第60話 残り香
〜side〜黒崎白龍
凛さんが亡くなった。湊から来た電話でそう聞かされた時、真っ先に思った。
…なんで真よりも私への連絡を優先してるの…?
詳しい事情や状況を説明されたあと、湊は疲れた様な声で言った。
『…今言った事、
湊がそう言った時、私は端末の奥に居る相手に向かって怒鳴り付けそうになるのを必死に抑え込んだ。
初めてだった。湊にここまでの激情を覚えたのは。
学生時代に抱いた恋心ですら、本人には知られること無く内に秘めていたのに。
きっと真は、詳しい事は言えない…とそう言っても仕方なく納得する。
別に、湊や凛さんを盲信してるわけじゃないだろう、ただ諦めてるだけだ。
私は湊の幼少の頃を知っている。
真と父親を関わらせたくない理由も、湊の複雑な感情も分かっている。
いつもなら彼の言う事は尊重する。基本的に湊は、正解を当てるよりも間違えない事を優先するから。
でも、今回は違う。
間違ってると分かった上で、真の感情よりも、自分の都合を優先した。
真の母親、ではなくて…自身の恩人としての、凛さんを優先した。
真なら、どれだけの都合を押し付けても文句一つ言わずに首を縦に振ると分かっていたから。
湊が親の事で苦労したのは知っているし、良い親を知らないという理由から自分の事を「一人の父親としては及第点にすら満たない」と評していた事もあったくらいだ。
そして凛さんもきっと、一人の親としては失格と言って差し支えないだろうし、本人もそれを認めるだろう。
湊と凛さんは、真の心根を知らないから。
私は温かい家庭で育ったし…職業柄、子を持つ親の色んな姿を色んな角度から見てきた。
だから、とまで言うつもりは無いが…真はどこまでも異質だった。
それに加えて多才な湊と紗月を見てきたのだ。彼は自分を「少し器用なだけ」だと言っているが、そんな訳がない。
凛月や美月と並ぶか、それ以上に才能に溢れている。
複雑な家庭事情と天才気質、それでいて、精神が早熟で常識人…ただ、ある日を境にトラブル体質になった。
それがいつなのかまでは分からないが。
そんな姿を見てきても、湊や凛さん、周りの人達はおかしいと思わなかった。
真がそう思わせなかった。
どれだけ辛くても、泣きたくても、苦しくても、自分の中で咀嚼して飲み込み、消化する。
受け入れ、切り替える。
ストレスや苦痛を表に出さずに、自己完結させる。
周囲に迷惑をかけたがらない、負担をかけようとしない、誰かと一緒に背負うということを知らない。
ずっと一人だったから。真はクラスメイトや友人と話している時、能力を褒められたり、お人好しだと笑われたりした時、口癖の様に「俺は恵まれた環境で生まれ育った」と言う。
その度に疑問だった。
彼の周りの、何処か恵まれた環境?
顔も名前も知らない父親と滅多に会わない母親。
隣の家には、見せつけて来るように仲の良い夫婦と兄弟姉妹。
自分の家庭とのギャップに劣等感を抱かない方が不自然だ。
幼少の頃の殆どを、真は鷹崎家と共に過ごした。
と言っても…湊や紗月の話では鷹崎家に泊まった事は無いらしい。夜になると必ず家に帰って、凛さんの帰宅を待った。
あれだけ可愛らしく仲の良い幼馴染がいても、一人の時間は多かったそうだ。
日中は危なっかしい凛月とぼーっとしている美月の面倒を見て、不思議っ子の渚の事も見ていた。
凛さんはすぐに居なくなるし、紗月は外に出ると目立つから出ない、湊は「真がいれば大丈夫だろ」と楽観的。
実際、真が居ると居ないとでは見てる時の安心感が違う。
ただ、そのせいで…誰も彼の心労を見ようとしていない。
それのどこが恵まれた環境なのか。
ただ、自分に言い聞かせてるだけだ。
母親の死を聞いた美少年の表情は、困惑の一色。
それも一瞬だけ、すぐに表情が消えた。
話の続き、事情を聞こうとしてくる。
だが、それは聞こうとしてるだけ。聞かなくても、事情なんて理解していた。
今まで見聞きしてきたほんの少しの情報から、今の状況までひっくるめてすぐに事態を理解した。
本当に、どこまでも聡明な子だ。
…そんな君に皆、甘えてしまう。高い能力に、恵まれた才能に、美しい容姿に、寛容な心に。
だからだろう、私は…嬉しかった。
震えた声が。痛みに喘ぐ姿が。苦しみに耐えられず涙を流す表情が。
壊れかけていた堤防は、ついに決壊して溢れ出した。
他の誰でもなく、私の前で溢れ出したその感情を一身に受け止めた。
柔らかい唇の感触、絡み合う舌に熱がこもる。
壊れた物を直す様に、傷付いた心を癒やす様に、溢れ出した物を取り戻す様に、泣き出した幼子を慰めるように。
部屋に戻り、美少年をベッドに押し倒した。
戸惑いを隠せない彼には、まだ忌避感と理性が残っていた。
私だって分かっている。
この愛情は酷く歪で、複雑だ。でもそこに嘘偽りは無い。
抑え込んでいた物が全て溢れ出した少年の姿を見て、呼応するように芽吹き、花開いた。
あの時とは違う。
今だけは、この感情を内に秘めなくて良い。
真の為にも、自分の為にも。
◇◇◇
朝、目を覚ますと…見慣れた美少年のあまりにも可愛らしい寝顔がそこにはあった。
自分の行動に後悔は無い。
規則的な寝息を立てる少年の目元はまだ少し赤く腫れている。
「………」
多分、自分は男性経験は多い方だろう。
男受けする体をしてる自覚はあるし、年齢にあまりにも不相応な童顔だと自分でも思う。
街に出て大学生にナンパされた時はもう、何を言えばいいか分からなくなったくらいには。
それでも未だに独身なのは初恋の相手が悪かったからだ。
そのせいだ、とまで言うつもりは無いが…奇しくも目の前に居るのは初恋の人によく似た女性的な容姿の美少年。
初恋のアイツは中性的と表現される事が殆どだが、この少年は圧倒的に女の子に見られる事が多い。
………私はもう「女の子っぽい」なんて絶対に言えないけど…。
確かに少年の姿は確かに女性的な感じがした。
くびれや腰つきの曲線美はおおよそ男子高校生のそれでは無かったから。
……立派なモノは持ってるんだけどね。
行為の最中、事後、そして今に至ってもなお…心と体がどこまでも満たされている。こんな経験は初めてだった。
人生経験が半分以下の少年を相手に、柄にもなく欲情して淫らに好意をぶつけた。
禁断の愛とか、そういう次元じゃない。
ここは林間学校の宿泊先だ。
ふと、少年の瞼がゆっくりと上がった。
焦点の合わないぼーっとした瞳で私のことを見ている。
そんな姿がたまらなく、どうしようもなく愛おしくて。
微笑みかけ、軽くキスしてからぎゅっと抱き寄せた。
布団の中で裸のまま感じ合う温もりは心まで暖かくしてくれる。
この少年の事は絶対に離したくない。
「…おはよう、真。愛してるよ」
「………あっ…え?…はい」
耳元に届いて来た声はとても恥ずかしそうで、愛らしく。
私は抱き締める力を強めた。
◆◆◆
ぼーっと見つめる視線の先。窓の外では、黒崎白龍先生が他のバスに生徒達を誘導している。
「…黒崎先生がどうかした?」
隣に座る桜井さんが、俺の視線に気付いて声をかけてきた。
「いや…自分の視線の先に居る女性が自分よりも一回り以上も年上であることが事実とは思えなくてさ」
「あ、それ分かる。黒崎先生ってホントに若いよね…あれで三十代って絶対年齢詐称だよね」
「…独身なのもよお分からんよねぇ」
「海行ったらナンパとかされてそうっすよね」
「「ありそう〜」」
なにやら黒崎先生の話で盛り上がり始めた生徒会メンバーとバスの中。
林間学校が終わり、夕方には高校に着くだろう。
俺は少し、今後の事を考えていた。
状況は分かってる。取り敢えず帰ったら湊さんと話す必要があるだろう、どれだけの事を話してくれるかは分からないが。
6月が終われば期末試験の準備が始まる。そうなる前に終わらせるべきことは多い。
俺は何となく自分の胸に手を当てた。
「……」
胸の痛みは微かに残っている。
涙が出る程のものじゃない。何となく、空いた穴が塞がり切らない感覚があるだけだ。
意識しなければ時間と共に忘れてしまうくらいに。
胸の痛みを意識する度に、昨夜の事を思い出す。
そしてその手をゆっくりと額に当てた。
今日の朝、俺は目を覚ますと黒崎先生の個室に居た。
同じベッドには裸のまま俺の寝顔を観察していた黒崎先生が微笑みかけて、抱きしめてくれた。
昨夜の事は驚くほど鮮明に覚えている。
…居候先の普段から世話になってる、しかも高校の担任教師と林間学校の宿泊先の施設で一線超えるとか…冷静に考えなくてもヤバい…。
不道徳の極み。
圧倒的インモラル。
倫理的にアウト。
それなのに心の奥底が満たされて、小さな痛みより大きな温もりが残り続けている。
触れ合った体の感触も、キスの味も、優しく囁きかけられた言葉も、目を瞑れば甦る様に思い出される。
そして思い出す度に顔が熱くなり、事態のヤバさに背筋が凍る。
……それにしても、だ。
健全な思春期男子がどんな状態なのかは知らないが、少なくとも俺は普段性欲や劣情を感じたり誰かに向けたりする事は無い。どういう感情なのか理解はできるけど。
理由は単純に、性的な行為全般に忌避感を覚えていたから。
実際のところは分からないが、俺は自分が『一夜の過ち』が原因で産まれた子供ではないかと考えていた。
父親が居ないという状況、母さんや鷹崎家を見てきた事で、その考えはより強くなっていった。
そう思うと、どうしても避けたくなった。
黒崎先生は、自分でもどうすれば良いか分からなくなった、行き場を失った感情を、消えない痛みを全て受け止めてくれた。
そしていつの間にか、なし崩し的に決壊させられたその忌避感も。
残ったのは自覚していなかった有り余る性欲、少しの理性。
それすらも全て、一滴残らず受け止めてくれた。
……でも、その理性も忌避感も強引に決壊させたのは、紛れもなく黒崎先生だ。
今考えると、少し疑問だ。
わざわざ黒崎先生がそこまでの行動をしなくても、俺は多分…少しだけ時間が経てば落ち着いた筈だ。
確かに、誰かにあれだけ本気の感情をぶつけたのは初めてだった。
今までは自分の奥底の感情を知りたくなくて、誰かに知られたくなくて隠していたから。
走り出すバスの音、窓に映る自分の顔。何もおかしくは無い、いつも通りの俺だ。
その筈なのに、いつも通りの自分が酷く空っぽで、虚しい人間に見えて仕方が無い。
母親が死んだとか、林間学校で担任教師相手に泣き付いた挙げ句初体験をしたとか…。一夜にして起こったとは思えない出来事の後で。
こんな無表情、無感情でバスに揺られてる自分が虚しい。
これが普段の、本当の俺なんだとしたら…昨日のあんな俺の姿は、黒崎先生の目にはどう写ったんだろう。
窓を開けると流れてきた雨とアジサイの残り香、頬を撫でる冷たい風に違和感を覚えながら目を瞑った。
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