第8話 狩人

口に含む珈琲の熱さは感じない

狩人が追うユニコーン座の


◆思い描いた景色

 16歳の春、大事件が起こった。

 マンションの10階住む、僕の部屋の前に32階建ての超高層ビルが建ったのだ。

 僕の趣味は天体観測。このマンションに引っ越すことに強く賛成した最大の理由が、ベランダから思う存分、天体観測が出来ることだ。

 それがこのマンションの倍以上の高さの建物が、邪魔するなんてあり得ないことだ。

 こうなってしまえば仕方無い。

 15階の屋上に行くしかない。

 普段なら屋上の扉には鍵が掛かっている。

 何度も確認したから知っている。だけど、土曜日の午後8時なら開いていることを知っている。

 大家の大学生の娘さんが、ひとりで酒盛りしているのだ。

 前に鍵が開いていることに喜んだ僕が、散々絡まれて、ひどい目に会ってからは一度も行っていない。だが、背に腹は変えられない。土下座してでも頼み込んで、屋上の隅っこを使わして貰おう。

 今日は待ちに待った土曜日。早速、天体望遠鏡を持って、非常階段を上がっていく。

 残念ながらエレベーターは目立つから使えない。

 息を切らして屋上に着くと、案の定、扉の鍵が開いていた。

「よう少年。また会ったな」

 もう酔っている。空き缶が三缶転がっていた。下手に交渉しても無駄なような気がした。

「隅っこで良いので、屋上を使わして下さい」

 直球でお願いした。

「良いよ良いよ、犯罪行為で無けりゃ良いよ」

「そんなことしません」

 了解を得た僕は、酔っぱらい姉さんから離れたところに、望遠鏡を設置する。

「星を観るのって楽しいの?」

 不意に耳元に酒臭い息が掛かる。

 うふゃあと声を上げた僕を見て、けらけら笑っている。この酔っぱらいめ。

「楽しいですよ。とても綺麗だし」

「いやあ、それ程でも……」

 お前の事では無い、この酔っぱらいめ。

「僕は新星を見つけるのです。高校生になったからには、新星のひとつふたつ見つけて、発見者の名前を登録するのです」

 すごいすごいと手を叩く、この酔っぱらいめ。

「私はね…、私を好きだと言ってくれる人を見つけるの。私の好きだった人は他の人を好きだったから……」

「お姉さん……」

「全然諦めていないけどね。いつか奪ってやるんだから」

 こいつは駄目だ。あっ、空き缶が五缶になっている。

 こんな感じでお姉さんとの付き合いが始まった。

 土曜日だけだった観測日が、土日になり、毎日になって一年経った頃、突然終わりがきた。

 お姉さんが就職して、この地を離れることになったからだ。

 最後の日は酔っていなかった。

「少年、これを貸してやる」

 屋上の扉の鍵を投げてきた。

「早く見つけろよ」

格好つけて去っていった。

「お姉さんは見つけなくて良いです」

 僕は小さく呟いた。


 それから五年、僕はお姉さんの通っていた地元の大学を卒業した。この春、地元に就職する。

 天体観測は続けている。

 だけど、新星は見つからなかった。

 そして、お姉さんは屋上に帰ってきた。

「久しぶり、少年。新星は見つかったか」

「少年ではありません。もう大人です。新星は簡単には見つかりません」

「それは残念だったな。私もここに出戻りだ。又、頑張らないと」

「頑張らなくて良いです。僕がここに居ます」

 お酒の代わりに、熱い珈琲を手渡した。

 お姉さんのびっくりした顔から目を逸らし、緊張して熱さを感じない珈琲に口をつけた。



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