第2話 本当に気のせいか?

【side ルーベン】


 弟のことは、可愛がっていたつもりだった。

 弟も俺に懐いていた、はずだった。

 だからその弟に命を狙われているとは思ってもみなかった。


 誰かにそそのかされたのだろうか。


 その可能性はある。

 しかしそそのかされて実行する程度には、俺が死んでも構わないと思っていたこともまた事実で。


 今日俺は部下を連れて、森へ狩りに出かけた。

 ほんの気分転換のつもりだった。

 だから、同行した部下たちが俺の命を狙っているなどとは露ほども考えていなかった。


 部下たちに崖へと追い詰められた俺は、冥途の土産に首謀者の名前を教えてくれと頼んだ。

 そこで告げられたのが、弟の名だ。


 俺は絶望を抱きつつ、部下の剣で深い傷を作りながら崖から転落した。


 崖から転落した俺は、幸か不幸かすぐには息絶えなかった。

 全身に痛みを感じながら、崖の下から移動した。

 俺を捜索しに来た者に見つけてもらえる場所まで行くつもりだったからだ。


 しかし、誰かに見つけてもらえるまで命を繋いでおくことは難しいとも感じた。

 だんだんと視界は暗くなっていき、足がもつれて歩くことが出来なくなった。

 そして俺は、意識を手放した。



   *   *   *



 次に目を開けると、木の天井が目に入った。


 まず自分が生きていることに驚いた。

 次に自分が室内にいることに驚いた。

 そして。


「お前は…………誰だ?」


 見知らぬ人物が視界に入った。

 咄嗟に身構えようとしたが、相手の姿を見て攻撃態勢を取ることをやめた。

 だって目の前にいる彼女は。


「やっと起きなすったか。若者よ、気分はどうじゃ?」


 しわくちゃの老婆だったからだ。


「俺は剣で……あれ。痛くない」


 自身の身体を見ると、上半身には包帯が巻かれていた。

 左腕と左足には木が固定してある。

 しかしどちらにも痛みは無い。


「お前……あなたが、治療をしてくれたのですか?」


「応急処置だけじゃよ。今は鎮痛魔法で痛みが無いだろうが、胸の傷は深く、腕と足は折れておる」


 どうやら俺は部下に受けた胸の傷だけではなく、崖から落ちた際に左腕と左足も折っているらしい。

 ということは、俺は折れた足で歩いていたのか。

 通りで歩きにくいはずだ。


 それにしても、この老婆は誰だろう。


「応急処置にしてはまるで医者のよう……あなたは何者ですか?」


「ひっひっひ。年を取ると物知りになるからねえ。応急処置程度は心得ているんじゃよ。それに年季が入った分、他人よりも少し魔法が得意なんじゃ」


 老婆は怪しい笑い方をしながら、くるくると杖を振った。

 すると室内に干されている服が躍り出した。

 踊っているあの服は……俺の着ていたものだ。

 血は洗い流されているようだが、胸から腹にかけて布がざっくりと切り裂かれている。


「助かりました。てっきり俺の命はもう終わりだと思っていたので」


「お前さんは運がいい。わしに気付かれなければ終わっていたからのう。何せ魔物の出るこの森に住んでいる人間は、わしだけじゃからのう」


「無事に帰ったら、あらためてお礼をさせていただきます」


「気にしなさんな。年寄りの暇潰しで助けただけじゃ」


 ふとあることを思い出し、俺は部屋の中を見渡した。

 部屋には俺と老婆以外の人間はいない。

 ベッドが一つしかないことや、それ以外の家具に関しても、この家には住人が一人しかいないことを表している。


「寝ているときに、若い女の声が聞こえたような気がしましたが……気のせいでしたか」


「……さてのう。もしかすると、地獄の番人にでも会ったのかもしれんのう」


「地獄の番人が若い女というのは聞いたことがないですが」


「わしも見たことがないから、何とも言えんのう」


 それはそうだ。

 地獄の番人に出会っているなら、生きてこの場にいるはずがない。


「とにかく助かりました。俺はこれで……」


 起き上がろうとしたところで、目の前が真っ暗になった。

 そのままベッドに倒れ込む。


「慌てなさんな。お主には血が足らん。大量に流しておったからのう」


 真っ暗な中で、老婆の声だけが耳に届く。

 そうか。俺は血が足りずに貧血を起こしたのか。


「骨折もしていることだし、しばらくはここで養生するといい。具合の悪い状態で外に出ると、敵に簡単にやられてしまうからのう」


 そういえば俺は骨折もしていたのだ。

 痛みがないから忘れていた。

 この状態では城まで帰ることはおろか町まで行くことすら不可能だろう。


「……何から何まで迷惑をかけてすみません」


「先程も言ったが、これは年寄りの暇潰しじゃ。お主が気にすることは何もない」


「しかし……」


「どうしても恩返しがしたいのであれば、お主の話を聞かせておくれ。子どもの頃に何をして遊んでいたか、どんな色のどんな花が好きか、これまでで最も叱られた悪戯は何だったか。そんな他愛もない話を、のう」


 俺の話を聞きたがる老婆に、俺は自分の話を語った。

 全くの他人だというのに、老婆に自分のことを話すのは不快ではなく、むしろ聞いてほしいとさえ思った。

 俺のことを知ってほしいと……なぜこんなことを思ったのかは、分からない。





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