第41話 響いた声は

「…『外には、ただ、黒洞々こくとうとうたる夜があるばかりである。下人の行方ゆくえは、誰も知らない。』……」


 出席番号の都合から指名され、教科書の朗読をしていた。静かな教室、小雨が降る窓の外。


 最後の文を読み終えて教科書から視線を上げると、現代文の担当をしている黒崎先生と目があった。


 静寂が流れる教室の中、俺はまだ立ったまま。


「…ありがとう。座って良いよ」

「はい」


 許可が降りたので席に座ると、隣の真冬がこそっと話しかけてきた。


 指定の制服が夏服になって、男子たちは目のやり場に困る時期。


「…やっぱりいい声してるわね、皆寝そうになってたわよ」

「それ多分、俺の声関係ないよね」


 今は5時間目。

 少し蒸し暑い空気だが、小雨と窓からの冷たい風で心地良い空気感になっている。

 朗読してなかったら、俺も寝そうになっていただろう。


 黒崎先生の授業ではガッツリ居眠りした事があるから、最近はちょっと気をつけている。


「…『羅生門』って変な話よね。情緒不安定というか」

「その不安定さと心理推移を学ぶのに丁度良い話だから教科書に載ってるんだよ。俺は結構好き。こういう、人の心が簡単に移り変わって行く物語は…リアルで良い。心情の移り変わりと、変化するきっかけが分かりやすい」


 教科書に引っ張られて解説みたいな言い方をしてしまった。


「…そう…?」

「犯罪を躊躇する感情、正義感で老婆を倒して満ち足りた優越感とか、老婆の話聞いて結局着物剥ぎ取って逃げるとか。…まさに我田引水がでんいんすいってやつだよな」

「がでん?なにそれ?」

「…要は下人も老婆も、勝手に自分にとってだけ都合のいい解釈をして行動してる。ただ、そこに至る過程と心理描写に少なからずの共感が持てるから面白いんだよ」

「……真君って物語読むの好きだったりする?」

「結構好き」


 ノートも取らずに黒崎先生の授業を聞きながら、窓から入って来る心地の良い冷風を感じる。


 美人な国語の教師と、隣に座る美少女。

 偶に複雑な表情でこちらに視線を向けてくるイケメンと、真逆の純粋な表情で視線を向けてくるイケメンの幼馴染。


 …中学の時にはなかったな、こういう青春の1ページみたいな事。あんまり好きだと思ってなかったけど…こういうのも意外に悪くはないかも知れない。


 …いや、居心地悪っ!?

 …はぁ!?なんでさっきからチラチラこっち見てんだよ、何人も!?


 と言っても、今に始まった話では無い。

 体育祭が終わってから、二人はずっとこんな調子だ。


 それこそ、二人はきっと俺一人のせいで心中穏やかじゃないことだろう。

 福島は現在進行系で片想いの相手を奪われそうになっている。

 その片想いの相手である夜空は、福島の知らない内に俺に告白している。


 俺は一応、ま《・》だ《・》付き合って欲しいとは言われてないが…明確な好意は伝えられている。


 まだ、ということはいずれ本当に告白される可能性が高い。

 果たしてその時に、俺は答えを出せるだろうか。


 普通に考えたら断る選択肢なんて無いのだが、恋愛なんてそんな物だと思う。


 大抵のカップルが片想いから始まって、時間をかけて両想いになっていく物だろう。両想いで始まって両想いで終わる恋がこの世界にどれだけあることか。


 授業が終わるチャイムがなる頃には、雨が強くなり始めた。

 傘は持ってきているが、この雨足だと黒崎先生の帰宅時間を待つかそれまでに雨が止むのを待つ方が良いだろう。



 ◆◆◆



 さて、帰りどうしようか。

 今日は部活も無いし、生徒たち皆がそんな事を考えているだろう。


 ぼーっと見ていたスマホの画面に通知が降りてきた。


『栗山さんって間宮君とのデートどうなったの?』


「「「「「は?」」」」」 


 おそらく通知を見たんだろう、クラスの男子たちの声が重なった。

 それに合わせて、一人の女子生徒がビクッと反応した。


「うわっ?なに?」


 皆が声をあげた女子生徒に目を向ける。


 彼女は、秋山千歳あきやまちさと。女子サッカー部の期待のルーキー。体育祭ではクラス対抗リレーで、アンカーだった夜空にバトンを渡したのが彼女だ。


 通知を見れば誰が送ったメッセージなのかは分かる。


 なぜならこれは、クラス全員と黒崎先生が参加しているクラス内の連絡用のグループラインだからだ。


 …多分、女子グループと間違えたんだろう。


 これはいわゆる、誤爆…というやつだ。


 それも、とんでもない爆弾のやつ。


「…あっ…」


 どうやら秋山さんは、自分がやってしまったとんでもないミスに気付いたらしい。


 そしてそのミスの矛先が向くのは当然…。


「…おい間宮、どういうことだ」

「きみ〜表出ろや」

「ちょっと顔がいいからって調子乗ってんな?」

「なるほどね、本命は福島じゃなかったわけか…」


 …ちょっと…本当にどうしよう。


 栗山夜空は、福島大翔という絶対的な男避けがあるから観賞用の美女に甘んじて居られる。


 …その福島がいつの間にか取っ払われたと分かれば、それはもう…ね?うん、フィーバータイムです。


 思わず夜空に助けを求めようと視線を向けると、なにやら秋山に謝られている。

 …そっちじゃねえよ、こっちに謝れ。


 さて、本当にどうしたものか。デートまだ行ってないし。


 福島は相変わらず複雑な表情で、蜜里さんや真冬に慰められてる。


 仕方ない、ここは大人しく罪を認めるか。


 達也がムダに高い身長で俺を見下ろしてきた。


「…おい真、なんか言う事あるか?」

「私がやりました」

「まだ聞いてねえし。つーかマジでデート行ったのか!?」

「いや、まだ」

「まだってことは行く予定はあんのかよ!」

「あるよ」

「は?あんのかよ?」

「え、悪い?」

「「「悪いだろ!」」」

「…悪いのか…。だってよ、夜空…どうする?」


 俺はさり気なく呼び捨てアピールしつつ、秋山さんに頭を下げられてる夜空の方に声をかけた。


 当然、事態は分かっているだろう。

 彼女がどう出るのか全く分からないから、これは完全な賭けだ。

 夜空はこっちに視線を向けると、フッと万人を魅了する様に微笑する。


 文字通り魅了されたクラスメイト達の間を通って、俺の机に軽く腰を掛ける。


「…保留にしてたデートの話でしょ。私6月9日が誕生日なんだけど、その日空いてる?」

「誕生日?空いてるけど…」

「なら、その日が良い」

「…家族は…」


 俺は続きを言おうとして、思わず口を結んだ。

 …そう言えば夜空にとって家族は地雷だったな。

 誕生日に祝ってくれる様な家族だったら、流石に嫌ったりしないだろう。


「いや…分かった。9日…土曜日か。じゃあ、プレゼント用意しておく」

「ふふっ…楽しみにしてる」

「因みに何が欲しいとかある?」

「…そこは、センスで」

「センスか…」


 事前情報がゼロだからマジでセンスで選ばされるんだな。


 それはともかく、まさかクラス全員の前でデートの日が決まることになるとは。


 こいつ実は、隠す気無いよな。

 そこで五十嵐が恐る恐るといった様子で夜空に質問した。


「な、なあ栗山さん…?」

「…何?」

「なんで間宮と…?」

「そういう約束だから」

「…約束って?」

「体育祭の100メートルシャトルラン、福島大翔と間宮真で…勝った方とデートの約束」

「「なんだそれ…?」」


 珍しく五十嵐と達也の疑問が一致した。

 夜空はさっきよりも色っぽい、どこか楽しそうな笑みを浮かべた。


「…二人ともやる気なさそうだったから、ちょっとした提案をしただけ。まあ…」




 …一瞬の静寂、そのあと。


「んぁあっ♡!!?」


 がだたっ…!!

 ガンッ、バタバタ、がたん!!!!!


 バカでかい音が複数回に渡って、教室内に響き渡った。


「「「っ…!?」」」

「わあっ…」

「………は?」

「えっ…今の声…」

「ちょっ…大胆すぎ」


 一度目は、間宮真が、嬌声を上げながら顔を真っ赤にして椅子から転げ落ちた音。

 二度目以降は、福島大翔が顔を真っ赤にして椅子や机を倒しながら教室から逃げ出した音。


 唖然としている教室内で、夜空は表情を変えずに舌なめずりをした。


「…私は元々、誕生日は真と二人で居るつもりだったけど」


 …くっそこいつマジで…ふざけてんのか!?

 やばい、顔がめっちゃ熱い…。


 刹那的だった筈なのに、耳に残った感覚が消えてくれない。


 一瞬の静寂、その時に夜空は…俺の耳に甘噛みをした。


 突然発生したあまりの衝撃に、何が起こったのかを理解する前に…ビクビクッと体が跳ね上がった。


 カプッ…と優しく歯を当てられただけ…だと思う。


 その確信がないのは、直接目で見てないから…というのと、刹那的な感覚にしてはあまりにも耳に残り続けているから。


 痛みはなかった。

 だが少なくとも現在、今までに味わったことの無い恥辱ちじょくを受けている。


 クラスメイトほぼ全員の眼の前。

 校内トップクラスの美少女から耳を甘噛みされて、自分でも聞いたことのない声を上げながら椅子から転げ落ちて…今現在、顔が熱を持ちすぎて人にお見せできない状態だ。


 …なんで俺、クラスメイトに自分でも知らなかった弱点を晒されなきゃいけないんだよ…。


 そして、教室内に居たクラスメイト達は悟った。




 被害者は二人居る…と。

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