04 アナザー
第32話
「ねえねえ、そこの可愛い女の子」
國臣との出会いから一月後。ゴールデンウィーク目前のある日、初めてのデートを前にして街をふらつくことりに声をかける人物がいた。
容姿がととのっていることりにとって、見知らぬ人から声をかけられることは日常茶飯事。人がよさそうならお金やご飯をねだり、柄が悪そうなら逃げるだけ。個に合わせた対応の仕方は経験からすでに心得ている。
今回はどんな人だろうか。振り返ってみれば、どちらとも判断できないような男がそこにいた。
「僕ぁ、君のことが気になってさぁ。良かったらお茶しながらお話しない? 君の興味を引けると思うんだぁ。どう? お茶しようよ」
寝癖のついた頭、アイロンせずにくしゃくしゃの皺がついたままのシャツを着た男。
決して身だしなみがいいとは言えない。見た目に気を遣わない人がお金を持っている可能性は高くない。身を売ることしか収入を得られないことりにとって、この男は関わっても時間の無駄になると瞬時に判断した。
「申し訳ありません。このあとは父と出かける予定が入っているので失礼します」
作り笑顔で対応する。家族、その中でも父親の存在を引き出せば多くの場合身を引く場合が多い。今回もそうすれば金の匂いすらしないこの男から逃れるだろうと踏んだのだ。だがしかし、男はことりよりも張り付いた笑顔を浮かべて言う。
「またまたぁ、嘘ついちゃって。君にお父さんはいないでしょ? ちなみにお母さんもいない。だけど実の兄はいるよ? 会いたい? 調節は必要だけど、会えるようにしようか?」
何を言っているのか。不信感を抱いたことりは、表情ひとつ変えずに言葉を返す。
「いいえ。私は忙しいので失礼します」
人混みに紛れて逃亡を試みる。しかし、その行く手を阻むかのように男は立ち塞がると、聞き捨てならない発言をする。
「戸籍登録なし、チップなし。親代わりの人間はかつて職場で誘拐を起こした犯罪者で、今の住居は戸和の一戸建て。空き家をFreedのいち拠点にし、Freedのボスとして自由を求めて動いている。そういう人の元、現代社会で生きるには難しい立場にいる君にしか出来ないお仕事があるんだよね」
「……どこまでご存じなのです? あの人たちと関係がある方ですか?」
貼り付けた仮面をとり、鋭い眼差しを男に向ける。男はその目にたじろぐふりをしてみせる。
「わあ、怖い顔しないで。僕ぁ、ただのこういうモノだよぉ。ちょいとばかし、社会を見ているだけのね」
差し出した名刺を受け取る。そこに書かれた名前は『山口篤』。そして肩書きは『監視局局長』だった。
「……この立場を使って、人のことを覗き見たのですか? 悪趣味ですね」
「滅相もない! 僕ぁ、ただ単にオプティの作る社会に興味が湧いただけの人間さ。何処から何が見えるかってみんな違うから、色んな所に行けるよう名刺をたくさん持っているけどね?」
どれがいい? とババ抜きをするかのように複数の名刺を扇のように広げてみせた。市役所職員、工具店、修理屋、電気店……他職種の肩書きにことりの不信感は増していく。
「本職がその名刺だよ? こう見えても僕ぁ、お偉い人なんだ。自分で言うのも何だけどね」
「信じられませんね。お役人がこんな辺鄙な場所にいらっしゃるとは。名刺なんて幾らでも作ることができますし――」
山口は『オプティマイズ』を取り出すと、ことりに向けた。
「うん、これなら証拠になるでしょう? それにほら。僕の言った通り、このカメラがたくさんある監視社会なのに、君は透明人間だ」
監視局の人しか持っていないオプティマイズ。個人のチップを認識するそれは、人を撮影すると個人識別チップを認識し、個人のスコアを表示することができる。それなのに、オプティマイズに表示されないことりのスコア。オプティマイズの故障なんかじゃなく、ことりが社会で認識されていないことを示している。
ことりは観念したかのように、身体をひねった。
「……近くにカフェがあるので、移動しましょうか。もちろん貴方のおごりですけど」
「もっちろん。こう見えてお金だけは持ってるんだよね」
ことりの先導で二人はカフェへと移動する。その間も山口は、ことりの個人情報をベラベラと喋った。耳障りともとれる内容だが、どれも間違いがない。それが一層気味悪さを助長していた。
そうして到着したカフェで注文した飲み物が運ばれてくると、山口は話を再開する。
「でさ。君にひとつ提案があるんだよね」
「一体なんでしょうか? お金はありませんよ」
「うん知ってる。現金主義にしかなれないもんね」
山口はブラックコーヒー。ことりはカフェラテとタルトケーキを選んだ。静かにかつ上品に食べ始める。
カフェと言っても店内は賑やかだ。幼い子どもが走り回っているのと、ガラの悪い人達が騒いでいる。カフェと言っても幅広い層が滞在しているので、二人が何を話そうが気に留める人はいない。それがとても都合がよかった。
「単刀直入に言うとさ。オプティにならない?」
「……意味がわかりません」
にこやかに言う山口を冷たく突き放す。
「うーん。んじゃ、オプティについて説明するね。っしょっと」
山口はコーヒーを端によけ、一体どこにしまっていたのかと思うほど唐突にタブレット端末をテーブルに置いた。
画面には『だれでもわかる オプティのこと』と子どものような文字で書かれたスライドショーが始まった。
内容は知らない人はいないほどいたって当たり前のオプティについての情報。
カメラやオルターエゴが映し取った人物の行動の記録に対しAIの『オプティ』が点数をつけては、それに応じたお金が支給されるということを絵本形式で説明している。
ことりのことを馬鹿にしているのかと内心思っていたが、それを表情に出さずにことりはケーキを次々に口に運んでみていた。
最後までスライドショーが終わり、山口は「どう?」と聞く。
「既に知っていることばかりでした」
「だよね。これ、小学校低学年向けのものだし。でもさ、これに違和感感じない?」
「別に」
「じゃあさ、これとか」
山口はスライドショーを前に前にと戻して、とあるところで止める。オプティへ送られてきた映像からスコアを算定しているという説明が書かれた場面だ。
「街中のカメラ。動き回るオルターエゴ。その数は膨大だ。いくらエリアごとで管理しているとはいえ、住民すべての情報を一括してオプティは監視しているんだから。それをたかがいちパソコンでできると思う?」
「高性能なものなら出来るからやっているのでは?」
「ただのパソコンじゃできないんだよね。機械じゃあ、人間の行動の善悪を完全に把握することはできない。そうしたらスコアを算定することだってできないことになる」
「それで?」
「じゃあどうしているかってことだけど、善悪を判断しているのってそもそも人間でしょ? だったら人間に判断させないとってこと。つまり、オプティは人間の頭を使って動いている」
ことりの手が止まる。
山口の言葉をかみ砕き、理解しようと試みている。しかし、すんなりとそうですかとはいかない。
「頭というと?」
「ここ。脳」
山口は自分の頭に指を向けた。
「バイオコンピューターなんて昔は言われてたけど、その頃は脳細胞に直接繋いでっていうやり方だったんだ。人間の脳を取り出して実験したこともあったみたいだよ。ま、そんな非人道的なやり方は非難されちゃうよね。でも、今は生きてる人の頭に機械をセットするだけ。簡単でしょ?」
科学の進歩って凄いねと、おどけたように言う姿はまるで子供のよう。立ち振る舞いからしても、ことりの方がずっと大人びている。
カフェラテをひとくち飲み、カップを置いたところでことりは話す。
「それが何だと言うのです? そのようなシステムであろうがなかろうが、私には関係のないものですが」
「いやあー、その脳みそを君にお願いしたいなって話でさ」
その言葉にことりは眉をひそめる。
「人の頭を借りて、情報処理をしようていうわけさ。今担当している人がどうやら心機能低下傾向で速度が低下してるんだ。そろそろ交代の時期かなと」
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