第66話 口約束

 放課後、俺は学校に残って図書室で少しだけテスト勉強に励んでいた。

 普段なら特に気にしないが、最近は授業が頭に入って来ない。


 理由は分かり切ってる。


 …母さんと黒崎先生と美月のせいだ。


 達也と五十嵐には軽い口調で話してみせたが、流石に整理がついてない。

 なんか知らない内に心を乱されまくったのが原因だ。


 中でも一番の問題は黒崎先生。


 クロエが家に居るお陰で何とかなってるが、彼女が居なかった場合の気まずさはどうなって居たか分かったもんじゃない。

 今後黒崎先生の養子という形になる以上は、今の状況をどうにかしなきゃいけないとも思うが、その反面…松川夏芽姉さんが来れば多分今の状況が改善されるだろうと予想してる。


 美月に関してはとりあえずの説得はした。美月自身は、今以上に何かするつもりは無いらしいが、なら最初からやんなよとか、そもそも幼馴染相手にガッツリと肉体関係持ってる時点でどうなんだろうとか思ってしまう。


 まあ俺は被害者だけど。


「…ん、女顔。珍しいな」


 俺のことをコンプレックスで呼ぶのは一人だけだ。

 顔を上げると、俺が座ってても視線の高さが変わらない小柄な先輩。


「合法先輩、どうも」

「まるで違法先輩が居るみたいな言い方するな…」

「違法先輩は知りません。違反先輩はいますけど」

「松坂か…」

「正解です」

「…」


 川村先輩はふっと鼻で笑いながら、何気なく俺の隣に座った。


「どうしました?」

「いや、特に理由はねえよ」

「そうですか…。先輩って良くここに居るんですか?」

「…まあ、生徒会の仕事がなけりゃ居る。基本的に誰も図書室使ってねえからな。図書委員もほぼ飾りだ」

「…先輩、友達居ないんですか?」

「寧ろ、居ると思うか?」

「ちんちくりんで顔はいいのに口悪いですから、居ないと思います」

「お前みたいに遠慮の無い奴ならまだ良いけどな」


 そうだと思ったからこういうふうに接してるんだけどな。

 この人は多分人の内側を見ない奴に興味が無いし、表面である程度、その人を判断できない奴にも興味が無い。


「先輩も中々面倒な性格してますね」

「そうかもな」


 多分この人も見た目のせいで苦労してるんだろうな。


「…先輩、これ教えて下さい」

「なんだ…。ああ、これは……」


 案外丁寧に、分かりやすく教えてくれる川村先輩の姿を見て、俺は少し肩をすくめた。


「……何だかんだ面倒見良いですよね」

「…なんだよ急に」

「いえ、別に。俺は川村先輩の分かりにくいツンデレ、嫌いじゃないです」

「……そうかよ」


 居心地悪そうにそっぽを向く先輩に思わず苦笑して、俺はまた教科書に目を落とした。


 かなり不思議な感覚だ。

 この人相手には本当に気を使わなくて良いから。

 元々こういうポジションに居たのは…それこそ、美月や黒崎先生だった。


 二人は今とんでもなく複雑なポジションに居るけど…。


 気楽で、居心地が良くて、遠慮が要らない。


 こうなる前の美月と付き合うってのは選択肢としてあったのかも知れない。


 そう考えると。


 …川村先輩と付き合ったら楽しいだろうな…。


「……は?」

「えっ…?」

「…何言ってんだお前…」

「えっ、俺なんか言いました?」

「…私と付き合うのはどうとか…」

「…声に出てたました…?」

「普通に言ってたぞ」


 ちょっと…いや、かなり恥ずかしい。まさか意識せず口に出てたとは、普段ならまずありえないのに…。

 普段ここまで気が抜ける事は無い。


 どう弁明しようかあたふたと考えていると、川村先輩はくすっと肩を揺らして微笑んだ。


「…物好きだなお前も。私の何が良いんだよ?」

「……先輩と話してるの、居心地良いんですよ」

「ああ…お前、私と居る時全く遠慮しないもんな」


 やばい、なんかめっちゃ恥ずかしい。

 そんな俺の感情を見抜いているのか、川村先輩は少し微笑んだまま余裕そうに言った。


「……まあ、お前がそう言うんなら…付き合ってやっても良いけどな」


 川村先輩のそんな言葉に、自分が思ってた何十倍も心が惹かれた。

 シチュエーションのせいなのか、川村先輩であることが原因なのかは分からない。


 小柄でツンデレ気味な癖に、この状況に対して俺をからかう余裕があるこの人が、どうも魅力的に映る。


「…でも、川村先輩忙しいですよね?」

「なんでだ?夏休み終わったらすぐ引き継ぎで生徒会の面倒は椿と結月が見る。私はやる事ないぞ」

「…大学の方は?」

「指定校推薦、ほぼ確定してるからな」


 そう言えばそうだ…。

 この人、椿姉妹を抑えてほぼ常に成績優秀者として学年の総合一位に居続けたマジで頭良い人だったな…。

 この身長だが運動部並の身体能力もあるし、生徒会での仕事も文句なし。


 実はめちゃくちゃ優秀な人だった事を今になって思い出した。

 案外、外見と性格以上に、近寄り難い原因の一つなんじゃ無いだろうか。


「……私はお前の事、結構気に入ってるからな」

「…そう言われるとマジで遠慮する気なくなるんですけど…」

「なんだ、私には遠慮しないんじゃなかったのか?」

「普段ならしませんけど、そう言われると嫌でも意識するでしょ…」

「別に、付き合う、なんて所詮口約束だ。深く考えすぎても無駄だと思うぞ」

「……そうですかね」

「私はそう思うってだけだ」

「…じゃあ、川村先輩の彼氏って俺が言い張っても先輩は文句言わないんですね」

「まあ、そうだな。、文句は言わないな」

「……だったらぜひ、言い張らせて貰います。


 ククッと肩を揺らして笑う先輩にニヤッと笑みを返す。


 …結構簡単に、この人の事好きになりそうだな。


 そんな事を考えながら、帰りは先輩の事を駅まで送った。


 …所詮は口約束…か。確かにその通りかも知れないな。

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