四 共鳴

 その村は、深い森の中にあった。見上げるばかりの木々は、まだ寒いこの時期にも落葉もせずに大きな緑の葉を茂らせている。普通なら鬱蒼うっそうとした木々のせいで暗くなるものだが、辺りは不思議と明るく暖かな雰囲気に包まれている。イェリンが首を傾げながら見渡すと、木々のいくつかの枝にきらきらと輝く石が吊り下げられているのが目に入った。手のひらに収まるくらいの細長いそれは、風に吹かれてゆらゆらと揺れ、くるくる回っては柔らかに明滅している。


「あれ、月晶石?」

 イェリンの指した指先を追ってアルフレドも顔を上げ、ああ、と頷く。

「そうだ、この村の特産品の一つでな。吸光の魔力を込めてあって、月の光を夜のうちに溜め込む。そうして昼でもああしてちょうどいい光を放つ。熱はないから松明たいまつと違って山火事の心配もないしな」

 森にぶら下げられているのは村への道筋の目印でもあるらしい。村の共用の実用品だからほぼ原石を削ったままだが、商品として流通するものは緻密な細工の貴金属に象嵌ぞうがんされたものなど、宝飾品としても人気があるのだという。

「へえ、素敵ね。私でも加工できるかな。熱を込めたらおんじゃく代わりになったりして」

「逆に冷却効果が出そうだがな」

 聞こえてきた低い呟きはラグナのもの。どうやら機嫌は直ったらしい。きらきらと光る飾りを眺める横顔は相変わらず何かをうれえる様子ではあったけれど。

「指輪に加工したものもあるぞ」

 ニヤニヤと笑うアルフレドの視線はラグナに向けられていたが、本人は完全に無視すると決め込んだようだ。アルフレドは肩を竦めてイェリンにも意味ありげに目を向けてきたが、相手にするまでもない。


 二人にすげなくあしらわれたアルフレドは、それでもさほど気にした風もなく、すたすたと村の中を進んでいく。途中すれ違う人々からは気さくに声をかけられていて、しばらく世話になっているというのは本当らしい。闇のような黒い髪の彼とは対照的に、ここの村人たちは淡い色の髪で華奢きゃしゃな人々が多い。目も冬の湖のような澄んだ青や、翡翠のような緑をしている。

「妖精みたいね」

「このあたりの連中は実際妖精の血を引いているんだそうだ。今はあんまり見かけなくなっちまったが、少し前までは行き来も多かったとか。魔法はさほどじゃないが、それでも手先が器用だったり魔力の扱いに慣れているのはそういうことだろうな」

「へえ……」

 彼らに向けられるアルフレドの眼差しは柔らかい。特に、銀髪の美人に手を振られると、緩んだ笑みを浮かべていた。

「自分こそ、指輪を贈るような相手がいるんじゃないの?」

 イェリンの問いに、ひらひらと手を振っていたアルフレドはふと表情を改める。

「まあ、やるべきことが終わったらな」

 まずは宿屋へ、とそう促した顔に何やら硬い響きを感じてイェリンはラグナを見上げたが、怪訝そうに首を傾げるばかり。先を進む姿は相変わらず飄々としている。けれど、どこかぴりりとした気配は先ほども感じたものだ。根は明るそうなのに、何か重いものを抱えている——ラグナと同じような。

「なんでこう面倒くさそうな人ばっかりなのかしら」

「あんたな……」

「あ、ごめんなさい。面倒っていうか、ややこしい?」

「たいして変わらないだろ」

 呆れたような声に、それでもラグナはイェリンを先へと促した。アルフレドは既に宿屋らしい二階建ての建物に入ってしまっている。なんにせよ日暮れも近い。まずは腰を落ち着けてからだと自分に言い聞かせ、扉を押して中へと入った。


 部屋に落ち着く暇もなく、荷物を置くなり、アルフレドに一階の食堂へと呼びつけられる。宿の主人らしい女性は、流れるような銀色の髪と鮮やかな青い瞳が印象的な美人だった。アルフレドはしばらく前から滞在しているらしく、やりとりは気安い。

「たいしたおもてなしもできないけれど、ゆっくりしていってね」

 リーヴと名乗った女性はイェリンたちにも気さくにそう言って、おまけに麦酒エールをサービスしてくれた。一緒に供されたパンと、鶏肉のシチューも根菜がこれでもかと柔らかく煮込まれていて、久しぶりの温かい食事にイェリンの頬も緩みっぱなしだった。

「このシチュー美味しい! 少し甘いけどこってりしてるのは……乾酪チーズ?」

「ああ、ここいらでは山羊の乳から作ったものを使うから、結構くせもあるんだが、檸檬のすりおろしを加えるからくさみも消えて美味い」

「ずいぶん詳しいのね?」

「リーヴの受け売りだがな」

「アルもイレーヌの試作に散々付き合ってくれたしね」

 宝石ような青い瞳をきらめかせて笑うリーヴに、アルフレドは照れたように頭をかく。イレーヌというのは先ほど見かけた女性だろうか。

「リーヴの娘だ。この宿を一緒に切り盛りしてるが今夜は何か用事があるんだろう?」

「宵祭りが近いから、その準備にね」

「こちらでは春はまだ?」

「花が咲き始めるのはもう少し先だけれど、祝祭自体は次の新月に。闇夜に村の真ん中で焚き火をしてみんなで祝うの。そのために、家の前に月晶石の飾りをつけたリースを掲げるのだけれど……」

 何やら浮かない顔になったリーヴに、アルフレドを見れば、麦酒のカップを傾けながら、それだ、と頷く。

「このところ月晶石の共鳴がひどいんだそうだ。俺には聞こえないが、複数を集めると共鳴して魔力のある人間にはきついらしい」

「共鳴?」

 リーヴは頷いて、カウンターの後ろから腕輪を取り出した。細い金の蔦を編み上げたようなそれは、カットされた月晶石が象嵌されている。ゆらゆらと揺れる蝋燭の光を受けて、その中に炎が揺れているように美しい。

「綺麗……」

 思わず見惚れたイェリンにリーヴも表情を和らげる。

「亡くなった夫が贈ってくれたものなの。こちらが揃いの指輪」

 リーヴが腕輪の横に、同じように金で月晶石が象嵌された指輪を置いた途端、ラグナが額を押さえて俯いた。前髪を掴むようにして、きつく眉根を寄せている。

「大丈夫⁉︎」

 慌ててその肩を掴んだイェリンに、血の気が引いた顔で、それでもラグナが小さく頷く。しばらく目を閉じて、それから指輪に手を伸ばした。月晶石に触れ、何かを探るように耳を澄ます。ややして、腕輪と指輪を離してようやく表情を緩めた。

「声……いや、これは歌か?」

「あなたにはそう聞こえるのね。私たちにはただの不快な音に聞こえる。バランスの崩れた和音ハルモニのように。ある程度離していれば音は聞こえないけれど、そのせいで不調を訴える人もいて……」

 村の周囲に配置されている月晶石に異変はないという。だが、数が多ければ多いほど、その不審な共鳴は大きくなる。石から距離を置けば影響はないが、少なくとも複数を身につけると目眩や頭痛を覚える者が多いのだという。


「もともと月晶石は魔力の影響を受けやすい鉱石だけれど、今までこんなことは起きたことがないの。鉱山も立ち入り禁止になってしまうし、このままだと宵祭りにも影響があるんじゃないかって、みんな不安がっているわ」

「そこで俺の出番ってわけだ」

「俺たちの、じゃないのか?」

 再び眉根を寄せたラグナに、アルフレドは悪びれもせずに頷く。

「まあ、俺はまったくわからんし、嬢ちゃん——イェリンもさほど影響はなさそうだ。頼りになるのはお前さんってのはその通りだろうな」

 顎を撫でながらアルフレドはにやりと笑う。イェリンは二人を窺いながらそっと、腕輪に手を伸ばした。薄く楕円の半球型にカットされた月晶石は親指の爪ほどの大きさで、地金の金と蝋燭の色を移して七色の遊色を見せている。指先で触れた途端、イェリンの背筋がぞくりと震えた。


 緩やかな音の連なり。金属の擦れる音と、人の声とのちょうど狭間のようなどちらとも判じかねる、どちらかといえば不快な響き。脳内を引っ掻くようなそれは、触れた指先から振動として伝わり、音をかたちづくる。

 音とともに脳裏に浮かぶのは、ゆらめく七色の光。やがてその光はイェリンの中にある、同じように鮮やかな色彩のそれに気づくと、じりじりと浸食するように近づいてくる。


 魔力と光を吸収し、鮮やかな色を映し出す結晶。その石を媒介して流れ込んでくるその力は。


「手を離せ!」

 ぴしり、と胸の奥でひびが入った瞬間、ラグナがイェリンの手を掴んで引き剥がす。立ち上がってカウンターから距離を取ると、イェリンをその胸に抱きすくめた。耳元に顔を寄せ、低く歌うような声で囁く。

「落ち着け。共振は触れていなければそれ以上は起こらない。あんたの中に響いたそれを鎮めてひび割れを塞ぐんだ」

 同時に、胸元から温かい光がこぼれる。目の前にあるものとは質の違う青い瞳を思い出しながら、イェリンは目を閉じ、自身の中でひび割れたそれを、言われた通りに塞いでいく。揺らそうとする響き——振動を牽制しながら、すべてがあるべき通りに。


 ——本当に、世話の焼ける。


 聞き慣れた皮肉げな、それでも少し低い響きを聞いた気がして目を開けると、そこにはただラグナの心配そうな瞳があるだけだった。

「大丈夫か?」

「う、うん。ありがとう」

 胸元のペンダントの青い石を握りしめると微かに温かい。もう一度、呆れまじりのため息が聞こえて辺りを見回したけれど、どちらかというと他のテーブルの客からは、好奇の視線が向けられていることに気づいて、慌ててラグナの腕の中から抜け出した。

「お熱いこって?」

「ふざけている場合か。この力が暴走すればこの村だって危ない。早々に原因を突き止めるべきだ」

「原因、ねえ……」

 ラグナが聴いた歌声とイェリンを取り込もうとした不思議な響き。どちらもが月晶石を媒介として増幅されたのだとしたら、明らかにその鉱床に近寄るのは危険だ。カウンターに戻りながら、イェリンは思考を巡らせる。


 そもそもは極彩色の炎によって消失したルウェスへ向かう予定だった。だが、この村で起きている異変がそれと関係しているのであれば、次に同じように焼き尽くされるのはこの村かもしれない。

 目を上げると、アルフレドの金の双眸がじっとイェリンを見つめていた。飄々とした中にも強い光を浮かべるそれは、イェリンの不安を見透かしているようだった。

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