三 重なる因果

 ラグナと出会ったのは、ある意味イクスの導きによる必然だった。だが、アルフレドとのこの邂逅かいこうは何を意味するのだろう。イェリンは、なお強い光を浮かべる金の双眸そうぼうをじっと見つめながら考える。森の中で魔物に襲われたところを助けてくれた狩人が、同じようにあの極彩色ごくさいしきの炎に故郷を焼かれた過去を持つというそんな偶然の意味を。


 アルフレドはイェリンの視線に気づくとすぐに表情を緩めてそれまでの飄々とした顔に戻ったが、彼女の肩を包んでいる腕には、先ほどのラグナがそうであったように不自然なほど、力がこもっている。

 このまま事情をうやむやにするわけにはいかない。イェリンを抱いていた腕を解き、そのまま立ち上がろうとしたアルフレドの腕を掴んで引き留める。


「待って、私はどんな情報でも必要なの。あの炎を——あのひとを止めるために」 

「あのひと?」

 アルフレドは怪訝けげんそうな顔をしながらも、肘の辺りを掴んでいたイェリンの手をそっと掴んで立ち上がった。その勢いと、まだふらつく足元のせいで、イェリンは男の胸に倒れ込むようなかたちになって、しっかりした胸板にどきりと心臓が跳ねたけれど、それどころではない。

「イクス・アルディオス。あの極彩色の炎を生み出したひと。そしてきっと、世界のあちこちで現れているあの炎の鍵を握る魔術師」

「アルディオス……炎をつかさどる一族——元凶か」

「ち、違う……と思う」


 鋭く問うアルフレドに対し、ラグナに問われた時と違って断言できないのはイクスの意図が読めないからだ。ただあの炎に魅入られていた時には気づけなかった、幾重にも絡まるような運命の交差。

 イクスはあの炎を制御しようとしていた。少なくとも、イェリンの住む村とそこに住む人々に害意を持っていたようには見えなかった。

 だが、時に研究者は自分の望みを叶えるためなら、いくらでも冷徹になれる面を持っていることをイェリンはよく知っている。カラヴィスで見た、多くの研究者や魔術師たち——そして実しやかに語られていた、イクスの非道な研究の数々。

 全ての破壊と惨劇が彼の望みによって引き起こされた可能性を、完全には否定しきれない。たとえば、ラグナとその故郷を守りながらも、近隣のクルムの犠牲にはいささかも注意を払わなかったように。


 もし、それが真実なら、自分はどうするのだろう——?


 不意に足元に底なしの穴が空いたように感じて、イェリンの体が震えた。無邪気にあの炎に惹かれていた自分がひどく考えなしだったような気がして。

 あの炎によって、どれほど多くの命が失われたか、どれほどの悲嘆と苦悩が生まれたか。わかっているつもりで全くわかっていなかったのではないか。それ以上に、イクスのことも理解しているつもりで、まるきり的外れな想いを抱いていたのではないか——。


 その時、ふわりと胸元に暖かさを感じた。目を向けると、レイフがくれたペンダントが柔らかな光を放っていた。彼女を励ますように——あるいは、考えすぎな彼女に呆れて笑うように。触れれば対照的にひんやりと冷たい蒼氷石は、そのまま贈り主を思い出させた。いつも憎まれ口ばかりのくせに、顔も見せずにお守りを渡し、そして送り出してくれた少年。その矛盾した暖かさと冷たさは、送り出してくれたその時の決意も。


 自分の直感を疑うべきではない。あの時、極彩色の炎に惹かれ、そして受け取ったイェリンは誰よりもイクスの真実に近いところにいるはず。そう信じなければ。

 青い石を握りしめながら、真っ直ぐにアルフレドを見上げる。


「あのひとは無闇に誰かを傷つけたり、命を奪うことを楽しむようなタイプじゃない。だから、きっと何か意味や意図があるはず」

「魔術師なんて変人揃いだろう。無闇にじゃなくたって、自分の目的や好奇心を満たすためなら手段は問わない——だろ?」

 金の瞳は静かだったが、底知れない光を浮かべている。そこに浮かぶものが怒りだ、と気づくまでに少しかかった。圧倒的な、憎悪すら混じらない正真正銘の怒り。それは、イェリンにもわずかに向けられている。

 強いその眼差しを受け止めて、ようやくその意図を理解する——魔術師に対する、強い不審と怒り。

「……あなたの故郷を滅ぼした極彩色の炎も、魔術師が意図したものだと?」

「じゃなきゃ、あんな大規模な破壊が起きるはずがない。俺の故郷は一瞬で焼き尽くされた。里だけでなく、そこに住む者たちも全て」


 人里からは離れた山奥。そこに住むアルフレドの同胞たちは、一瞬で極彩色の炎に焼き尽くされたのだという。生き残ったのはたまたま里を離れていた少年一人と、そして、はぐれ者で、ずいぶん昔に故郷を離れさすらっていたアルフレドだけ。


 アルフレドは静かに、ごく低い声でそう語った。

「生存者があなたと、あと一人だけ……?」

「基本的に閉鎖的な里だったからな。それに、俺たちは魔力の干渉を受けにくいから、一部の魔術師からは目のかたきにされていた。特に大戦中はいろいろあったしな」

「関わっていたのか?」

 ラグナが顔を顰めてそう尋ねると、アルフレドは肩を竦める。

「世界を旅していれば、否が応でも巻き込まれちまう。山奥の村や里に引きこもっていれば見えなかったものも見えるしな」


 ほんの些細なきっかけで始まったはずのそのいさかいは、あっという間に大陸をまたいで広がった。森や山は焼かれ、川や海も汚染された。多くの人々の命が失われた、と聞いてはいたが、イェリンの村ではさほどの混乱は起きず、だから実際のところ彼女にとっては遠い世界の話ではあったのだ。ダレンアールの悲劇を聞くまでは。


「大穴に呑み込まれた村、か。話には聞いてる。大戦を終わらせた立役者の先見視さきみが確かそこの出身だったと」

「……俺の兄だ」

 ラグナの答えに、アルフレドは興味深げに目を細めた。真偽を図るようにじっと見つめていたが、ややして表情を緩める。

「なるほど、それであんたらはその真相を探るために旅をしているってわけか。だが、ダレンアールに大穴を開けた連中と、あの炎に直接の関係はないだろう?」

 言われてイェリンははっと息を呑む。あまり深く考えずにいたが、そもそもダレンアールで半数以上もの村人の命を奪ったあの崩落を引き起こしたのが誰なのか。大戦の最中、山奥にひっそりと、けれど先見視さきみ聡聴きこえの才をを持つ者たちの血を連綿と継ぐ一族の村を半ば滅ぼしたその力の源泉は——?

「偶然じゃなかったっていうのか……?」

 呆然としたように呟いたラグナに、アルフレドは何を今さら、と肩を竦める。

「この世界がどれだけ広いかわかっているか? 精霊と人間の諍いがあちこちで魔力の暴走や暴発を引き起こしてはいたが、それにしたって里や村を丸ごと滅ぼすほどの力の発現はまれだ。少なくとも、俺たちの里を襲ったのは、人間たちの銃火器の力と精霊の魔力、どちらをも利用したものだったと聞いている」


 そういえば、とラグナも険しい顔になる。そもそも彼をあの大穴へ導き、あのえんを育てさせたのは誰だったのか、未だ不明のまま。イクスもまた、あれを見て驚いていたというのだから——同時によろこんでもいたようだが——彼がその元凶というのは考えにくい。


「自分のを見て、ご機嫌だった可能性は?」

「そういう奴では、ないと思う」

 歯切れの悪い、それでもはっきりと否定するラグナの言葉に、アルフレドは首を傾げつつも、ややしてわかったというように両手を上げた。

「実際にそいつに会って、惨事を体験したお二人さんがそこまで言うなら、一旦は保留にしておこう。それで、あんたらはこの先どこへ向かうつもりなんだ?」

 イェリンはラグナと顔を見合わせる。まずはルウェスへと向かうつもりだった。だが、月水晶が本当に極彩色の炎の発現に関わっているのだとしたら、まずはそちらを当たるべきだろうか。

 迷いを見透かしたように、アルフレドがニッと笑って、それからイェリンを横抱きに抱き上げた。

「えっ⁉︎ ちょ、ちょっと何?」

「悩んでいるなら、まずはちゃんと休む。それから、月水晶を見てみるってのはどうだ?」

 思わぬ言葉に、イェリンはまじまじと愉しげな光を浮かべる金の瞳を見つめる。どこか不穏な気配があるのは変わらない。けれど、敵意は感じないから、何か彼なりの理由があるのだろう。

「……何か当てがあるの?」

「この先の森の奥に、俺がしばらく世話になっている村がある。そこの近くの洞穴が月晶石の鉱床らしい」


 大戦が始まってからは交易らしい交易も行われなくなってしまったが、鉱床そのものは無事らしい。人の行き来も戻り始めているからちょうど誰かに様子を見にいってもらおうとそんな話が持ち上がっているとのことだった。

「村人が自分たちで入れないわけでもあるのか?」

「いい質問だ。そこの村人たちは、ずっと月晶石の加工を生業にしてきただけあって、魔力に対する感知能力が高い。どうにも洞穴の方は落ち着かないってんで、誰も入りたがらないらしいんだよな」

「それで、あんたが指名されたってわけか」

「まあ、俺はその辺は鈍いからな。できれば、そっち方面に鋭敏な連れがいる方がありがたい」


 渡りに舟というところなのだろう。抱きかかえられたままラグナの方を見れば、うんざりしたような顔をして、イェリンをアルフレドの腕から取り上げた。そうして、そっと地面に下ろす。


「なんだよ、せっかく村まで運んでやろうと思ったのに」

 からかうように言ったアルフレドは無視して、ラグナはイェリンの顔を覗き込んでくる。

「もう歩けるな?」

「う、うん」

「なんだよ、やっぱりそういう関係か?」

「違うわ、ラグナには好きな人がいるもの」

「そいつ、あんたより美人?」

「うん」

「おい!!」

 即座に頷いた彼女に、ラグナがごほごほと咳き込む。それから、じろりと睨みつけてきた顔は、それでも消耗した様子もなく落ち着いている。イェリンはほっと胸を撫で下ろして緩く笑ってから、アルフレドを見上げた。

「その村ってここからどれくらいなの?」

「大した距離はない。日暮れまでには着けるはずだ」

「だって。歩ける?」

 ラグナを振り返ると、ややうんざりした様子ながらも頷いた。

「あんたのほうこそ、本当に大丈夫なのか? 別にこの辺りで野宿したっていいんだぞ」

「あの妖花が一匹だけとは限らないでしょ。早くいきましょ。もうあのひととの恋バナを話題に出したりはしないから」

「あのなあ……!」

 ラグナはもう一度顔を顰めて、けれど、何を言っても無駄だと思い直したのか、黙って先に立って歩き出す。行き先もわからないはずなのに、迷いなく森の奥へと進んでいってしまう。その背中を呆気に取られたまま見送っていると、アルフレドがくつくつと低く笑った。


「この辺りは妖精のテリトリーだからな。案内人でもいるんじゃないか?」

「ああ、なるほど、なら安心——じゃないでしょ。タチのわるいのに引っかかったりしたら大変じゃない!」

「あの兄ちゃん、そんなに抜けてんのか?」

「そうでもないと思うけど、ちょっと……」

 普段は冷静に見えるが、意外と向こう見ずなところがあるのは経験済みだ。あれこれ軽口を叩いてしまった我が身を振り返り、心の中で再びの反省と自省を誓う。ともあれ。

「何かあってからじゃ遅いもの。追いかけましょう」

「……どっちが過保護なんだか」


 低く言ったアルフレドと顔を見合わせて、もう一度二人で笑みを交わしてから、あっという間に森の奥へと消えていってしまったラグナの背中を追いかけた。

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