二 黒鋼

 頭から真っ二つに切り裂かれた妖花は、それでもつるを伸ばしてくる。痛覚などないかのように——実際そうなのだろう——二つに身を裂かれたまま、鋭い爪が目の前に立ちはだかった男に絡みつこうとする。寸前で男は再び大剣を振るって爪先を切り落とすが、蔓は何度でも伸びてくる。


「ったく、キリがねえなあ。嬢ちゃん、何か策はないか?」

 軽く笑いながら振り向いた男の顔は精悍せいかんで、無精髭がまばらに生えている。何より印象的なのは、先ほども気になった左頬の大きな傷跡と、黒髪の間から覗く金色の双眸そうぼうだった。

「え、格好よく割り込んできて、もう諦めるんです?」

「普段は森の獣を狩る善良な狩人なんだ。魔物は専門外」

 言いながらも身の丈の半ばを超える大剣を軽々と振るう。先に向かって細くなる、あまり厚みのない両刃の剣といえど、それほど筋骨隆々という風には見えないのに凄まじいりょりょくだ。

「狩人がそんなでかいものを持ち歩くのか?」

 自身も剣を抜いて男の眼前に迫っていた一本を切り払ったラグナの問いに、飛んでくる蔓を最小限の動きでかわしつつ、男は磊落らいらくに笑った。

「まあ、これは護身用ってやつで」

 襲いくる蔓と爪は男が言う通りキリがない。頑健そうな自称狩人はともかく、病み上がりのラグナの体力が気がかりだった。イェリンは胸元で拳を握り、自身の内側を探る。今のところ大きな異常はない。ひび割れが修復され、少しずつ溶け出す炎の魔力は、あの異形を焼き払う程度には制御可能に思えた。


「よせ」

 彼女が言い出すより先に、ラグナの鋭い声が飛んできた。視線を向ければ、剣を構えて前方を見据えたまま、それでももう一度はっきり制止の言葉を口にする。

「あんたの師匠の言葉には意味があるはずだ」

「でも……」

「何の話だ?」

「あんたには関係ない」

「おいおい、助っ人に入ってやってるのにそんな言い方はねえだろ」

 呆れたような物言いには、微かに焦りが滲んでいるようにも思えた。一本の蔓が、注意の逸れた隙を縫って男の頬を切り裂く。舌打ちして拭ったその袖にははっきりと赤黒い染みが浮かんだ。


 ためらっている場合ではない。イェリンは拳を握り、炎を引き出す。開いた手のひらの上に、小さくゆらめく白い炎。妖花は実体を持っている。川の異形のように大きな白焔ほのおは必要ない。

「よせ!」

「へえ、炎使いか。なんか訳ありっぽいが、まあ借りるぞ。青年、しばらく持ち堪えとけ」

 声を上げたラグナを肘で小突くと、男はするりとイェリンの側へと俊敏に滑り込む。そうして興味深げに手のひらの上に浮かぶ炎を見つめた。

「魔力の炎にしちゃあ、がねえな。おもしれえ」

「傾き?」

「善でも悪でもない、光のくせに闇を包含してやがる」

「もしかして、詩人さん?」

「おう、褒め言葉として受け取っとくぜ」

 皮肉は通じなかったらしい。男は構わず大剣の刃を水平にしてイェリンの前に差し出した。光を吸い込むような、黒みがかった不思議な光沢がある。

「炎を載せられるか?」

「え? ここに?」

「こいつはくろはがねでできてる。精霊でさえ斬れる剣だ、あんたのその炎をこいつに載せられれば、焼き払いつつ延焼を最小限に防げるだろ」


 本当にそんなことができるのか、と問う暇はなかった。前方でラグナが蔓を相手に防戦一方でなんとかしのいでいる状況だ。その額には汗が滲んでいる。直接焼き払う方が早いが、木々に囲まれたこの場所でこの炎を放てばどの程度の範囲まで広がってしまうかは予測できない。

「信じても良いの?」

「おう、俺は魔力は持たないが、扱いに関しては玄人だ」

 狩人なのに、とはもう口にするのはやめにしておいた。刃を撫でるように手のひらを滑らせる。どんなものも焼き尽くすはずの白い炎は、刀身を溶かすこともなくすぅっと吸い込まれた、ように見えた。次の瞬間、黒い鋼がうっすらと青白い光に包まれる。

 ヒュウ、と場違いに陽気な口笛に目を上げれば、男がごく楽しげに金色の目をきらめかせてこちらを見下ろしていた。

「やるじゃねえか、お嬢ちゃん」

「イェリンです」

「イェリン、やるなあ。一発かましてやるから見てろよ」

「名乗ったんだから自分も名乗ってから行けば? いざという時に名前を伝えられないと不便かもしれないし」

「不吉な予言をするんじゃねえよ、魔術師のくせに。アルフレドだ」

「まだ見習いですけど。それに——」

 妖精の助言アルフレドとはずいぶん、と喉元まで出かかった言葉は、声にはならなかった。男は肩で息をしているラグナを押しのけるように前に出ると、不敵に笑った。両手で剣の柄を握り、大きく横にぐ。瞬間、飛んできた蔓も、二つ身に裂かれたままゆらゆらと揺れていた本体も、全てが白い炎に包まれた。

 魔力の扱いにけている、というのは口先ばかりではなかったらしい。燃え上がる妖花に素早く駆け寄り、さらに縦横に振るわれた剣圧で炎は消え、後には灰も残らなかった。


「大したもんだ。嬢ちゃん、俺と組まねえか……って大丈夫か⁉︎」

「え?」

 何が、と問い返す間もなくぐらりと視界が揺れた。ああ、倒れる、となすすべもなく近づく地面に目を閉じかけたとき、ぐいと腰から強く引き寄せられた。見上げた間近には剣呑な光を浮かべる青い瞳。

「だから言っただろう」

 眼差しと同じくらい底冷えするような声のせいか、体が震えて思わず我が身を抱きしめるように腕を回すと、呆れたようなため息が降ってくる。

「あんたの体が氷みたいに冷えてるんだ。あの時みたいに」

 とにかく、とラグナは剣を鞘に収めると、イェリンを横抱きに抱き上げた。抗議の声を上げようとしたが、喉から漏れたのは頼りない呼吸だけで、全身に力が入らずラグナの胸に頭を預けるので精一杯だった。

「おいおい、嬢ちゃん真っ青じゃねえか。そんなに負担だったのか……?」

「とにかくどこかで休ませたい。この近くに安全に休めるところはあるか?」

 静かだが断固としたラグナの声に、アルフレドはわずかに眉根を上げたものの、すぐにくるりときびすを返してついてこい、と促した。ラグナは自分の外套がいとうでイェリンを包み込むようにして、その後について歩き出す。


 程なくしてアルフレドが足を止めたのは、ぽっかりと森が開けた場所にある泉のそばだった。水面は静かなのに底が見通せるほどに澄んでいる。ため池ということもなさそうだから、水底から静かに湧き出ているのだろうか。

 ぼんやりとそんなことを考えていると、そっと泉の脇に下ろされた。ラグナは荷袋からイェリンの例の毛布を取り出し、手早く彼女を包み込んだ。そのまま自分も地面にあぐらをかき、イェリンを抱いたまま連れになったばかりの男を見上げる。

「すまないが火を起こしてくれるか」

「自分は彼女を抱っこしたままで手が離せないってか?」

「あんたが代わってくれるなら、それでもいいが」

「そりゃあ喜んで?」

 口の端を上げて膝をついたアルフレドは、けれどイェリンの手に触れた瞬間驚いたように目を見開いて慌てて手を引っ込めた。彼女の手が冷えていたことばかりが理由ではなさそうだった。

「あんた、いったい……?」

「魔力がなくて幸いだったな。あったら一気に吸い取られてる」

 どういうことかと目を向けたイェリンに、ラグナは軽く肩を竦めた。

「言っただろう、宵闇花よいやみばなの精が人の精気をかてとするのは不可知の力エーテル全般を吸収しているんじゃないかと。その最たるものは魔力だ。人の精気よりも遥かに吸収効率がいいから、相手が魔力持ちならその魅了も精気の吸収も圧倒的に強く働くはずだ。相手の制御が効いていれば、その限りではないだろうが」


 ラグナは大地の精霊の眷属けんぞくの末裔であり、故に精霊の加護が厚い。多少なりとも魔力を奪われても、大地からの加護でその分を補えるらしい。だから、今のイェリンに触れていても問題ないのだと。

 アルフレドはその説明で納得したのか、はたまたイェリンを純粋に気遣ってくれたのか、それ以上は特に冷やかすでもなく、手際よく周囲の枯れ木をたきぎに火を起こしていく。ゆらゆらと燃える赤い火とラグナのおかげか、少しずつ指先に感覚が戻ってきた。

「ありが……とう」

 ようやく出た声は、それでも真冬の凍える朝に震える時のように掠れていた。

「こんな時こそ暖気のとれる飴でもあればいいんだが」

 肩を抱く手に少し力が込められつつも、ラグナがくすりと笑ったのは彼女が作る炎蜂の蜜飴が熱冷ましになってしまっていることを思い出したせいだろう。ラグナの心地よい体温に包まれて安堵する自分に内心でため息をつきながら、イェリンはこの状況について考え込む。


 カラヴィスで、心臓に封じ込められた炎のひび割れを感じたあの時、同じように全身が凍えてしまったことは覚えている。だが、昨日あの川の怪異を焼き尽くした時にはそんな異常は起きなかった。少なくとも、自分の意志で炎を扱いきれている際には、自身への異変が起きないものだと、なんとなくそう思っていたのに。


「そのくろはがねの剣のせいだろうな」

「俺の剣が?」

「あんたも言っていただろう、黒鋼の刃は精霊さえも斬れる。おそらくは循環する魔力を断ち、無にかえすんだ」

 イェリンの中で変質したえんの炎は浄化され、彼女の糧となっている。その一部を取り出し、浄化の炎として魔を焼き払うことに使用しても、本来ならそれは消えることなく大気を巡り、幾らかは彼女の中に還元される。ところが、黒鋼は炎そのものとそこに込められていた魔力の一切を無に帰してしまう。

 故に彼女から漏れ出た炎は失われ、一時的に欠乏状態になってしまったのだろう、とラグナはそう推察した。


「あんたの中に封じられた炎は膨大だ。だが、有限でもある。あんた自身を器として絶妙な——というかおそらくはぎりぎりの均衡きんこうを保つように調整されているんだろう。だから、無闇に放出すれば枯渇するし、そうなれば、そもそも糧をそこから得るようになっているあんた自身の命も危うい」

「そうなんだ……」

「そうなんだ、ってずいぶんのんきだな、あんた」

 そう言って笑ったアルフレドは焚き火で湯を沸かしている。よく見ればまあまあ端正な顔をしているが、飄々とした表情のせいで今ひとつ真意が掴みにくい。

「惜しいな。もっと自在に使えるようなら、ぜひ相棒に欲しいところだが。ああ、もしかして黒鋼じゃない、普通のはがねならいいのか? あるいは月晶石で増幅するとか」


 月晶石、というその言葉に、イェリンの胸の奥が震えた。魔力の研究や実験に広く使われるその水晶は、魔力を蓄積し、また同じ石の間で伝播させる不可思議な性質を持つ。硬度が高く、それでいて加工も容易だから、装飾品や時には武器に使用されることもある。

 だが、ラグナは顔をしかめてアルフレドに向き直った。

「無茶を言うな。月晶石は魔力を増幅する。そんなものにこいつの炎を注ぎ込んだら何が起きるか……」

 言いかけて、ふとラグナは何かを考え込むように口をつぐんだ。無意識なのか、イェリンの肩を掴む手にさらに力がこもる。痛みを感じるほどに。

「おい、嬢ちゃんがどれだけ物騒な魔力を秘めてるかは知らんが、生身は華奢な女の子だろう。あんまり力を込めすぎんなよ」

 そう言って。アルフレドは沸かした湯をどこからか取り出した木のカップに注いでイェリンに差し出してくる。触れた手に、今度はアルフレドも手を引っ込めるようなことはなかった。それどころか、イェリンの手を引いて自分の方に引き寄せた。

「ほんとに冷えてんな。よく生きてるな、これで」

「人を死人みたいに言わないでもらえる?」

 先ほどまでラグナがそうしていたように、イェリンを抱き込むように背中を抱いたアルフレドはなぜかごく楽しそうだ。まだ身動きがうまくとれないイェリンは図らずもその胸に頭を預ける形になる。間近に見たその姿は、狩人らしい軽装だが、肩や腰の革のベルトにいくつもの小袋ポーチがついている。いくつかからはかぎ慣れた薬草の匂いが漂っている。

「それ、何が入っているの?」

「何って、ナイフやら食料やら薬やら、まあ狩猟生活に必要なものだが」

「本当に狩人なんだ」

「おい、あんたは少しは警戒とか抵抗したらどうなんだ」

 やや不機嫌な声に振り向けば、それでもラグナは荷袋から地図を取り出して、じっと睨むように見入っている。アルフレドは肩を竦めて面白そうにイェリンを抱いたまま、広げた地図の端までにじり寄る。

「どうしたの、急に地図なんて広げて」

「ダレンアール、エルムスタとセレスベルグ、共通点なんて山奥にある村くらいだと思っていたんだが——」

 ラグナは一つ一つ指差しながら、線を描くように指でたどっていく。

「……何かあったの?」

「いずれも、月水晶が産出する地として名高い。あんたの村は確か——」

「フェレン。確かに、それほど量は採れないけど村の数少ない収入源だったよ」


 月晶石の中でも、ある程度の大きさのある集合結晶クラスターは月水晶と呼ばれる。欠片よりも遥かに膨大な魔力を蓄積できるそれが繋ぐ線の意味は。


「極彩色の炎の出現には、月水晶が関係している……?」

「極彩色の炎、だと?」

 不意にアルフレドの表情が変わる。イェリンとラグナの視線を受けて、男はじっと地図を見つめ、何かを考え込むようにしばし黙り込んだ。それまでの陽気さが嘘のように、ひどく真摯な——怖いほどの静謐さで。やがて、一つ息を吐いてから、地図の北方のある一点を指し示した。

「俺の故郷も月水晶の産地で有名ってわけじゃないが、近くの洞窟にでかい鉱床があった」


 つい半年ばかり前に極彩色の炎に焼かれたがな、と男は苛烈な光をその目に宿して不穏に笑った。

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