第87話 “黒崎真”
生徒会室の掃除が終わり、教頭先生に部屋の事を話してからはしばらく予定通りに仕事が進んだ。
学校説明会についての資料を作り終え、一息つこうと体を伸ばすと…どこからか、悲鳴が聞こえた気がした。
「…ん…?」
「お?どうかしたっすか?」
「いや、今なんか…ってうおぁっ!!?」
中村先輩と話していると、突然窓枠ごと外された風通しの良い壁の前に人影が落下してきた。
咄嗟に手を伸ばして何かを掴むと…思いっきり体が窓の外に引っ張り出されて慌てて踏ん張る。
「ぅああ!?」
咄嗟に掴んだのは右手、激痛から手放しそうになるが…落下物を確認してからそれは駄目だと無理矢理に歯を食いしばる。
窓から頭を出して上を見ると、こっちを見下ろしてきた男子生徒と…確かに目があった。
異音が自分の右腕から聞こえてきた。
折れたか、外れたか…だと動かせなくなるだろう、となると何か切れたか。
うまいこと空中で捕まえはしたが、こっちの腕が不味い。
落ちてきたのは男子生徒だった。
見ると、男子生徒はかなり体が大きい。
身長は俺より少しある程度だろうが、如何せん脂肪が多いのだろう。
折れたにせよ外れたにせよ、力が入る内に引き上げなきゃまずい。
咄嗟に左手で肘より奥の肩口を掴み、力任せに引き上げる。
「窓縁につか、まれ…!!」
「っ…くっ!」
男子生徒は必死に手を伸ばして縁に手をかけた。
それを確認して一瞬だけ手を離し、男子生徒の脇の下に両腕入れて、抱え込むように抱きかかえながら、教室内に引きずりあげた。
「あ、ありが…」
過呼吸気味に言葉をつむぐ青ざめた顔の男子生徒に首を振って…話さなくて良いと示し、俺はすぐに立ち上がって教室を出て、走り出した。
男子生徒の顔にこれと言ったら特徴は無かったが、少なくとも同級生の顔と名前は全員把握している。
階段を一辺に飛び降りて、踊り場を切り返し、もう一度飛び降りる。
すると、あまり人の居ない廊下を走って、玄関の方へ逃げる二人の男子生徒の姿を見つけた。
あいつ等に間違い無いだろう。
…直線距離で撒けると思うなよ…。
靴を履き替える事もせずに校舎を飛び出した二人の腕を掴む。
一人は逃げようと、一人は殴ろうとしてきた。
逃げようとした方の腕を思いっ切り引っ張ると、握った拳の前に体制を崩した男子生徒が出てきて、殴ろうとした拳を慌てて止めた。
その間に、足をかけて二人同時に体勢を崩してそのまま地面に重ねて組み伏せた。
「うがっ」
「いでぇ…!」
体の至る所から痛みを感じるので少し視線を向けると…右手の包帯と、脇腹から血が滲んでいる。
右腕もかなりの痛みがあった。
なんで俺がこんな事しなきゃいけないんだ。
周囲には部活をやっていた生徒や顧問の先生、廊下を走っていた事を咎めようとした教頭なんかがぞろぞろと集まって来た。
「…お前等二人、
天堂幸村は、屋上から落下してきた太ってる彼だ。
彼は顔と名前の両方が覚えやすかった記憶がある。
「し、知ら…」
「とぼけようなんて思うなよ、生徒会の全員が見てたんだ」
「チッ…」
一人が暴れるともう一人が痛いだけだ。
俺は体重をかけてる押し潰してるんじゃなく、拘束してるだけだから。
ふと、茶髪の男子生徒…一番下敷きになってる奴がこっちを睨みつけて叫んだ。
「くそがっ…てめえは良いよなあ黒崎!月宮ルカの幼馴染でクラリスと仲良くなって、美少女集まってる生徒会に入った挙げ句、黒崎先生の養子だあ?恵まれた環境で、恵まれた容姿と才能で?チヤホヤされてヒーロー気取りかよ!」
「お前には分かんねえよなぁ!俺達みたいな恵まれてない奴の気持ちなんかよお…!」
突然何を言い出すかと思えば、お前達のことを事実陳列罪で逮捕すんぞこの野郎。
所詮は自分より下に見える奴を物理的に貶める事しかできないような奴らが。
「…うるせぇよ…」
ふざけた考えとは裏腹に、俺の口から出た言葉に…自分でも少し驚いた。
泣きそうな子供みたいに震えて、掠れた声。
…何も言わなくて良い。
いつも通り無表情で先生が間に入るのを待ってれば良い。
頭では分かってる。自分にそう言い聞かせているのに、体が、感情が言う事を聞いてくれない。
一番
「環境、容姿、才能?恵まれてる?無能でクズな挙げ句、目まで節穴かよ」
まるで泣き出しそうな涙声で発せられてるとは思えない、冷たい感情の乗った声に辺りは静まり返っていた。
それでも、もう…一度吐き出された感情は止められなかった。
「…帰って来ない母親を指咥えて待ってる自分と、隣の家で家族団欒楽しんでる幼馴染達を毎日見てた。父親が居ないことを考えない様にして…」
生徒会の面々や、白龍先生も校舎の外に出てきた様だ。
どこか冷静な頭で…くだらない自分語りなんて早く辞めさせろ、と。
身体にそんな指示を出してる筈なのに、言葉は続いた。
「一歩外に出れば危なっかしい友達の世話して、帰ったら疲れ切ってる母親の代わりに家事やって…って小学校入る前からやってたんだぞ!才能だと?んなもんねえよ!物心ついた頃から十何年もやってりゃ嫌でも身につくんだよ!中学入ったら無駄な知恵ばっか付いたガキ共がイジメだハラスメントだ、挙句の果てに自殺する奴まで出て来て…なんで俺が解決しなきゃ行けねえんだよ!学校で対応しろよそんなもん!イジメも自殺も犯罪も俺の知らねえ所でやれよ!!」
頭が痛い、今すぐにここから逃げ出して部屋に引きこもりたい。
言葉と共に溢れ出した感情と愚痴、いつの間にか頬が涙に濡れていた。
「すぐトラブルに巻き込まれるから、自分を守る術も身に着けた、解決するための知恵も知識も身に着けた。どれだけ辛くても、泣きたくても、苦しくても周りに迷惑を負担をかけない様に自分の中で飲み込んで自己完結させてきた。お前等とは違って、未成年なのを良いことに負担をかけられる親が居なかったからな!」
はち切れそうになる程に叫んで、子供のように溢れた涙が抑えつけている男子生徒達に降り掛かった。
「顔も知らない父親に、偶にしか会わない母親が殺されたとか、腹違いの姉弟が居るとか、幼馴染が従兄妹だったとか!何なんだよ今更!なんで唯一の肉親が居なくなったと思ったら家族湧いて出て来るんだよ!そんな事急に聞かされても感情追い付かねえんだよ!!」
視界の端で、白龍先生がビクッと体を震わせた。
「ヒーロー気取りだと?誰がやりたくてこんな事やるんだよ?一銭にもならねえような人助けして、痛い思いしても辛い思いしても見返り無しに全部終わったら残ってるのは怪我だけ、誰も居ない部屋で一人で泣いてる自分だけだ!善行が返ってくるなんて思ったら大間違い、降ってくる災難抱え込む羽目になるだけだ」
「は、はあ!?ならなんで一々やるんだよほっとけば良いだろうが」
一番下にいる男がそういった。ついでに俺のこともほっとけよ、とでも言いたいのだろうか。
「仕方ねえだろ…そう“教えられた”んだから…。あの人が直接教えてくれた事なんて殆ど無いんだよ。そもそもお前等みたいな能無しがふざけた行動取らなきゃ、俺が一々動くことも、誰かが傷つく事も無いんだよ…」
俺は聖人君子じゃない。
人並み以上の教養やマナーは身についているだろうが、それを常に表面に出してられる程根気強く無いし、人を思いやる気持ちだって…他人の気持ちが分かるってだけでそれに共感できる訳でもない。
自分でも分かってる。俺は誰かに育てられてここまで来たわけじゃ無い。ただ生活できる環境と、成長する術があった場所で自分なりに生きてきただけだ。
その結果、現代日本で生きていく上では不必要な程の聴覚や警戒心、常に感情を隠す“癖を隠して”生活しなきゃ行けないくらい…俺は非日常で育った。
こんな奴のどこが恵まれた環境だ、どこが恵まれた才能だ。
「…普通の男子高校生が恵まれた環境に居たら、親が親に殺されたなんて報告を聞く事も、幼馴染に対して劣等感を抱くことも、凶器を持った男を制圧することも、自殺志願者助ける事も、クラスメイトが拉致される事もねえんだよ、日本中に本名と顔写真がバラ撒かれることも…ねえんだよ。俺が恵まれてるって言うんなら、お前が代わってくれよ…頼むから…」
「…黒崎…お前」
「お、おい…血!」
右手の包帯は赤く滲み、同じく脇腹からは鮮血がアスファルトまで辿り着いていた。
もう拘束されてない事に気付いたのか、男子生徒達はあたふたと立ち上がった。
逃げようにも、周囲は完全に取り囲まれているし、さっきまで自分を取り押さえていた同級生は頬に涙を伝わせて、手と脇腹から血を流している。
ふと、いつの間にか養護教諭の先生が俺の脇腹に触った。
「誰か、保健室まで抱き抱えて!止血しないと…腕も…」
少し血を流しすぎたのだろうか。
全身を巡る痛みはいつまで経っても消えない。立ち上がることも、これ以上叫ぶこともできない。
誰かは分からないが、俺のことを抱えて走っている。
あー…ホント、馬鹿のことやったな。
ゆっくりと瞼を閉じると、すぐに眠気に襲われた。
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