でも…」
決断しかねている凛に、紗月はしびれを切らした。
「もうっ…。なら、私の本音を言わせて頂きますけど…。もう、凛さんの子供の名前を考えてたんですよ。だから、私に名付けさせて下さい」
「えっ?えぇ…?気が早くないかな…」
「…きっと凛さんの子と、この子達は長い時間を過ごす事になるんです。それくらいは考えませんか?」
紗月は凛よりも大きくなっている自身のお腹を優しくさすりながら言った。
「……ん、まあ…紗月が、そんなに言うのも珍しいしな…」
「そう、だね…。そんなに言うなら……」
「因みに、なんて名前を考えてたんだ?」
「ふふっそれは…産まれてからのお楽しみです」
「はあ…?なんだよそれ…ったく」
そうして産まれてきた子供は紗月に「
例えどんな親を持ち、どんな生き方をして、どんな子に育ったとしても。
今、ここに居るこの子の存在に嘘偽りは無い。
紗月にとってこの子は、一足先に自身が産んだ双子と同じくらい、思い入れがあった。
恩人の子であり、ちゃんと話したことは無いが湊が敬愛する祖父である人と同じ血が流れている。湊の血縁者である事を考えると…どうしても凛さんには産んでほしかった。
それがワガママなのは分かっている。だから、凛さんがどうあっても私はこの子を見捨てない、そう心に誓った。
…ただ、そんな考えは三年と少し経った頃には吹き飛んでいた。
近くの公園で他の子供達とわちゃわちゃと遊んでいると…転びそうになった子供の手を引いたり、何かの拍子に泣き出しそうな子供を親元へ連れて行ったり。
同じ三歳児とは思えないほど聡明で、感情を表に出さなくて。
真は異常と言って良いほど、早熟だった。
月日を重ねるごとに幼児から“子供”の段階を飛ばして大人びて行った。
小学校に入った頃には、凛さんに代わって家事の殆どをこなしていたし…正直、一人暮らししても問題無いんじゃ無いかと思えるくらいには成長が早かった。
そして、彼の顔立ちや背恰好は少しづつ…二ノ宮誠に似ていった。それに気付いた間宮凛は、逃げる様に仕事に没頭した。
それに応じて真はより一人で出来る事を増やした。
その頃からだろう、真のトラブル体質が露見し始めたのは。
キッカケなんて無かった。強いて言うならば、本当に小さな予兆だけ。
小学校に入ってすぐの頃、凛月と美月の二人は当然の様に注目を浴びた。
二人の容姿。凛月の明るい性格と美月の物静かな性格のギャップも相まって、周囲の視線を集めに集めた。
そんな二人を、真は一歩引いた場所から見守った。
その行動に“これ”と言った意志はないが、子供ながらにその立ち位置を羨んだ者が複数人居たようだ。
…以来、間宮真のトラブル体質が年齢を重ねるごとに成長していった。
そしてその体質が大きく露見した出来事が、小学四年生になった時にあった宿泊学習と呼ばれる行事。
一泊二日での泊まり先、そこで真は事情があって一人遅れて温泉に向かった。
自分一人で広々とした温泉を使える事への有難みを感じていると、何と言う事か…そこに女性の先生が二人ほど乱入してきた。
場所は温泉、当然ながら裸の先生達。
半ば強制的に追い出されてからはたと気がついた。
自分が入っていたのは男湯。
それに間違いはない。
そう思って確認すると……そこはやはり男湯であった。
先生方は真が一人遅れて入っている事を知っていた。それに先生が入る湯を間違えたと言うのに追い出されたとは何事か。
まあそんな過ぎたことは仕方ない。真は大人しく部屋に戻った。
すると翌朝、同級生達が集まってる場所で先生二人に平謝りされた。
それを見た同級生達は一体何を思ったのか、真には想像がつかなかった。
小学5年生になってすぐの頃、真は一度大怪我をした。
何があったのかと言われれば単純。
初めて彫刻刀を持って遊びふざけるクラスメイト達の巻き添えを受けて、肩口に大きな傷が残った。
校内でそれは大問題として取り沙汰……されなかった。
真が自分の不注意で、彫刻刀の整理をしている生徒と衝突したことが原因だと弁明したからだ。
先生に厳重注意をされる真の表情はいつも通りの無表情で、何もかも見透かしているかのようにも、何も見えていない虚無にも映る。
そんな彼の姿に嫌気が差したのか、先生は左の肩から血を流したままの真に思い切りビンタをした。
先生ですら、自分の行動に驚いて様だった。
それは明らかに体罰で、どう考えても怪我人にする物では無いし時代に沿った行動でもない。
そんな事があってなお真は「…すみませんでした。保健室行ってきます」としか言わなかった。
それ以来、真に対しての周囲の視線は大きく変わった。
明らかな問題行動を二つ、完全な被害者でありながら自分の非として事を治めた。
真の肩にはまだ傷が残っている。
今まで降り注いできた災難の一つ一つが、確実に彼の肉体と精神を蝕んで居た。
そして中学二年生の夏休み直前。
それによって、彼の体は一度限界を迎えた。
その後、元々よりも動けるようになる頃には高校生になっていた。
そして、高校に入ってからは…肉体以上に精神を蝕む出来事が重なりに重なった。
捕まえた同級生からの言葉で不意に…いや、遂に…その精神にも限界が来た。
吐き出された感情は…見ていた、聞いていた彼を知る者達の心に強く響いた。
真が目を覚ましたのは、見慣れた自分の部屋。
黒崎宅では無く、現在は鷹崎湊が家主となっている元間宮宅。
ゆっくりと体を持ち上げると、すぐ隣には柔らかく銀髪を揺らした、女性が穏やかに微笑んでいた。
「ふふっ…真、おはようございます」
「……紗月さん?」
紗月は…真の頭を優しく撫でて、そのまま胸元へと抱き寄せた。
「…あの…?」
理由は分からない。
紗月の行動も、自分の感情も。
ただひたすらに溢れ出そうになる感情を押し留めようとして、紗月を突き離そうと肩に触れた。
でも、どこからか嗚咽が漏れ出した。
紗月の肩を掴む手に少しだけ力が入る。
もしこの人が自分の母親だったら、自分はどれだけ幸せだったんだろう。
いつも見ていた“母親らしさ”を自分に向けられたとしたら、一体どういう成長をしたんだろう。
余裕が無かっただけか、意図してやらなかったのか。
それはきっと本人にしか分からない。
「…真は強く、優しく、聡明な子に育ちました。やっぱり私の予想通りでしたよね…凛さん…。ここに居るこの子の存在に嘘偽りはありません」
でも…今だけ、この瞬間だけは…鷹崎紗月はまさしく
泣きじゃくる息子の頭を撫でる優しく、その柔らかい手付きを
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